栄枯盛衰

日本映画黄金時代と言うのがありました。映画史的には戦前の第1期と1950年代から始まる第2期に分けられるようですが、第1期と第2期の間には大戦とその後のGHQ管理時代があったため、一貫して娯楽の王様の地位にあり続けたと見れないことはありません。日本映画の黄金時代のピークは1958年といわれ、その年の観客動員数は11億人を越えています。

歳がばれるのであまり書きたくないのですが、私が映画に触れ始めたのはこのピークを越えて斜陽傾向が明らかになってからです。それでも日本中どこでも映画館はあり、人口5万程度の小都市でも2館、3館と映画館があるのは当たり前でした。ただ斜陽の波は凄まじく、1970年代には地方の小映画館は見る見る淘汰されてなくなり、1980年代になり親なしでも映画を見に行けるような年の頃には、映画ははるばる都会まで行って見るものに変わっていました。


日本映画斜陽の原因は1953年に始まったテレビが大きかったとされます。テレビに対する映画の警戒感はあったようですが、テレビも放映初期は受像機自体が非常に高価で、なおかつ黄金期の映画からすると内容は紙芝居の域でもあったので、さほど問題にしないというのはあったともされます。現実に1953年にテレビ放映が開始されても映画の観客数は増え続け、1958年のピークを迎えることになります。

テレビは1959年の皇太子御成婚、1962年1964年の東京五輪を経て急速に普及します。テレビの普及による映画の衰退は著しく、1963年には観客動員数はその5年前の半分である5億人程度に落ち込む事になります。衰退に対して映画も何も手を打たなかったわけではなく、テレビの番組の多様性に対して、映画も多様性で対抗しようとし、1960年には製作本数547本を記録していますが、結果として粗製濫造の傾向となり、余計にテレビに流れたともされます。

映画側が打った手は製作本数だけではありません。有名な五社協定があります。今よりも当時の方がスターの観客動員の影響力は多大でした。観客動員の要であるスターを映画会社で囲い込もうとしたのが五社協定です。大元は既存の五社があるところに日活が復活し、日活にスターを使わせまいとしたもののようです。これに対し日活は独自に石原裕次郎などのスターを売り出し対抗し、結局のところ日活も取り込んだ形で五社協定は続く事になります。

この五社協定はテレビの台頭に対しても武器として使われる事になります。1961年には映画会社所属俳優・女優のテレビ出演を禁じます。映画のスターがテレビに出る事によって、テレビ人気が上がることを抑えようとしたのです。いわゆる力による封じ込めです。いろんな悲喜劇が起されましたが、映画とテレビの力関係が見る見る逆転する情勢下では力で封じ込む事は既にできず、1971年には大映の倒産、日活がロマンポルノ路線に転向、他の大手も製作本数を減らし、専属俳優を解雇し、テレビの下請けが大きな収入源に変わるという状況下で終焉を迎えます。


ちょっと前後しますが、映画の台頭前の娯楽王様は芝居でした。ごく簡単には歌舞伎が王様でした。映画の台頭に対して歌舞伎界は役者の映画への出演を禁じたとされます。映画に出たものは舞台には立たせない掟を作ったとされます。しかし映画は舞台では恵まれない役者を引き抜いてこれをスターにします。映画初期に歌舞伎役者の芸名のようなスターが多いのはそのせいですし、時代劇に延々と歌舞伎的要素が残ったのもそのせいとされます。

当初の映画は大人気であった歌舞伎を映画化するのに懸命になり、それを防ごうとした歌舞伎界とのスター引き抜き合戦の側面があったと考えます。この綱引きは映画が娯楽の王様になり、さらに映画界が独自のスターを生み出す事により終焉します。歌舞伎は今でも一定の人気を誇っていますが、かつてのような国民的娯楽には二度と戻れない伝統芸能の世界にサイバイバルする事になります。

映画とテレビの抗争も奇しくも似たような経緯を描く事になります。映画とテレビの前に当初の五社協定は日活封じが目的でした。包囲網を敷かれた日活は独自の路線と新たなスターを生み出す事によって対抗し黄金時代を築きます。この教訓を知っていたはずなのに、映画界は五社協定でかつての歌舞伎が映画に行なった対抗策を行ないます。

映画会社による包囲網を敷かれたテレビは新たなスターを発掘し、映画のスターと対抗する事になります。映画が斜陽とともに国民的スターを作り出す力が衰えるのに反比例するように、テレビは圧倒的な視聴者をバックに新たなスターを次々と送り込みます。この10年戦争の結果は誰もが知っています。映画も滅びはしませんでしたし、今でも一定の影響力を保持していますが、かつての王座に戻る事は難しいと言わざるをえないでしょう。昔よりはるかに縮小した市場に独自の地位を築いてサバイバルしていると言えばよいのでしょうか。


こんな栄枯盛衰はマスコミとネットの世界に今展開しているように感じています。情報世界の王様として君臨してきたマスコミはネットの台頭と言う脅威にさらされています。ネットの中の人間からすると、ネットと既成マスコミは共存できる関係です。なんのかんのと言っても、一次取材力の足腰は既成マスコミが圧倒的な能力を持っています。ネットの特性は一次情報を分析するところであり、両者の共存は無理なくできるはずだからです。

ところが既成マスコミはネットの封じ込めに懸命のようです。ネットを否定し、ネットを貶め、既成マスコミのみを見るように頑張っておられます。ネット害悪論の展開なんて、かつてのテレビ害悪論を聞くようで個人的に笑っています。テレビ害悪論は長い間唱えられ、同時に俗悪番組追放の試みも数え切れないぐらい行なわれましたが、テレビの圧倒的な影響力の前に吹き飛ばされています。

既成マスコミは映画とテレビの関係に較べると、はるかにマシな状態の関係です。ただネットの台頭は既成マスコミの従来の影響力の範囲をかなり奪い取ります。それでも既成マスコミに残される領域は大きなものだと考えるのですが、1mmたりとも譲らないの姿勢だけは著明です。既成マスコミは歌舞伎から映画、映画からテレビの娯楽の王座の変遷を熟知しているはうですが、それでもネットと全面抗争するようです。

そんな事を例の読売記事から考えていました。後に今のマスコミの姿勢をどう記録されるか興味深いところです。10年どころか、5年程度で結論は出ると考えています。