三六協定のお勉強

平成20年3月7日付基発0307006号「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」の一部改正についてなる通達が厚生労働省労働基準局長名で発せられております。これは平成18年3月17日付基発0317008号「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」の一部改正版です。書いてあることは立派なので今日はここから入ります。

まずは冒頭部です。

 長時間にわたる過重な労働は、疲労の蓄積をもたらす最も重要な要因と考えられ、さらには、脳・心臓疾患の発症との関連性が強いという医学的知見が得られている。働くことにより労働者が健康を損なうようなことはあってはならないものであり、この医学的知見を踏まえると、労働者が疲労を回復できないような長時間にわたる過重労働を排除していくとともに、労働者に疲労の蓄積を生じさせないようにするため、労働者の健康管理に係る措置を適切に実施することが重要である。

書いてあることには「何ひとつ」異論はありません。異論は無いどころか全面的に賛成なのですが、あまりの空々しさに苦笑せざるを得ません。だってこの通達の根拠になっている医学的知見を主張している医師自身が、過重労働で今にも総倒れになりそうだからです。これが皮肉に聞こえなかったら異常です。

皮肉は置いておくとして、この通達は冒頭部を読んでの通り、時間外労働を減らそうとするものです。減らすための大元に据えられているのが三六協定であるように感じます。労働基準法的には当然の考え方で、労働基準法の趣旨として時間外労働を認めないが大前提です。その大前提の上で三六協定を結べた事業所に時間外労働を許可する形式となっています。そうなれば労働基準監督局としては、時間外労働をコントロールするために三六協定の内容を見直させる作業となります。

つまりと言うかなんと言うかですが、締結されているはずの三六協定の内容の遵守や監視を強化すれば時間外労働の削減に結びつくと考えれば良いと思います。そういう文脈で読めば、

 限度基準に規定する限度時間を超える時間外労働を行わせることが可能な36協定を締結している事業場であって、労働時間等の設定の改善に向けた労使による自主的取組の促進を図ろうとするものに対し、都道府県労働局に配置されている労働時間設定改善コンサルタントも活用が図られるように措置する。

労働時間設定改善コンサルタントなるものが設置されて三六協定を活用して時間外労働を削減させる方針と受け取れます。ただここで良く分からないのは、労働局の本来の業務の一つに三六協定の監視も当然含まれていると思うのですが、わざわざ労働時間設定改善コンサルタントを新たに配置するというのが珍妙といえば珍妙です。外野からはよくわからないところです。

次のところも三六協定がらみなのですが、

 時間外労働は本来臨時的に行われるものであり、また、時間外・休日労働時間(休憩時間を除き1週間当たり40時間を超えて労働させた場合におけるその超えた時間をいう。以下同じ。)が月45時間を超えて長くなるほど、業務と脳・心臓疾患の発症と関連性が強まるとの医学的知見が得られている。このようなことを踏まえ、事業者は、労働基準法(昭和22年法律第49号)第36条に基づく協定(以下「36協定」という。)の締結に当っては、労働者の過半数で組織する労働組合又は労働者の過半数を代表するものとともにその内容が「労働基準法36条第1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」(平成10年労働省告示第154号。以下「限度基準」という。)に適合したものとなるようにするもとのする。

 また、限度基準第3条ただし書又は第4条に定める「特別の事情」(限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる事情)を定めた36協定については、この「特別の事情」が臨時的なものに限るとされていることに留意するものとする。さらに、月45時間を超えて時間外労働を行わせることが可能である場合にあっても、事業者は、実際の時間外労働時間を月45時間以下とするように努めるものとする。

 さらに、事業者は、休日労働についても削減に努めるものとする。

ここで気になるのは平成10年労働省告示第154号「労働基準法36条第1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」です。この通達では限度基準としていますが、「第3条ただし書又は第4条」とは何ぞになります。

まず第3条です。ここは「一定期間についての延長時間の限度」と題されており、

第三条

 労使当事者は、時間外労働協定において一定期間についての延長時間を定めるに当たっては、当該一定期間についての延長時間は、別表第一の上欄に掲げる期間の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲げる限度時間を超えないものとしなければならない。ただし、あらかじめ、限度時間以内の時間の一定期間についての延長時間を定め、かつ、限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情(臨時的なものに限る。)が生じたときに限り、一定期間についての延長時間を定めた当該一定期間ごとに、労使当事者間において定める手続を経て、限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨を定める場合は、この限りでない。

読みにくいお役所文ですが、まず別表第一の時間区分に応じ限度時間が設定されており、それは超えてはならないとしてます。まずその別表第一を掲げます。

期間 限度時間

一週間

15時間

二週間

27時間

四週間

43時間

一箇月

45時間

二箇月

81時間

三箇月

120時間

一年間

360時間


ここで「ただし書」なるものがあり、まず「特別の事情」として、
    あらかじめ、限度時間以内の時間の一定期間についての延長時間を定め、かつ、限度時間を超えて労働時間を延長しなければならない特別の事情(臨時的なものに限る。)が生じたときに限り
限度時間を超えて時間外労働を行なわなければならない「特殊な事情」が出てきたら、
    当該一定期間ごとに、労使当事者間において定める手続を経て、限度時間を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨を定める場合は、この限りでない
限度時間を超えても「特別の事情」があれば時間外労働を行わせても許されるが、これはあくまでも臨時的であり、なおかつ労使間で限定された期間ごとに協定を結ぶ必要があるとしています。時間外労働が限度時間を超えても労使が納得していれば許されると解釈しても良いかと思います。

