こういう記事は良くないと思います

題材は2/14付タブロイド紙東京朝刊です。元記事は乳児医療費が各自治体により自己負担に差がある事をとりあげた特集です。乳児医療費の減額、もしくは無料化についての是非は当ブログでも取り上げた事はあり、あえて今日はその事については論じません。タブロイド紙記事を基に論じるには高尚過ぎる問題であるからです。今日問題にしたいのは記事が取り上げた現地取材例の取り上げ方です。該当部分を引用します。

◇子どもの医療費助成、国は自治体任せ

 「医療証は?」「まだ5歳でしょ。忘れましたか?」

 奈良県生駒市の小児科医院。せきと鼻水が止まらない長男貫太君を連れてきた近くの主婦、西村由紀子さん(36)は窓口で聞かれて「またか」と嫌な気持ちになった。医療証とは乳幼児医療費受給資格証のこと。生駒市では健康保険証とともに提示すれば、支払った2割の自己負担分は後で自動的に銀行口座に振り込まれて返ってくる。つまり無料。しかし、貫太君はもう医療証がないので有料だ。その理由は居住地にある。

 西村さん宅は奈良盆地大阪平野を隔てる生駒山地の奈良側のふもとにあるが、住所は大阪府四條畷市だ。市街地がある大阪側から見れば、まるで山向こうの飛び地。当然ながら生活圏は奈良側に属し、生駒市の病院に「越境受診」することになる。

 子どもの保険診療は就学前は2割、就学後は3割を自己負担しなくてはならない。その分を自治体が一定年齢まで公費で賄うのが乳幼児(子ども)医療費助成制度。生駒市は通院の助成対象が就学前までなのに対し、四條畷市は2歳で終わり。7歳、5歳、0歳の子どもがいる西村さん一家では貫太君が、地域格差の影響をもろに受けている。「道一本、川一つ隔てているだけなのに」。戸惑いと不満は隠せない。

 西村さんが住むのは関西文化学術研究都市の一部として90年に街開きしたニュータウン「パークヒルズ田原」。整然とした街並みに歩行者専用道路や緑豊かな公園が配され、外見上は安全で快適だ。30、40代の子育て世代を中心に今も居住者は増え続けている。

 環境を重視して5年前に家を購入した西村さんもその一人だが、印象は次第に変わった。例えば、長女咲紀ちゃんと貫太君は中耳炎や蓄膿(ちくのう)で耳鼻科に通ったことがある。生駒の子どもは無料なのに半年で約10万円かかり、治る前に通うのをやめた。西村さんは「軽い風邪なら節約のため市販薬で済ませ、病院には行かなくなった。平等な負担なら納得できるが、居住地で差をつけられては、支払うのがバカらしくなる」と憤る。

この記事に書かれている事は、住所が自治体の境界線に近く、地理的関係で隣接の自治体の医療機関に受診する「実例」を現地取材で紹介しています。問題は単純で、隣接する自治体の医療機関に受診したら、そこの自治体の住民は乳児医療で無料なのに、自分は隣の自治体の住民なので自己負担が生じたという話です。「実例」として紹介する事自体は問題ないのですが、紹介の仕方がリアリティを高めるためか実名です。

西村由紀子さん(36)

どこにも「仮名」の但し書きが見当たらないので、これは実名と考えても良いかと思います。住所もあからさまには書かれていませんが、かなり具体的に書かれています。

西村さん宅は奈良盆地大阪平野を隔てる生駒山地の奈良側のふもとにあるが、住所は大阪府四條畷市だ。市街地がある大阪側から見れば、まるで山向こうの飛び地。

生駒山の東側に四条畷の市域があるとは私も初耳でしたが、地元住民ならかなり特定できる地域です。さらに住所の特定が絞られる情報が提示されています。

西村さんが住むのは関西文化学術研究都市の一部として90年に街開きしたニュータウン「パークヒルズ田原」。

「パークヒルズ田原」の中に西村姓がどれだけあるか分かりませんが、西村氏個人をさらに特定する情報があります。

7歳、5歳、0歳の子どもがいる西村さん一家

子供が3人おられ、年齢構成までわかります。さらに子供の名前は、

長女咲紀ちゃんと貫太君

さらにさらに、

貫太君はもう医療証がないので有料だ

西村貫太君は7歳の長男であろう事まで特定できます。ここまで個人が特定できる、とくに近隣の住民には非常に特定しやすい情報が盛り込めれているのが確認できるかと思います。もちろんそこまでの個人情報の開示には西村氏の了解を得ているとは思いますが、西村氏の経験談の内容にはかなり問題があると考えます。西村氏の経験談は、

