連想される事

10/21付神戸新聞より、

デイサービスで窒息の男性、後遺症で法人提訴 神戸 

 デイケアサービスの利用中に食事がのどにつまり障害が残ったのは、職員が安全保護義務を怠ったためとして、神戸市東灘区の男性(77)と妻(75)が二十日、同市灘区の医療法人「康雄会」を相手に、慰謝料など約六千四百万円の損害賠償を求める訴訟を神戸地裁に起こした。

 訴状によると、男性は、同法人が経営する東灘区の介護老人保健施設を利用。六月、回転ずし店で食事中、誤っていかのにぎりずしが気管に入った。付き添いの職員が、異物除去の措置をとったが、すぐに救急通報はしなかった。約十分後、男性の心肺が停止。その後、駆け付けた救急隊員によって心拍は再開したが、低酸素性脳症で機能障害が生じ、寝たきりの状態となった。

 原告側は「早く窒息を発見し、即座に救急通報しなかったのは重大な過失」と主張。同法人は「訴状を見ていないので、コメントできない」としている。

事件はどうやら介護福祉施設に入所中の77歳の男性が施設職員付き添いで回転寿司を食べに行ったときに起こったようです。77歳の男性が寿司を食べた時に窒息を起こし、付き添いの施設職員が助けようとしましたが、窒息状態を解除できず10分後にCPAに陥り、救急隊も駆けつけたが低酸素性脳症になってしまったと言う経過のようです。本当にお気の毒な事です。

訴訟の理由は窒息を起したときに施設職員は助けようとはしましたが、救急隊を即座に呼ぶことを怠っていたのが重大な過失であるとの理由のようです。事件の経過や訴訟内容の是非についてはもうエエでしょう。何度も何度も類似の案件を論評しましたので今日は控えたいと思います。

それよりもこの記事の影響を考えて見たいと思います。訴訟を起す事自体は国民の権利ですから、これを批判することは許されません。実際のところ裁判官も御苦労様としか言いようのない訴訟もこの世にたくさんあります。この訴訟がどうかはこれ以上の詳細な事情がわかりませんのでさておいて、この訴訟にはマスコミバイアスがかかっています。

マスコミバイアスとは俗に言う「新聞沙汰」になるというバイアスです。マスコミの信用性については最近とみに論議が高まっていますが、現時点ではまだまだ厚い信用が残存しています。つまり新聞が取り上げたという事は「重要事件」であるとのバイアスがかかって伝わる事になります。つまりまだ多くの人は新聞に取り上げられる事件であるから重要な意味のある訴訟であるとの認識を抱くという事です。

「重要事件」と言ってもこれも俗に「有罪か、無罪か」に関心が寄せられるというより、報道された段階でこの事件はこれも俗な表現ですが「有罪である」の認識を強く抱く可能性が強い事柄になります。記事は訴訟開始段階の定型文ですが、これを読んだ多くの人間は、

    こりゃ、施設職員が悪い
こういう認識を抱くという事です。もちろん異論はあると思いますが、逆に「施設職員になんの責任があるんだ」の感想を直感的に抱く人間は少数派かと考えます。なんと言っても「新聞沙汰」になるぐらいですからね。

そうなると介護福祉施設がどう考えるかです。浅く考えれば、食事時、とくに外食時での入所者の食事による窒息にはより注意しようになります。ただ高齢者の食事による窒息の危険性は極論すれば何を食べても起こります。厚生労働科学研究補助金 総括研究報告 食品による窒息の現状把握と原因分析によると粥だってカップ入りコンニャクゼリーより多数の窒息者を発生させています。粥でも危険ですから何だって危険としてもおかしくないと考えられます。

そうなると「注意する」でカバーできない案件であるとの判断が当然のように生まれてきます。私もよくわからないところがあるのですが、事件を起した施設は入所者の外食に施設職員を付き添わせるという事をされていたようです。こういう事が一般的かどうかはわからないのですが、少なくともこういう行為は今後一切禁止されるかと考えられます。もう一歩踏み出せば、今度は職員の付き添いなしに入所者が外食を行い窒息を起こした時に「なぜ職員の付き添いがなかったんだ」の非難が起こらないとは限りません。そうなると外食自体が全面禁止になります。

それと新聞沙汰の恐ろしさは、この訴訟がどういう結果になろうとも上記の防衛意識を確実に働かせます。訴訟が起こった報道は為されても、訴訟の結果についての報道が為されることは稀です。稀は言いすぎですが、原告側勝利の場合(たとえ10万円でも)はまだしも報道される可能性はありますが、被告側勝利の場合はまず黙殺されます。医療関係者の意識に残るのは「あれをすれば訴えられる」の恐怖心のみが植えつけられる事になります。



もう一つ連想されるのは寿司がどうなるかです。コンニャクゼリー問題への皮肉な問いかけです。野田大臣はコンニャクゼリー根絶へ懸命な努力を払い、これに成功しつつあるようです。さすがにこの行動に疑問を持つ者は議員レベルにもおられるようで、10/11付産経新聞(魚拓)には誰でも抱く素直な疑問である

谷公一衆院議員が「モチは昔から死亡事故が多い」と指摘した

これを問いかけています。これに対する野田大臣の返答は、

野田聖子消費者行政担当相は10日の会見で「モチはのどに詰まるものだという常識を多くの人が共有している」と強調

他の報道でも類似の発言内容がありますから、たぶんそういう趣旨で発言されたと判断できます。では寿司はどうなんでしょう、寿司もモチ同様に、

    寿司はのどに詰まるものだという常識を多くの人が共有している
そこまで強調できるものか少々疑問です。この辺はもちろん屁理屈ですが、それでも行政が強権を揮うにはやはり今後の先例になる明確な基準が必要です。モチを「常識を多くの人が共有している」との基準で免責にするなら寿司も同等であるとの基準を示す必要があります。また「常識を多くの人が共有している」のではないとすれば、他の免責にする基準を明示する必要があります。

コンニャクゼリー問題の批判の多くは、コンニャクゼリーを根絶するのは百歩譲って認めるとしても、他の食品の窒息に関して放置と言うか、明快な基準を示さない態度にあると考えています。具体的な提示があったモチに対しては「常識を多くの人が共有している」と言う基準をまだ示していますが、今回の寿司ならどうなるかの判定基準は不明です。別に隠さなければならない基準ではありませんし、むしろ明示することが国民や食品業界にとっては歓迎される事です。そうしないと食品による窒息報道があるたびに、野田大臣からの根絶指令がいつ下るかとビクビクしないとなりません。

ただモチもそうなんですが、寿司やその他食品でも高齢者の場合、基本的に自己責任と言う考え方は可能です。それこそある程度の危険性は熟知されている伝統的食品と言う考え方です。ただもう記事は引用しませんが、小学生がパンで窒息死するという不幸な事故が報道されています。小学生にパンを禁止するのかの問いかけに、行政府は整合性のある回答を行なう必要性が出てきます。もちろん報道されたパンだけではなく年間4000件以上の窒息死の原因となる他の食品についても同様です。


・・・てな事を記事を読みながら考えてました。