南淵明宏氏の謝礼感覚

南淵先生と言っても名前ぐらいしか聞いた事が無く、御尊顔は先の参議院選挙で落選された看護協会系議員のHPで一度お見かけしたしただけです。心臓外科医らしいですが、評判を知る医師に言わせると「腕は悪くない」との声があるのは確かです。どれほど悪くないかは小児科医には見当がつかないのですが、南淵先生にかなり批判的な立場の医師の発言ですから「普通に一流」と同程度ないしそれ以上じゃないかと推測しています。

南淵先生は外科医としてだけではなく講演や医療エッセイなどの発表を活発に行なわれています。これは「集中」第1巻3号より、医療エッセイ・説示一物 第1回「謝礼消滅」として書かれたものです。

今、医師の社会は混沌としている。

 かつて、大学病院や公立病院、民間病院などのだいたいの役割分担が決まっていた。

 あくまで私個人の分析だが、大学病院は斡旋屋であり、重症患者の駆け込み寺。公立病院は何かにつけての調整役、例えばセコイ代議士や地方議員の口利きで患者を受け入れる使命があった。民間病院は今よりずっと資金繰りがよく、安い給料の大学医局員を食わせてやっていた。

 ところが最近、民間病院も貧乏になった。あいつぐ診療報酬の改訂で貧乏になり、おしっこウンチの始末も自分できないような大学医局員を雇ってあげる財力がなくなった。だが同時に、大学病院も公立病院も全部崩壊した。

 その原因は、「もともと安い給料の勤務医が患者から謝礼をもらえなくなったから」だと思う。この現象がいわゆる医療崩壊の根源だ。

 最近もある市立病院で教授が医学博士の学位習得の御礼で30万円もらっていた、と報道された。こういった「お世話になりました」、の気持ちをお金で表す謝礼の制度は医師社会に限ったことでは決してない。文科系の友人の似たような話も知っている。私自身も先日、ネコ神様が動物病院に御入院なされ奉り、元気になられて帰ってこられたので、つい感謝の気持ちをお金で表した。

 社会が医者を厳しく見るようになった契機は、ある大学病院での「患者取り違え心臓手術事件」だろう。他にも原因はあるだろうが、勤務医受難を最も端的に表す現象は患者からの謝礼という、公立病院医師ならば本給を超える副収入の消滅が相当に大きいはずだ。税務追訴の及ばないほど昔の話だが、給料は大学病院並みの安さで有名な、某都立有名病院の友人は、「部長ならば1年で家が建つぐらいもらえるよ」などと自慢していた。「給料が振り込まれている銀行口座の通帳など見たことないよ」と言い切る友人もいた。

 この習慣の是非は別として、とにかく謝礼が消滅してしまったことで、皆が「こりゃあ、やってられないなぁ」との意識を露わにしたのだ。患者が「謝礼?えっ?なんで?」と感じるご時勢では一事が万事、これまでとは医者に対する姿勢は全く違っていて当然だろう。

 現象としての謝礼消滅と「人でなし」「それでも医者か!」「父を返せ!」「人殺し」などと患者側から罵倒される現況は表裏一体でもある。

 秩序なき医師社会で、現場の第一線の医師たちはまさに矢玉に倒れている。それを見つめる若手医師、研修医は、もっとましな職種として国会議員や芸能タレントも考えているだろう。

 そびえ立つ権力の座におわします御仁たちはご存じなのだろうか。

南淵先生の事をよく御存じない方に少しだけ補充知識としておくと、南淵先生の考え方の根底の一つに医局敵視があります。別に医局を敵視する医師が変ではなく、そういう考え方の医師は今やテンコモリいますが、かなり早い段階からそういう主張をされていた先生です。

エッセイは読んでもらえれば南淵先生の作品としては比較的筋が通って読みやすく、また南淵先生特有の露骨な批判表現は相当抑制されているので良質の方かと感じられます。少し分量がありますが主張を一点に絞れば、

    その原因は、「もともと安い給料の勤務医が患者から謝礼をもらえなくなったから」だと思う。この現象がいわゆる医療崩壊の根源だ。
かなり斬新な視点で驚かされました。いわゆる「謝礼」はかつては横行していました。家族が手術になればそれを待つ家族の話題が「あの先生なら幾らぐらいだろう」となっていた事も実際に見聞きしています。祖母も祖父も晩年はかなり大きな手術を行ない、父が相場を考えていた姿を知っていますし、父もまた2回の大手術を行ない、2回目の時は私が当事者になったので「そんな物は不要」として一銭も払わなくて親族の強い反発を受けたのも実体験です。

