6000円医療

後期高齢者医療制度の話は実は苦手です。重大な医療問題である事は百も承知ですし、解説を試みた事もありますが、どうにも実感として伝える事に成功していません。理由としては小児科医なので直接関係せず研究に力が入らなかったのは白状しておいても良いですし、サラッと解説しようとも複雑な制度のうえ、政府のプロパガンダ解説では難点を玉虫色にボカされて真相を読み解くのに非常な努力を要するからです。先日も後期高齢者医療制度強行採決したのは安倍政権と書いたら、きっちり「小泉政権時代だ!」とお叱りの訂正コメントが舞い込む始末です。

後期高齢者医療制度が成立した頃の出来事を少しまとめてみたいと思います。

     
Date 事柄
2005.9.11 郵政選挙
2006.2.18 福島事件逮捕報道
2006.6.13 後期高齢者医療制度強行採決
2006.8.24 堀病院強制捜査報道
2006.9.26 安倍政権発足
2006.10.17 奈良事件報道


大した年表では無いのですが、福島事件は2006.2.23に初めて取り上げ、2006.2.28にもう1回取り上げています。とくに2回目のエントリーは個人的にこのブログの大きな変換点になったエントリーですが、それでも後期高齢者医療制度が成立した頃にはまだまだ雑食系ブログが色濃く残っており、現在のようにひたすら医療崩壊を追っかけるスタイルには程遠いものです。ちなみに劇的に転換したのは奈良事件以降です。つまり後期高齢者医療制度強行採決された当時はまだまだ辺境ブログであったということです。

当時は「医師の偏在」や「医療費削減」の問題に手を出していた程度で、それもごく初歩的なレベルの話題に終始しています。後期高齢者医療制度なんて大きな話題に取り組むには程遠い状態であったと言えます。これは当ブログだけではなく、もっとも先鋭的とされる某巨大掲示板でもそうでしたし、m3あたりでも関心の中心は福島事件から堀病院事件、奈良事件に続く産科問題に向かっていたと記憶しています。関心を寄せていた医師もいたでしょうが、ネット医師世論でもまだまだマイナーな話題であったと思います。

小泉政権の後は安倍政権です。安倍政権が目指したのは「美しい国」。「美しい国」では漠然としていますが、安倍首相の政治信念は憲法改正であったのは常識でしょうし、憲法を改正する事により「美しい国」を作ろうとしたと単純に考えてもそんなに間違っていないと思います。一方で安倍政権発足時より最大の課題は参議院選挙をいかに乗り切るかであり、さらに参議院選挙の最大の争点だったのは年金問題です。当然のように後期高齢者医療制度与野党とも誰も触れない話題であったと記憶しています。もちろん触れたかもしれませんが世論の関心を呼ぶようなレベルでは無かったと思います。

むしろ話題になったのは福田政権になり、どう考えても総選挙対策としか思えない保険料凍結政策が打ち出された後のように思います。もちろんその頃にはネット医師世論でも後期高齢者医療制度は高い関心を持たれるテーマになっており、様々な批判が辛辣に行なわれています。私もそういう批判を読みましたし、自らも制度の解説を試みたりもしましたが、正直なところ「よく分からない」状態であったことを白状します。何度か「取り上げろ」のコメントも入りましたが、書くにかけない状態だったので浅薄な理解の上で皮相的な批判を行なうに留まっています。

現在でも「よく理解した」には程遠いのですが、浅いなりに分かってきた気がするのでもう一回トライしてみようと思います。



まずこの制度が必要とされた根本ですが、記憶に頼って書きますが、定番の「医療費削減のため」であったのは間違いありません。当時の議論として団塊の世代が高齢者になり、その医療費増大が必至となり、高齢者にその負担を行なってもらい「世代間の負担の公平を図る」が大義名分でした。さかんに飛び交っていたフレーズに「豊かな高齢者にも負担を」でした。サラッと聞いていると当時の改革ブームにマッチしており、「悪くないんじゃないか」と思わせるものでしたが、一方で「豊かな高齢者」ってどれほどいるのかに疑問を感じずにいられないものでした。

後期高齢者医療制度はその他の世代の保険と切り離して成立するのですが、これも少し考えると「何故切り離す必要があるんだ」につながります。医療者としてはやや毛色が違いますが介護保険なるものが従来の保険と切り離して成立され、結局医療費削減のために制度が徹底利用されているのに通じるものがあるんじゃないかと連想させるものです。介護保険はそれでも本来医療じゃないところへのカバーの色合いがありますが、後期高齢者医療制度は医療としての本質は従来の医療保険と変わらないわけであり、「なんのために切り離すんだ」はやはり疑問です。

もともとのキャッチフレーズである「世代間の公平な負担」のためであるなら、従来より高い負担ができる「豊かな高齢者」の負担を増やせばよいだけで、切り離して新たな保険制度を作らなくても良いという理屈も成立します。財政には素人なので雑な解釈で申し訳ありませんが、保険制度基本を考えると、医療に費やされた総費用を全員で分割して負担するものと考えています。その負担ルートが保険料であったり、税金であったり、窓口負担であったりしますが、回りまわれば国民の懐から出て行くものに過ぎないとの考え方です。

