ネットであってもどこでも誹謗中傷はやめましょう

天漢日乗様の朝日の社説がテンプレ化している件を読んで「なるほど」と思ったのですが、天漢日乗様が取り上げた2/6付朝日社説2/8付読売社説がなんとなく似ているように感じましたので対照比較表を作ってみました。

2/6付朝日社説 2/8付読売社説
ネットの中傷―表現の舞台を汚す卑劣さ ネット暴力 「表現の自由」には責任が伴う
 もしもあなたがインターネット上で「人殺し」などと根も葉もない中傷を受けたとしたら――。

 被害はおそらくネットの場にとどまらないだろう。日々の生活のなかで疑いの目を向けられるかもしれないし、仕事にも影響しかねない。
 全く身に覚えのないことを言いふらされ、非難されたら、どれほど嫌な気分だろう。

 インターネット上で他人を中傷する行為は、「表現の自由」をはき違えた卑劣な犯罪だ。
 そうしたひどい中傷に対する重い警告の意味も込めたのだろう。お笑いタレントの男性のブログに事実無根の書き込みをしていたとして、警視庁は全国に住む18人を名誉棄損の疑いで書類送検する方針を固めた。  警視庁は、男性タレントのブログに事実無根の内容を書き込んだとして、17〜45歳の18人を名誉棄損容疑で近く書類送検する。
 また、タレントを「殺す」などという内容を書いたとして、1人を脅迫の疑いで書類送検した。  殺害予告を書いた別の1人については、脅迫容疑で書類送検した。
 ブログへの書き込みをめぐる集団摘発はきわめて異例だ。それほどネットの世界には、悪質きわまりない書き込みがあふれているということだ。  「炎上」と呼ばれるブログなどへの集団攻撃が一斉摘発されるのは、今回が初めてになる。
 根拠のないデマを流して、身近なだれかを誹謗(ひぼう)中傷する。著名人の発言が気に入らなかったとして、やり玉にあげる。おもしろ半分で始まった書き込みが、敵意をむき出しにした攻撃へとエスカレートすることもある。それをあおる人たちまでいるから厄介だ。

 だが、書かれた方はたまらない。
 悪質な行為を取り締まるのは当然だ。ブログなどを閉鎖に追い込むため、あおる者もいる。警察は今後も厳正に対処すべきだ。

 憲法で保障された「表現の自由」は、健全な社会を守るためにある。匿名に身を隠したネット上での言葉の暴力とは、無関係だ。
 いじめられた、と感じて追いつめられる子がいる。「血の海になります」との犯行予告を書き込まれ、講演会の中止に追い込まれた評論家もいる。

 深刻なのは、そうした無責任な書き込み行為が幅広い層に広まっている点だ。今回摘発された中には女子高校生から国立大学の職員までいた。
 ネットへの書き込みをめぐっては、自分のホームページに不確かな情報を掲載し、飲食店経営会社を中傷したとして、名誉棄損罪に問われた男性被告が、東京高裁で先月末、逆転有罪となった。

 ネットの個人利用者に限って名誉棄損の基準を緩めた1審の無罪判決に対し、高裁は「被害者保護の点で相当ではない」と批判した。妥当な判断である。
 07年に全国の警察に寄せられたネットでの中傷被害の相談は9千件近くにのぼる。お隣の韓国では、被害にあった女優が自殺する騒ぎがあった。もはや見過ごせない状況だ。  ネットでの中傷被害は増えており、昨年も中高校生が自殺している。警察庁によると、警察への相談は、2007年に過去最高の約8900件に上っている。

 韓国では、事実に反する内容を書かれた有名女優が昨年秋に自殺した。これを受け、与党がサイバー名誉棄損罪などを新設する刑法改正案を国会に提出している。

 日本では青少年保護を目的とした有害サイト規制法が昨年6月に成立し、4月から施行される。
 背景にあるのは、名乗らずに発信できるネット社会の特性だろう。だが、自分だけは姿の見えにくい場所に立って、一方的に悪口を浴びせたり事実に反する書き込みをしたりするのは、あまりにも卑劣ではないか。

 もちろん、ネットそのものの役割は前向きにとらえたい。だれもが世界に向けて自分の意見を発信できる。この新しいメディアによって、表現や言論の舞台は大きく広がった。その場はしっかりと守らなくてはならない。

 だからこそ、その発信には責任が伴う。だれかを根拠もなくののしる行為はまっとうな意見表明とは異なる。批判するならば、事実にもとづいて自分の考えを冷静に伝える。そんな慣習が、急速に拡大したネット社会にはまだ根づいていない。