謝礼の慣行は時代と共に変わり、また診療科や医療機関により色合いが異なると思っています。小児科の特性なのか、それとも勤務した病院がたまたまそういう気風だったのかは判別できませんが、私はこの手の「謝礼」には残念ながらほとんど無縁でした。あんまり偽善ぶるのは良くありませんから「無かった」とは言いません。記憶として残っているのは、

  1. 海苔を紙袋に2つ(親御さんが海苔の養殖業)
  2. お菓子類(私は甘党じゃないので看護師に全部あげました)
  3. 現金
皆様の関心は現金になるでしょうが、これも記憶に残る限り2回で、1回は救急外来でつい入院させてしまった患者の親からです。「つい」と言うのはその頃、小児科病棟が閑散としてまして、部長から「入院を入れろ」の厳命があり、入院するほどではなかったのですが、親が「是非、是非、是非」と頑張ったためです。子供の治療は至極簡単だったのですが、問題は親の方です。

翌日精神科の先生から「やっと退院させたのに」のクレームが入り、よく聞くと激怒症(てな説明)で大変な患者だったそうです。そのため退院させるのに親から罵声怒声の雨霰を聞かされて散々な目にあいました。それでも、なんとかかんとか丸め込んで、ようやく退院の運びになったのですが、その時に「先生へのお礼」とポケットに突っ込まれたのが「謝礼」です。普段は断るのですが、ここでまた怒らせたらこれまでの段取りがパーになるので、しぶしぶ受け取った次第です。

もう1回は事情で内科病棟を受け持っていた時で、ここに生保のプロが巣食ってまして、この方に退院して頂くのにまたもや悪戦苦闘させられる羽目になりました。ここもまた何とか丸め込んだのですが、1回目と同様です。なんとか漕ぎ着けた話をぶち壊す度胸は無くしぶしぶ受け取った次第です。それ以外は記憶に無いですね。個人的に好きでないので、普段は「給料はもらってます」とか「料金のうちです」でそれ以上のやり取りは記憶にありません。開業してからもお菓子は年に数件ぐらいありますが、それだけです。

あくまでも個人の感覚と勤務した病院の気風と思いますが、

とにかく謝礼が消滅してしまったことで、皆が「こりゃあ、やってられないなぁ」との意識を露わにしたのだ。患者が「謝礼?えっ?なんで?」と感じるご時勢では一事が万事、これまでとは医者に対する姿勢は全く違っていて当然だろう。

私はどうもこの主張に違和感を感じてしまいます。とくに外科系の謝礼は多額であったとの噂を聞いたことはありますが、無くなったことだけで

    「こりゃあ、やってられないなぁ」
そんなに医師のモチベーションは下がったのでしょうか。南淵先生の表現では「皆が」ですから、全員とまで言わなくとも「大部分」はそうだと明言されています。これは「謝礼」が少なかった医師の単なる僻みに過ぎないのでしょうか。もっとも南淵先生の

現象としての謝礼消滅と「人でなし」「それでも医者か!」「父を返せ!」「人殺し」などと患者側から罵倒される現況は表裏一体でもある。

この状況分析は間違ってはいないと思います。ちょっと表現法に問題がありますが、医療に対する感謝の念が薄れ、代価を払ったからにはそれに対する目に見える代償を求める風潮が強くなっているのは、誰しも感じているところです。それでもそこから飛躍させて、謝礼をもらえなくなった事自体で医師のモチベーションが低下したのが医療崩壊の原因に結びつけるのは短絡過ぎるように感じてなりません。

もっとも南淵先生の「謝礼感覚」は紫色氏の裁判で検察側証人に立った時にその一端が示されています。これは裁判の証拠として正式に採用された内容です。

弁9
標目:横浜地裁2004年8月4日判決(判例時報1875号119頁)

作成者:横浜地方裁判所

立証趣旨:南淵が、自分の勤めている病院の医療過誤により死亡した元患者の遺族に協力したため解雇された」と発言したため、この発言が名誉毀損に該当するとして、南淵が勤務していた病院が南淵を訴えた裁判で、横浜地方裁判所が、南淵が退職したのは、病院に無断で他の病院でアルバイトをしたり、ベンツの供与を受けたりしたことが発覚したためであると認定し、南淵の上記発言は真実でなく、真実と信じるについて相当の理由もないとして、名誉毀損の成立を認めたことなど

私とは桁がかなり違う「謝礼感覚」のようなので、南淵先生ならモチベーションは医療崩壊するほど下がるのかもしれません。