編集権を考える

Nスペ「医療崩壊再建」なる番組があり、その内容についてネット医師世論では酷評されているようです。ちなみに私は見ていません。この番組収録に立ち会った方の体験談をweb CLOVER様がまとめられており、

内容はリンク先を読んでもらえればわかりますが、数々の発言が編集でカットされた様子が生々しく記録されています。番組として放映されたのはある意図にそって切り貼りされたものであったという事です。今さら言うほどの事はないかもしれませんが、ネット時代ですからこういう話はボロボロ出てきます。この編集の実態について天漢日乗様がメディアに露出すると言うこと Nスペ「医療再建 医師の偏在 どう解決するか」で興味深い論評を加えています。ちょっと長いのですがあえて一点を取り上げれば、

    要するに
     6時間の収録で、医師側のいちばん伝えたい部分を全部オミットされた
    というのだけど、残念ながら、
     編集権はNHK側にある
    わけで、自分の一番言いたいことが放映されなかったとしても、それはしょうがない。
     メディアに露出すること
    とは
     自分の発言を、メディアの都合良く編集されることを承諾した
    のと同じだからだ。

さすがにNHKを語らせても第一人者じゃないかと私は考えている天漢日乗様だけあってシュールです。ここまでズバッと言い切れるのはさすがだと思います。ここで問題になるのは、

    編集権
これになります。編集権とは取材した内容を自由に切り貼りしても良い権利らしく、よく事件後の有識者インタビューなどでの後日談愚痴は枚挙に暇がありません。力説した要点をすべて削除され、内容の切れ端だけを報道されたとか、ひどいのになると、どう思い返してもそんな内容は話してないはずなのにまであります。

編集権が君臨するマスコミにおいては、マスコミのシナリオに沿って有識者は発言する事を求められ、マスコミの意図を先読みして迎合する有識者がもてはやされ、その「空気」を読めない有識者の発言は編集権でシナリオ通りに作り変えられるわけです。マスコミにしても「空気」の読めない有識者は編集が大変なので敬遠され、敏感に空気を読める有識者は上手く行けば芸能人としてスポットライトを浴びられる寸法です。

確かに頻用される有識者は見事に番組の流れに副ったコメントを残しますし、そういう有識者はあちこちのマスコミに引っ張り凧になります。またどうもマスコミ露出は麻薬のような魅力があるらしく、一生懸命に空気を読むのを日々研鑽されている有識者も多数おられるようです。まあ、それも一つの人生ですから他人がとやかく言う問題ではないでしょう。

ちょっと寄り道しましたが、編集権とは具体的にどう定義されているかになります。社団法人日本新聞協会の編集権声明なるものがあり、これに準拠してマスコミは編集権を主張しているとされます。

日本新聞協会の編集権声明

1948(昭和23)年3月16日

 新聞の自由は憲法により保障された権利であり、法律により禁じられている場合を除き一切の問題に関し公正な評論、事実に即する報道を行う自由である。

 この自由はあらゆる自由権の基礎であり民主社会の維持発展に欠くことが出来ぬものである。またこの自由が確保されて初めて責任ある新聞が出来るものであるから、これを確立維持することは新聞人に課せられた重大な責任である。編集権はこうした責任を遂行する必要上何人によっても認められるべき特殊な権能である。

1 編集権の内容

 編集権とは新聞の編集方針を決定施行し報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適正を維持するなど新聞編集に必要な一切の管理を行う権能である。編集方針とは基本的な編集綱領の外に随時発生するニュースの取扱いに関する個別的具体的方針を含む。報道の真実、評論の公正、公表方法の適正の基準は日本新聞協会の定めた新聞倫理綱領による。

2 編集権の行使者

 編集内容に対する最終的責任は経営、編集管理者に帰せられるものであるから、編集権を行使するものは経営管理者およびその委託を受けた編集管理者に限られる。新聞企業が法人組織の場合には取締役会、理事会などが経営管理者として編集権行使の主体となる。

3 編集権の確保

 新聞の経営、編集管理者は常時編集権確保に必要な手段を講ずると共に個人たると、団体たると、外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対し編集権を守る義務がある。外部からの侵害に対してはあくまでこれを拒否する。また内部においても故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害しあるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する。編集内容を理由として印刷、配布を妨害する行為は編集権の侵害である。

1948年ですからかなり前のものである事がまずわかります。これの解説については論駄な日々様の編集権と内部的自由の備忘録と不可視型探照灯様の編集権の必要性と弊害についてが分かりやすかったので参考にしながら考えて見ます。