例えば、長女咲紀ちゃんと貫太君は中耳炎や蓄膿(ちくのう)で耳鼻科に通ったことがある。

中耳炎も急性中耳炎なら比較的短期に治療が終了しますが、滲出性中耳炎であれば息の長い治療が必要であり、途中で感染性の中耳炎をしばしば合併しますから、頻回受診を余儀なくされる手強い疾患です。さらに副鼻腔炎が併発しているとなかなか一筋縄でいきません。それでどうなったかと言えば、

半年で約10万円

二人で10万円ですから、一人5万円ととりあえず考えてみます。そうなると半年ですから1ヶ月に1人8000円ぐらいになります。耳鼻咽喉科の医師によって方針は異なりますが、週2回の通院とすれば1人1回の受診に付き1000円程度になると考えられます。半年で治療を中止したようですが、もし継続していたら乳児医療はなくとも確定申告を行なえば医療費控除が10万円以降は可能なため、1000円以下に容易になるとも考えられます。

費用の事は寄り道ですが、問題は治療を中止した理由です。二つの理由が記事に書かれています。

  1. 生駒の子どもは無料なのに
  2. 「平等な負担なら納得できるが、居住地で差をつけられては、支払うのがバカらしくなる」と憤る
こういう理由のために

治る前に通うのをやめた

これは実名で紹介するには非常に問題がある経験談と考えます。これではまるで西村氏が子供の病気治療より、支払う医療費を惜しんでいるように受け取られる恐れが出てきます。せめてこの経験談が治療費が高くついた事のみを憤るものなら、主婦感覚として十分理解できる内容です。ところがこの記事内容では、生駒の住民の自己負担が無料である事が理由で、我が子の治療を中止した母親みたいになってしまいます。


マスコミ記事は御存知の通り編集権の名の下に、取材の実際の内容と相当異なる事があるのは説明するまでもありません。ですから西村氏がそんな理由で我が子の治療を本当に中止したかどうかは不明です。記事では住居する自治体の乳児医療の自己負担額のために西村氏が我が子の治療を中止したようになっていますが、実は治療終了後である事など朝飯前の編集であるという事です。

マスコミ記事で基本的に編集でないのは「」付きの発言部分ですが、これも切り貼りは自由自在であるのも常識です。それ以外のところとなると完全に編集権下にあります。つまり記事中の、

生駒の子どもは無料なのに半年で約10万円かかり、治る前に通うのをやめた

これは完全に記者の作文である可能性もあるということです。10万円はともかく「治る前にやめた」は非常に注意して解釈する必要があると考えます。


もちろん西村氏が本当に医療費の地域差に怒って我が子の治療を中止した可能性は僅かながらあります。ただそうであれば、そういう事を実名入りで報じる事のデメリットを、影響力の大きいマス・メディアなら配慮する必要があると考えます。常識的に考えて近隣住民からの非難の声が上がる危険性があればそれを回避する掲載法です。さして特殊な方法でなく、名前ごと伏せて「子供を持つ主婦」でも良いですし、「仮名」とするのもよく使われます。

さらに言えば、こういう事例を代表例としてそもそも取り上げる必要性は無いとも言えます。他にもっと記事に掲載する適当な人物を探すというのがもっとも常識的でしょうし、どうしてもこの事例を紹介したいのなら、「治る前に通うのをやめた」を編集権でぼかすのは自由自在のはずです。記事全体の主張から、西村氏が我が子の治療を中止したことは主眼ではなく、四条畷と生駒の地域差を浮き彫りにするのが目的ですから、非難を受けそうな行為は巧みに表に出さない配慮が求められると考えます。

「治る前にやめた」でも「この治療の後はなるべく受診を控えるようにしている」でも文意に変わりは無く、この程度の編集なら虚偽事実の捏造に当るものではないと考えます。ここまで実名及び個人情報を特定できる形式での報道ですから、記事の趣旨からそれぐらいの配慮は当然するべきだと私は考えます。


まあ、これがタブロイド紙のゴシップ特集であるから良いようなものの、未だにクオリティ・ペーパーとして無条件に信用する人の多い新聞なら大変な事になったかもしれません。まさしく不幸中の幸いと言うのでしょうか、良識ある皆様におかれましては十分御注意ください。