日曜閑話27

先週の日曜は4週ぶりに晴れたのでハイキングに行ってきました。コースは阪急六甲駅からスタートし、山寺尾根から掬星台、さらに穂高湖、マムシ谷からかわうそ池、炭ヶ谷を下って神鉄谷上駅までで5時間半ぐらいの道程でした。ハイキングはまずまず快調だったのですが、途中で転んだ時に捻ったのか左の脇腹と言うか肋骨辺りが帰ってから猛烈に痛んでいます。それこそ息をするのも痛い状態です。骨折はなかったのですが、どうもかばっているうちにお隣の部位まで痛み出し、今日は晴れですがハイキングはお休みにします。


そういう訳で今日は閑話です。お題は「ローマ時代の食事」です。塩野七生氏は好きな作家の1人です。基本はイタリアを中心とした歴史小説が多いのですが、視線が独特と思っています。「ローマ人の物語」も読んだのですが、女性の視線といえば陳腐な表現ですが、生活者の視線が巧みに取り込まれていておもしろいと思っています。

歴史を書く時は史観が大きく左右しますが、どうしても現在の生活と言うか思想がベースになってしまう作家が多いものです。ローマであれば共和制は良かったが帝政になって堕落したみたいな見方です。そんなステレオタイプとは一線を画しているのに好感を持っています。政治とは誰に向かって行なわれ、誰の幸福のために行なわれているかで評価すべきであり、それを軸として外さないのはさすがです。


今日は政治とか史観を論じようと言う訳ではなく、上述したように「ローマの食事」です。大作「ローマ人の物語」でも食事に関する記述は散見されますが、塩野氏をもってしてもさほどの事は書かれていません。資料が不足しているのか、あまり書くと本題から脱線すると考えて詳述を避けたのか不明ですが、描写としては非常に断片的です。

それを奇貨として、閑話としてムックしてみたいと思います。ローマ人の気風は長い時代を経て変遷はしますが、基本は質実剛健であったと塩野氏は記述します。そうでなくてはあれだけの大帝国を築き、長期に維持することは不可能です。それでも繁栄するに従って食事も豪華になるのは必然の経過です。繁栄は富の蓄積と偏在を生み出しますから、富の使い道はいずこも同じと言うわけです。

豪華な邸宅、豪華な衣装や服飾品、そして豪華な食事です。そういう生活を送った有力者として、スッラ門下の俊英ルクルスを塩野氏は上げています。ルクルスも豪華な生活だけで一生を送ったのではなく、最前線で長年の間、武功を積み重ねた経歴があります。ただ晩年になりポンペイウスに主導権を奪われる形になり、その後政争に参加するのではなく個人的な趣味の生活に費やした人物です。

邸宅も飛び切り豪華であったとされますし、食事もまた歴史に残るほど豪華であったとは塩野氏も書かれていますが、内容については書かれていません。そこまで書かれたらどんな内容であったかを推測してみたいのは人情です。漠然たるイメージは広がっても具体的にはどんな食事であっただろうと言う事です。


ただ具体的な資料は非常に乏しいものがあります。歴史ではこういう事はよくあり、あまりに日常的なことは記録されていない事が多いのです。服装なんかもそうで、日本史でも平安中期ぐらいからの貴族の服装さえはっきりしないとされます。推測する手がかりは絵巻物ぐらいしかなく、本当はどうであったかは推測になってしまうそうです。食事なんてなおさらとすれば良いでしょうか。

わからないと言うのはその分、推測の翼を広げられるというメリットがあるのですが、ローマはイタリアにあり、現在のイタリア料理がまず参考になるかです。わからないのですが、参考にもなるし、ならないしみたいな感じです。イタリア料理といえば思い浮かぶのはトマトソースですが、トマトはローマ時代には存在しません。トマトは新大陸からもたらされた野菜であり、当時の地中海世界には無縁の野菜になります。

トマトソースが無いイタリア料理と言うだけで現在とかなり様相が変わるのですが、ほいじゃスパゲッティを始めとするパスタはどうかになります。パスタ自体はローマ時代にも存在しているのは確実のようです。ただ現在のように乾麺を茹でて食べていたかと言えば、そうではないようです。乾麺が大規模に登場したのは16世紀になってからと言われ、それ以前は生めんを食べていたようです。

さらに生めんも湯がいて食べるのではなく、揚げたり焼いたりしていたようで、さらに、さらに18世紀初頭までは庶民の食べ物であったとされます。日本で言えばうどんとか蕎麦の位置付けのようで、ローマ貴族の豪華な食事には出ていなかったと考えるのが妥当のようです。

イタリア料理で他に思い浮かぶのはピザですが、これもまた現在のピザが作られたのはナポリで1760年からとされ、それの先祖的な料理としてパンの一種であるフォーカッチャに具を載せて食べるスタイルがあるとされていますが、どうも印象としてピザと言うよりサンドウィッチに近いようなものに思えます。

トマトソースもパスタもピザもないのがローマ時代の貴族の食事のようですが、他にも無いものがあります。チーズはあったようですが、バターは食事には用いられなかったようです。バターはローマ時代にもありましたが、ローマ人はこれを食事に用いず、体に塗っていたようなのです。この料理にバターを使わない伝統は現在のローマ料理にも受け継がれているとされます。

ローマ帝国の施政を代表する言葉として「パンとサーカス」がありますが、これはパンを配っていたわけではなく、原料である小麦を配っていました。小麦はやはり製粉されて使われていたようで、パンを焼くのとポタージュを作っていたとの記述が塩野氏の本にも何度か登場します。パンはともかく、ポタージュといえばコーンポタージュをすぐに思い浮かべてしまうのですが、トウモロコシもトマト同様に新大陸由来の野菜であり、ポタージュはあってもコーンポタージュは存在しない事になります。