編集権声明は3つの部分に分かれています。

  1. 編集権の内容
  2. 編集権の行使者
  3. 編集権の確保
この3つについての具体的な内容を記述する形式です。順番に見ていきますが、


■編集権の内容

ここは2つの部分に分かれているのですが、まず編集権の具体的な機能を記しています。

編集権とは新聞の編集方針を決定施行し報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適正を維持するなど新聞編集に必要な一切の管理を行う権能である。

ここのキモは

    新聞編集に必要な一切の管理を行う権能
これが編集権だとしています。いちおう但し書きに「報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適正」となっているのは覚えておきましょう。ここはまあこんなものかとは思います。


■編集権の行使者

誰が編集権を行使するかです。編集権の内容のところに、

編集権とは新聞の編集方針を決定施行

こう書かれている編集権を行使できる人物です。ここも具体的に書かれていまして、

編集権を行使するものは経営管理者およびその委託を受けた編集管理者に限られる。

もうちょっと具体的にはどこまで指すのでしょうか。経営管理者としてはこれも具体的に「取締役会、理事会」となっています。委託を受けた編集管理者の範囲がつかみにくいのですが、どうもこれは経営サイドの人間に限られると解釈するのが宜しいようです。それと編集権が経営管理者にある理由として、

編集内容に対する最終的責任は経営、編集管理者に帰せられるものである

なるほど責任を取る人物が編集権を握るという理屈のようです。


■編集権の確保

ここは確保と言うより編集権を持つ人間が、誰からの妨害を防ぐかの説明のように思います。

個人たると、団体たると、外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対し編集権を守る義務がある

つまり個人からであっても、団体からであっても、編集権すなわち「新聞編集に必要な一切の管理を行う権能」は妨害を許さないとしています。ここで問題とされているのは、

また内部においても故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害しあるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する

「定めれた編集方針」とは編集権を有する「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」が決定しますから、その編集方針に従わないものは「編集権を侵害したものとしてこれを排除する」となっています。編集権の確保の「内部」は穏当に取ればさしたる問題は無さそうですが、この一文が入る事により、現場記者の意見を経営サイドが封じ込める論拠になるとされています。

次の個所もなかなか激しい内容で、

編集内容を理由として印刷、配布を妨害する行為は編集権の侵害である

編集内容すなわち記事の内容の是非で「印刷、配布」を妨害するのも編集権の侵害としています。これも例えば政府の汚職の追及とかであれば、当然守られるべきものかと思いますが、偏見に満ち、なおかつ浅薄な知識から大衆を煽動する無いような編集内容であっても同様の扱いになる可能性も有ると受け取れます。確かに編集権の内容に

報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適正を維持

こうされていますが、そうであるかどうかを判断する編集権を持つのは現場の記者とか編集者ではなくあくまでも「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」であり、「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」が編集方針を決定する時には「報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適正を維持」していると考えているのが妥当ですから、何を書いてもこれを妨害する行為は「編集権の侵害」になってしまうかもしれません。


ところでなんですが、新聞社で編集権を有する考えられる「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」は政府の御用会議に名を連らねられておられます。財政制度等審議会財政構造改革部会の名簿でマスコミ関係をピックアップすれば、

【委員】

【臨時委員】【専門委員】

論説委員が「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」にあたるかどうかは新聞社の社内序列をよく存じませんからわかりませんが、少なくとも

この方は「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」に該当すると考えられます。御用会議の決定に関与すれば当然賛成の立場をとり、賛成の立場から編集権を行使して編集方針を決定される事になります。編集権により決定された編集方針は

定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する

読売新聞社の現場では異議一つ立てられない事になります。異議を立てようものなら編集権をたてに「排除」されます。つらつらとカラクリを読みながら腑に落ちる事が多々あるように思っています。なるほど日本の言論の自由はこうやって手厚く守られている事がよく分かりました。もちろん内部だけではなく、外部も、個人も、団体の意見も編集権の確保の前では無力という事になります。

もちろん実際のところ、すべての記事の端々にまで「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」が口を挟むわけではないでしょうが、大きな話題で意見が割れているものであれば新聞社としての編集方針を決定するかと思います。それを決定するのは現場の取材の積み重ねとは必ずしも言えず、現場に足を向けなくなった「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」が決定すると考えて良いかと思われます。さらに一度決定されると「編集権の侵害」として「排除」するぐらいの強権があると声明しているとも受けとれます。

読売は戦後の二次に渡る読売争議の歴史も踏まえているのでその辺は強力そうですし、渡辺恒夫氏のお人柄からしても強力そうに感じられます。またNHKも類似の編集権支配構造があると考えてもどうも良さそうですし、他社も濃淡こそあれ似たりよったりと考えても間違いないでしょう。メディアリテラリシーをするのも骨が折れます。