事故調対案を考える

最終試案との情報もある三次試案ですが一次試案の頃からの課題である、

  1. 診療関連死の定義
  2. 医療訴訟抑制対策
  3. 現実的運用の可能性
これらについてなんの回答もありません。具体的にわかるのは事故調報告を利用した厚労省行政処分権限の拡大だけです。それも医師が大動員されて行政処分対象者を自分の手で量産する構図です。それだけが確実に施行されるだけで、その他については医師側にメリットを見つけ出すのが非常に困難なものです。

三次試案について逐条的に絡み付こうかと思いましたが、やりだせば賽の河原の石積みになります。ボタンが3つぐらい掛け違えているのを途中から修正しようとしても無理なのと同じです。それでも批判するには対案が必要です。対案も何回か考えてはみたのですが、試案ベースに考えるとロクなものになりません。発想の基本を間違えているものを軌道修正するのはそもそも不可能な事が身に沁みて分かります。

そこで対案の発想を根本的に変えてみます。グチャグチャとオマケを考えずに医師が必要な事と、現実として変えられないものを突き合わせての事故調対案を考えて見たいと思います。

事故調に対して医師が求めているものは訴訟抑制効果です。本音で言ってそれしか期待していません。それ以外の事はオマケです。オマケと言うより不要な附録です。不要な附録を我慢すればせめて刑事免責が与えられるならまだしも、そんな気が微塵もない事ははっきりしてきましたので、不要な附録も捨て去ります。

そういう訳で今日の話の大前提は、

    刑事も民事も現在の枠組みでなんら変わりは無い
ここから話を進めます。そのうえで訴訟を抑制するための事故調対案です。医師が問題にしている訴訟は言うまでもなくトンデモ訴訟です。医師に明らかに責任のある訴訟に関しては興味の外です。医師が抑制したい訴訟はあくまでもトンデモ訴訟です。トンデモ訴訟の問題は起こされるだけでも大迷惑ですが、信じられない事に医師側がしばしば負けてしまうことです。さらにトンデモ訴訟の敗北はこれを判例として引用され、類似のトンデモ訴訟の敗北にまで波及し、さらなるトンデモ訴訟量産の呼び水になります。

この悪循環を断つにはトンデモ訴訟は必ず勝つことが必要です。トンデモ訴訟では勝てないことが分かれば訴訟は相当抑制できます。もっとも残念ながら完全には無くなりません。世の中は弁護士乱造時代に入っており、食うために小銭を稼ぐ弁護士は今後ドンドン増えていきます。食うための弁護士は依頼人の勝ち負けは念頭に無く、訴訟と言う仕事を確保するために行動しますからどうしようもありません。

好き嫌いはあるでしょうが、かつてモトケンブログで長い長い医療訴訟の議論がありました。そこでの結論の一つに、

    トンデモ訴訟の陰にトンデモ鑑定書あり
これは間違いない真実かと考えます。医師が辛うじて手にできるトンデモ訴訟の一次資料は判決文です。そこでの裁判長の判断に非難の声を何度か上げましたが、これは裁判官に対し片手落ちの感を持っています。裁判官の判断材料は原則として、法廷に持ち出された証拠、証言しかありません。被告側、原告側が対になって提出すれば、真っ当とトンデモが1対1で出されていても不思議ありません。そんな情報量で医療の素人である裁判官が常に正しい意見を選択できるはずもありません。どっちがトンデモであるかを判断する材料が無いからです。

モトケンブログの論議では「真っ当な鑑定医を選定できるシステムを構築するべきだ」までは進んでいましたが、現実として日々の臨床に超多忙な医師がホイホイと出れるわけも無く「正論だが実現困難」で議論は暗礁に乗り上げました。これはこれで当時としては限界であったと思います。

そこで事故調の出番です。昨日は事故調の必要人員を試算してみました。結論として、

    解剖医1002人、臨床医2505〜3006人
もちろんこんな数の医師など動員できるはずもありません。動員したら生きている人間の治療が出来なくなります。それでもどう考えても1000人程度は事故調には必要です。1000人では年間2000件の事故調調査は物理的に不可能ですが、医療訴訟の鑑定医としては十分な数だと考えます。現在の医療訴訟数はそれこそ年間1000件ぐらいですから、事故調調査は無理でも医療訴訟対応は可能だと考えます。