それなのにわざわざ分割した理由は去年ぐらいからはっきりしてきます。分割する事により従来の医療保険と別の料金体系にするのが真の狙いであるという事です。後期高齢者医療制度は医療費削減の目的のために作られているのは最初から変わっていませんが、従来の医療制度から切り離す事により料金を大幅にディスカウントするのが真の目的であったわけです。従来の医療保険の延長上の制度変更では、この作業は非常に煩雑かつ、強い抵抗が発生するため、制度ごと別立てにして新たな格安料金制度を作って医療費を削減しようと言うわけです。

制度の詳細は一言では説明しきれない複雑さがありますが、ごく簡単にしてみます。外来医療が分かりやすいので単純化して例にしますが、後期高齢者医療制度では患者が月に6000円(1割負担で600円、3割負担でも1800円)払えば残りの医療はタダです。その後、月に何回受診しようが、何回検査しようがタダです。これは一見患者にとってメリットのありそうな料金体系ですが、冷静に考えれば、

    1ヶ月6000円分しか医療を受けられない
これに尽きます。政府はこの疑問に対し繰り返し「これまでの医療となんら変わらない」と反論を行なっていますが、実態は、こういう制度を創設した事になります。うるさいぐらい宣伝された外来主治医制も、患者があちこちの医療機関を受診されたのでは6000円医療の管理が難しいので、一人の外来主治医に縛り付けて6000円医療を厳格に守ろうとの趣旨と考えれば理解しやすくなります。言い換えれば医療における患者治療の有効性、利便性をすべて犠牲にして6000円医療を厳守するためだけに外来主治医制を断行したと考えて良いと思います。

国側は医療者が必要とすれば後期高齢者医療制度であってもどんな治療、検査でも行えると主張していますが、医療はボランティアでも慈善事業でもありません。医師として医療を営利事業であると言うのには抵抗がありますが、収益が上らないと医療は継続できません。濡れ手に粟とは言いませんが、それなりに適正な利益が確保されないと開業医レベルではすぐに潰れます。いくら赤字が出ても親方○○が補填する公営事業とは異なるからです。

もちろんこういう考え方もあるとは思います。

    6000円診療は食べ放題の店と同じじゃないか
聞くところでは食べ放題の店の原価計算は非常にシビアだそうです。また少々の大食い自慢が食べようが赤字は出ないそうなんです。カラクリはいろいろあるようですが、食べ放題の店で赤字が出るほどの客とは、それこそギャル曽根だとか、ジャイアント白田、小林尊クラスが来襲したときぐらいと聞いています。そういう意味で赤字の出る客も存在しますが、殆んどの客は利益率の多少はあっても確実に利益は確保できます。だからあれだけ食べ放題の店が繁盛しているわけです。

医療ではそうはいきません。医療は公定料金が定められ、仕入原価の節減努力も多寡がしれています。病院クラスなら仕入原価の節減はまだ効果もあるでしょうが、診療所クラスでは本当に小さな部分しか占めません。検査も診療所なら外注検査ですが、この検査代も各社殆んど差がありません。薬品やその他の医療物品も同様です。これらの価格は公定料金が収入にはいる事を前提に設定されており、ある線以上の価格破壊は個人診療所レベルでは不可能です。つまり食べ放題の店が仕入れのマジックで99%の客に利益を確保できるのに対し、医療ではキッチリ6000円分の公定料金の枠内でしか収益が確保できない仕組みになっています。

これではまだ比喩が分かり難いと思いますので、もう少し言い換えてみます。相当昔で歳がばれるのですが、大昔に「がっちり買いましょう」という番組がありました。これはまずある金額が回答者に与えられ、スタジオ内に展示された値札の無い商品をその金額内で指定し、金額内のある一定の枠内であればすべてプレゼントするものです。当然欲張れば金額オーバーで商品はもらえません。

定額制医療とはこれに近いものと思います。「がっちり買いましょう」と違うのは、商品の値札が分かっている代わりに、買う必要のあるモノ(医療上必要な検査など)は6000円に関係なく存在してる事です。医師の医療上の判断でもそうですが、食べ放題の感覚の患者も確実に存在しますから、6000円の元を取る感覚で検査を要求するものも当然でてきます。6000円とはその程度で容易に足がでる金額です。つまり食べ放題の店を損させる客は例外的存在ですが、6000円医療で足が出る患者は高齢者では珍しくとも何ともないと言えば良いのでしょうか。

そういう状態での医療で何が起こるかは誰でも想像がつきます。医師は医療上の必要性も無視して6000円以内の医療に励まざるを得なくなります。もちろん医療上の必要性を重視して良心的に患者のためのみを考えて医療を行なう医師もいるでしょうが、そういう医師は経営上の問題で速やかに淘汰整理されるか、やむなく方針転換を行ないます。つまり医療の質を低下させて6000円で収益を確保できる医師のみが生き残る事になります。これは医師の良心とか、医師の倫理を越えたところで確実に強制されます。

ついでに言っておけば現在は6000円ですが、この額が当分上る可能性はありません。あがるどころか「高度の蓋然性」をもって2年毎に漸減されると予測しておきます。確実な予言として来年の夏ぐらいから後期高齢者医療制度の財源危機プロパンガンダが行われ、再来年春の診療報酬改定では財政改善のために診療報酬引き下げが断行されます。別に後期高齢者医療保険が破綻しなくとも、次回の診療報酬改訂でも機械的に医療費を2200億円削減していくのは、政府の決定された不動の方針ですから。