次に第4条です。ここは「一年単位の変形労働時間制における一定期間についての延長時間の限度」となっています。

第四条

 労使当事者は、時間外労働協定において法第三十二条の四の規定による労働時間により労働する労働者(三箇月を超える期間を同条第一項第二号の対象期間として定める同項の協定において定める同項第一号の労働者の範囲に属する者に限る。)に係る一定期間についての延長時間を定める場合は、前条の規定にかかわらず、当該労働者に係る一定期間についての延長時間は、別表第二の上欄に掲げる期間の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲げる限度時間を超えないものとしなければならない。

2 前条ただし書の規定は、法第三十二条の四第一項の協定が締結されている事業場の労使当事者について準用する。

これは労働基準法32条の変形労働時間の協定を締結しているものの時間外労働の限度基準のようです。これに関しては今日はこれ以上触れません。

話が煩雑になってしまっているので要約すると

  1. 時間外労働は労働基準法で禁じられている
  2. 時間外労働をさせるためには三六協定を労使で結び許可を得る必要がある
  3. 認められる時間外労働時間も通達で定められている
  4. 限度時間は通達で定められているが、さらに三六協定の内容により限度時間を超える時間外労働の設定も可能である
  5. もっとも厚生労働省の基本方針として時間外労働の削減は医学的知見に基づき進められている
さらに付け加えると現実の三六協定の実態として、通達の上限である月45時間を超えての協定は十分可能です。この件については具体的事例に対し厚労省に疑義照会がなされ、ここでは直接引用できません(そういう約束なもので)が、労使さえ合意していれば「特別な事情」により自由に時間外労働時間の設定ができるというものです。もちろん自由と言っても限度があり、そこは労働局の裁量になりますが、60時間程度なら余裕でOKとなります。

長々とした解説になってしまいましたが、ここでネット医師の間で話題になった産経新聞掲載の久坂部羊氏のコラムを引用します。

【コラム・断】医師に労基法はそぐわない

 先日、ある新聞の1面に「救命医宿直7割『違法』」という記事が出た。救命救急センターの当直が労基法に違反しているとの内容である。医師の激務の実態を報じるのはいいが、そこに労基法など持ち出しては百害あって一利なしだ。

 記事には、労基法上、残業などの時間外労働は原則、月45時間までとか、労基法に違反すると、労働基準監督署が改善指導し、従わない場合は書類送検することも、などとある。医療にそんな建前が通用するわけがないではないか。それとも、治療を求める患者を前に、医師が労基法をたてにして、病院に権利主張ができるとでもいうのか。

 医師に労基法を適用して、臨床研修制度が大きな矛盾を抱えたことは記憶に新しい。研修医に30万円程度の給料を保障したため、指導医のほうが安月給になったり、週末や当直明けを休みにしたため、研修医の一部が、医師のありようを学ぶ前に、休暇の権利を覚えたりするようになった。

 医師の勤務が労基法に違反している云々(うんぬん)などは、現場の医師にとっては寝言に等しい。医師の激務や待遇の改善は必要だが、今さら労基法を当てにする者など、まずいないだろう。万一、医師が労基法の適用を求めだしたら、現場はたいへんな混乱になる。

 患者の治療よりも、労基法の遵守を優先すべきだとまで主張するならいいが、そうでなければ、表面的に「違法」をあげつらうのは、単なる絵空事にすぎない。(医師・作家 久坂部羊

これについてはかなり強い反発が出ていましたが、私も今どきのネット医師に労基法を持ち出すなら、もう少し勉強してから書かれてはどうかと思います。久坂部羊氏の労基法に関する知識は記事を読んだだけとして良いかと考えます。その証拠に、

    記事には、労基法上、残業などの時間外労働は原則、月45時間までとか・・・
ここは記事情報以上の労基法については知識に乏しいと言っていると素直に考えられます。その程度の知識で、
    労基法など持ち出しては百害あって一利なしだ
ここまで断言するのは浅薄の謗りを免れ得ないと感じざるを得ません。
    万一、医師が労基法の適用を求めだしたら、現場はたいへんな混乱になる
たしかに混乱するでしょうが、混乱するのは患者に対する臨床現場ではなく病院側ないしは国策としての医療費削減路線の方です。これを説明するために長い前置きを書いたのですが、労基法に従って時間外労働をするためには三六協定の締結が必要です。結んだ上で時間外労働の上限を決めなければなりません。一般的にと言うか、通達では月に45時間までとなっているのは記事の通りです。しかしそれを上回る時間外労働時間の三六協定を結ぶ事は可能です。平成10年労働省告示第154号「労働基準法36条第1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」の第3条のただし書に明記されています。