つまり対案としての事故調案は医療訴訟に対する中立の公的鑑定機関です。鑑定は科学的・医学的検討によって為され、人選は1000人の医師の中からもっとも相応しい者が選ばれるというわけです。1000人もいれば各診療科の専門家が網羅できるかと思います。またこの機関は裁判所が依頼する第3者の鑑定医として位置付けられるもとします。唯一といいたいところですが、原告、被告側が協力医として依頼するものまで排除する事は難しいと思うからです。その代わり、原告被告側からの依頼は受けないという仕組みにします。中立で公平である事が求められますからね。

実は医師にとってはこれでも不安の残るシステムです。鑑定医ですから独自の判断で鑑定書を書いてもらうのですが、この鑑定書は鑑定医の名前とともに公開するものとします。公開の目的は、鑑定内容が医学的に正統性をもつかです。ここでトンデモ鑑定を書けば日本中の医師から容赦ない批判が集まる事になります。もちろん医師だけでなく誰でも鑑定書に対する意見を自由に発表する事はできます。そういう評価システムを組み込んでおく事にします。公開時期は訴訟中であれば無用の混乱を巻き起こす懸念があるのなら、結審後でも構いません。幸い三審制ですから、最低2回は鑑定はできるかと思いますから、訴訟中にこだわる必要は無いと考えています。

こういう鑑定医システムが出来れば、トンデモ鑑定書の発生をかなり防げます。トンデモ鑑定書が減ればトンデモ訴訟の敗訴率が下がると考えます。トンデモ訴訟を起してもそう簡単に勝てないと分かれば、間接的に訴訟抑制につながると考えます。残念ながらこの対案では現実の不満をすべて解消できませんが、少なくともヌエのように正体の分からない、何を目的にしているかよく理解できない現在の事故調案よりも遥かに実用的でマシな機関になると考えます。



最後に誤解無い様に付け加えておきます。正論はあくまでも刑事免責を法的に確立した事故調の成立です。この方向性に異論はありません。本当は事故調問題と言うのは、今まで「謙抑的」で済ませていた医療訴訟問題を法的にはっきりさせる千載一遇の機会です。まさに天の時、地の利を得ていると言えます。ところが医師側の人の和がガタガタです。

三次まで出している試案は杜撰です。もっとも肝心である刑事免責問題は、触れると猛反発を食らうという懸念から棚上げ状態にし「玉虫色」でウヤムヤにしようという意図がアリアリと表れています。その「玉虫色」に有力学会レベルが賛成しつつあるのです。賛同に走り回っている学会幹部は正気かと問い詰めたい気持ちです。

「謙抑的」の根拠と言うか担保は「関係機関の調節」とか「合意文書の存在」であるとされますが、そもそもどんな内容か見たことはあるのでしょうか。内容として知らされているのは「謙抑的に行動するはず」という口頭の言葉だけです。これほど重要な問題を曖昧な説明だけで納得する神経が理解不能です。合意文書があろうとも内容が知らされていないのなら、限られた同意者がいくらでも恣意的な運営が可能になります。恣意的と言うか勝手に自由に解釈できます。さらに言えば完全に合意文書から逸脱しようとも法的に何の問題も生じない事になります。

一昨日の話の蒸し返しになりますが、合意文書の内容を熟知しているはずの警視庁の米田刑事局長の国会答弁をもう一度引用します。

現在検討されていますこの委員会の、枠組みの中では、刑法上の業務上過失はそのままでございます。で、警察は警察捜査をする義務がございます。従いまして、その患者さんあるいは御遺族の方からの訴えがあれば、それは私どもとしては捜査せざるを得ない。
 ただこの仕組みで期待されておりますのは、委員会で十分な調査が行われ、遺族の方々の処罰感情とかそういったものも解消されて、わざわざ刑事手続きにもってくることが少なくなるということが期待されているとは考えたいです。

非常に分かりやすく曲解の余地が極めて乏しい答弁です。あえてキモを引っ張り出せば、

    委員会の、枠組みの中では、刑法上の業務上過失はそのままでございます。で、警察は警察捜査をする義務がございます。従いまして、その患者さんあるいは御遺族の方からの訴えがあれば、それは私どもとしては捜査せざるを得ない。
「関係機関の調節」とか「合意文書の存在」はこの程度のもので、従来と何も変わらないと明言しています。この程度の根拠に小躍りする医師はやはり世間知らずの無邪気な善人集団であると改めて思います。