 今回は被害の訴えを受けて警察が乗り出したが、健全なネット社会を築くには世の中全体の努力が要る。
 誰でも情報を発信できる時代だが、それには責任も伴う。
 学校も家庭も、ネットの使い方と発信者の責任をきちんと教えるべき時代になった。
 ネット利用者は、使い方次第で自らの手足を縛りかねないことを認識しておかねばならない。子どものころから、家庭や学校で安易な利用の危険性を教えていくことも大切だ。


似ているとするか全く似ていないとするかは個人の主観で異なると思うのですが、妙に似ている点はあるように感じます。タレントのブログへの中傷による警察摘発を切り口にしているので、この点が似ているのは仕方が無いとしても、韓国の女優の自殺の件が同じなのは類似性を感じます。もちろん違うところもあって、朝日が法規制の話をしていないのに読売は韓国の法規制の話まで持ち出して詳細に論じています。また朝日がこれからのネット社会がどうあるべきかについての論評をかなり詳細に行なっているのに対し、読売は非常にアッサリ書いています。

重点の置いている部分が違うから別物とする考え方も成立しますが、私が作った比較対照表は社説の実際の文章の並びも同じです。つまり社説の構成の骨格が似ていると言うことです。同じテーマで書けば似たような内容になるという考え方もありますが、ちょっと似すぎている感じもしないでもありません。それと社説の書かれた日も注目されます。同じ日に書かれたのなら偶然の一致もあると思いますが、読売社説のほうは朝日社説より2日遅れて書かれています。

2つの新聞社が日を違えて同じテーマで社説を書いても全く構わないのですが、後から書く方は「物書き」なら先に書かれた内容と出来るだけ切り口を変えようとするのが通常です。素人が書いているブログでも、先行している他の同じテーマのブログ記事と切り口を少しでも変えようと努力します。朝日と読売ですから、両者はライバル関係ですし、ごく普通に考えればライバル社の社説は目を通しているはずです。通していなかったら嘘でしょう。

つまり読売の論説委員は朝日の社説も読んだ上で社説を書いたと考えるのが妥当です。もちろん後追いとして切り口を替えようとした形跡は認められます。読売社説ではネット上で問題になった具体的な犯罪の処罰例を膨らましています。そのため後半部分の印象が

    ネットでも摘発されて処罰されるから、そうならないように自粛せよ
こんな感じのまとめ方になっています。対して朝日社説は、ネット利用での啓蒙に主体を置き、
    ネット利用にも守るべきマナーがある
こういうまとめ方になっています。これぐらい違えば全く違うものとして良いとも考えれますが、サラッと読むと実に似ています。とくに前半部の構成が似ていると素直に感じます。まさか論説委員の手許に社説のテンプレがFaxされるわけではないと思うのですが・・・やっぱり思い過ごしと言うか、考えすぎですよね、きっと。

それと朝日社説のこの部分は、

だれかを根拠もなくののしる行為はまっとうな意見表明とは異なる。批判するならば、事実にもとづいて自分の考えを冷静に伝える。

これは素直に共鳴します。ここで珊瑚は持ち出すのは控えます。一方で読売の、

憲法で保障された「表現の自由」は、健全な社会を守るためにある。匿名に身を隠したネット上での言葉の暴力とは、無関係だ。

これは微妙な表現です。あまり捻らずに「ネットでの言葉の暴力はやめましょう」と解釈するだけでも良いのですが、人によってはネットでの匿名発言全体を攻撃非難するものと受け取る方も出てきそうな気がします。なんと言っても読売社説の後半は摘発事例と法的規制の話がずらずら並びますから、関連付けてしまうのは致し方ないかと感じます。

それでも今日は平和に

    ネットであっても根拠無き誹謗中傷はやめましょう
これは訴えておいても良いでしょう。もちろん「ネットであっても」ですから、社会の木鐸と自認し、クオリティ・ペーパーと自負する新聞社なら何倍、何十倍、何百倍もの重責を背負っている事もしっかり自覚して欲しいと副えておきます。もちろん新聞社だけではなく他のマス・メディアも。


■訂正

    ネットであっても根拠無き誹謗中傷はやめましょう
後で読み直すとこれもおかしな書き方になっていますから、訂正させて頂きます。
    ネットであってもどこでも誹謗中傷はやめましょう。批判を行なうのなら根拠をもって冷静にしましょう。
どうもまとまりが悪いのが難点ですが、謹んで訂正させて頂きます。