新大陸ついでにジャガイモもローマ時代にはありません。ジャガイモもまた新大陸からの野菜です。さらに言えば唐辛子もなかったと思われます。唐辛子もまた新大陸の香辛料ですからね。


結構、現在のイタリア料理では当たり前のようにある食材が欠けているのが確認できます。では肉はどうかになります。豚肉は食べていたようです。おそらくですが鶏肉もあったでしょうし、羊肉もあったと考えられます。では牛肉はどうかになります。あるにはあったようです。牛乳は飲みますから牛は飼っていたでしょうから、当然その肉も食べたはずです。

ただ現在のように好んで食べていたかとなると少々疑問符がつきます。確認はできませんが、ローマ時代には食用に牛を飼っていたかどうかが少々疑問だからです。牛肉も現在のような食用の物はやわらかくて食べやすいですが、そうでない物は固くて食べ難いものです。塩野氏も記述でも、カエサルガリア遠征で現地調達の牛肉が兵士には不評であったとしています。牛肉も食べていたでしょうが、当時の感覚では「豚肉 >> 牛肉」であり、肉といえば豚か羊を重視したように考えます。

肉はそんな感じなのですが、ローマ人は肉より魚を珍重したとも塩野氏は記述しています。どれぐらい珍重したかですが、自宅にプールを作り、そこに魚を飼って食べていたとされ、そういうプールと言うか生簀を持っているのが贅沢の象徴であったとされています。魚は肉に較べ保存が難しく、漁師がとってきた魚を生きたまま生簀で保存し、好きな時に食べれるようにするには大変な維持費が必要だからです。

そりゃそうで、海水魚を飼育するためには海水が必要であり、ローマはローマ水道の建設により飲料水は豊富にありましたが、海水となると海から汲んで来るしかありません。漁師も釣り上げた魚を殺さないように持ち帰らなければなりませんから、かなりの贅沢料理である事は推測できます。


調味料なんですが、油はやはりオリーブオイルと考えるのが妥当でしょう。胡椒等は東方貿易が活発に行なわれていますから入手可能です。入手は可能ですが、非常に高価であったのは間違いありません。香辛料の料理への必要性と、その高価さは後に大航海時代を招くほどのものだからです。そんなに高価な香辛料だからあまり使われなかったかと言えばまったく逆であったようです。

高価な香辛料をタップリ使うというのが豪華な料理の基準とされたようです。単純に考えると胡椒の刺激が強いほど「旨い!、豪華だ!」てな感じでしょうか。香辛料も使いすぎるとどうかとも思うのですが、日本でも似たところがあります。昔の田舎料理です。

昔の日本で高価な調味料といえば醤油と砂糖です。そのため醤油と砂糖をタップリ使った料理がご馳走とされました。とくに砂糖は飛び切り高価でしたから、これを惜しげもなく使う事がご馳走の基準とされたのです。醤油と砂糖をこれもかと使い味が濃厚なほど「旨い!、豪華だ!」の基準にされたのです。今でも田舎のご馳走はビックリするほど甘いのがありますが、当時は「甘い = 旨い」であったの名残と言ってよいでしょう。人間の味覚なんて当てにならないものです。


それと宴会に欠かせないのは酒です。ローマ人も酒を愛しています。ローマの酒といえばこれも決まっていてワインです。ローマ人がいかにワインを好んだかですが、現在のヨーロッパのワイン生産地はほぼローマ帝国の版図に合致するとされます。ローマ人は領土が広がるとそこに入植して開発をするのですが、可能であればブドウ畑を作り、ワインを生産したとされます。

そのワインですが、飲むときに割って飲むのがスタンダードであったとされます。割らずにストレートで飲む行為は「下品」ないしは「大酒飲みの酒乱」とされてしまったようです。このあたりはおもしろいところですが、当時の文化でしょうね。

ワイン以外はどうだったかですが、今で言うスピリッツの類はどうもなかったようです。ヨーロッパで代表的なスピリッツと言えばウィスキーとブランデーですが、ブランデーは7〜8世紀頃に作られ始めたようですし、ウィスキーの起源も古いようですが、ローマ貴族の食卓に上る酒になるには早すぎると考えられます。もう一つビールはどうかです。ビールは古代メソポタミアの時代からありますが、これもローマ人の嗜好には合わなかったようで、ほとんど普及しなかったとされます。


あちこちに飛びまくりながらローマ時代の豪華な食事をムックして見ましたが、狭い範囲の知見ですが典型的な豪華料理の像が浮かびます。メインは魚か海老でしょう。料理法としては焼くか、煮るか、炒めるかになりますが、魚ならタップリのオリーブオイルとともに炒めたものではないでしょうか。理由は単純で、その方が香辛料で濃い味が付けやすいと考えられるからです。

タップリのオリーブオイルで炒められた魚に、これも「これでもか」の香辛料を付けられた料理がローマ貴族の「豪華な食事」のステレオタイプと想像します。一緒に飲むのは水で割ったワインです。ちょっと今の日本人では口に合わないかもしれません。私なら遠慮しておきたいところです。


最後に食事形態ですが、基本として現在のフルコーススタイルでなかったはずです。どちらかと言うと中華料理のスタイルにやや近く、大皿に盛られた料理をめいめいが好きなだけ取り分けて食べるスタイルだと想像しています。個人へのフルコーススタイルはたしかロシア帝室の宴会で発明されたはずであり、それ以前の食事ではテーブルにどれだけの豪華料理を所狭しと並べられるかを競っていたはずです。

この辺で今日は休題にさせて頂きます。