もっとも第3条のただし書の「特別の事情」で限定された時間外労働時間の延長の手続きは労使による合意が必要です。厄介かもしれませんが不可能な事ではありません。その作業は病院側に大混乱をもたらすかもしれませんが、患者に対する臨床現場には無縁の作業です。つまり現場は混乱しないという事です。また第3条のただし書を拡大解釈して常時用いる事は好ましくありませんが、それこそ医療現場で許容せざるを得ない「特別の事情」、すなわち目前の患者に対し労基法を盾に診療拒否、診療中止を行なうような医師はまずいません。やれば訴訟沙汰になります。

また時間外労働に対しての手当を三六協定に従ってキッチリ払えば人件費の増加は鰻上りになります。当然のように病院の経営はさらに傾き、病院を救済するために医療費削減政策どころか医療費増加政策をやらざるを得なくなります。病院側も国も大変な事になるでしょうが、それと患者に対する臨床現場は基本的に関係ありません。

ネット医師の意識の変化は流動的で幅もかなりのものがあります。ネット上の匿名意見では相当過激なものは飛び交いますが、現実はもっと地道な待遇改善を基本にしています。月45時間以上の時間外労働が無くなれば言う事はありませんが、それを日本中の勤務医が遵守したらあっと言う間に医療は崩壊します。そんな事はよく知っていますし、一部の過激な論者以外はそこまでの実行には意識はまだ遠いものです。

勤務医が何を望んでいるかですが、働いた時間の正当な評価です。違法の当直夜勤も含めると月に軽く100時間は超える時間外労働を行っているのに、その事が認められない苛立ちです。時間外労働は時間外労働としてキチンとカウントしそれに対して正当な対価をもらう。まずこれが当座の要求で、本来さらに重要な時間外労働時間を限度時間内に収めるは「速やかなる改善努力」を要求するです。悲しいかな医師の絶対数が足らない事まで知っているのです。

また、

    患者の治療よりも、労基法の遵守を優先すべきだとまで主張ならいいが
これもまた見当ハズレの見解です。少なくとも久坂部羊氏より昨今の医療事情について詳しいつもりですが、久坂部羊氏の言うような主張はあまり聞いた事がありません。あったとしてもまだまだ少数意見です。勤務医が求めているのは、
    労基法を遵守しながらも患者の医療を行なえる労働環境の実現
それも一遍に全部ではなく、可能なところ、直接患者に迷惑のかからないところから遵守しようです。それぐらいの事は半日ぐらい医療系ブログを巡回するだけで十分わかるはずです。まだまだ患者の治療より労基法遵守を絶対優先としている意見は少数派です。これはネットですらです。

勤務医が要求している労基法の遵守の目的は、

  1. 時間外労働を正規にカウントする事による医師の労働時間の正当な評価
  2. 当直と言う名の違法夜勤の実態を表沙汰にする事により医師不足の実態をより浮き彫りにすること
この二つを明確化することにより、未だに「医師不足でなく医師偏在である」の妄言を放逐し、医療費大幅削減路線の愚策を明らかににすることです。久坂部羊氏が雑に結論付けた、
    表面的に「違法」をあげつらうのは、単なる絵空事にすぎない
ネット医師でさえ全勤務医が月45時間以内の時間外労働で医療が回ると考えていません。これを実現するためには医師の増加が必要であり、増加させるためには未だに公式見解として続いている「医師は足りている」の呪文を撤回させないと始まらないと言うことです。

ネット医師が労基法を持ち出しているのは、医師の勤務状態が労基法に対して些細に違反している事を問題視してのものではありません。別世界と言うほど異様な世界である事を問題視しているのです。さらに言えば、別世界の異様な世界である事を当然の前提にして、さらなる労働強化が平然と行なわれているのです。別世界の異様な世界でも過酷であるのに、そのうえに鞭打たれたら医師だって悲鳴も上がります。

医療界に長年の間、慣習として行なわれてきた労働実態はaccess、cost、quallityの三条件成立と言う医療の奇跡を起しました。ただし絶対矛盾である三条件の成立は相当どころでない無理があります。これから先も三条件の成立をそれなりに維持していこうとすれば、costの上昇は避けられないものです。ところが国策は三条件成立が当たり前の前提としてcost大幅削減に走ったのです。そうなれば非常に危うい環境の下で成立している三条件の成立は瓦解します。

医師が労基法を持ち出しているのは、もう奇跡の維持が無理だとの訴えです。costを大幅削減しながら奇跡を維持せよなどは「単なる絵空事」に過ぎ無いという事です。accessとquallityだけでも維持するためにcostをもっとかけるべきだの主張です。決して表面的な「違法」をあげつらっているわけでなく、医療成立の根本問題についての根源的な主張であるわけです。

ただし現状は手遅れ状態に突入しています。ほんの2〜3年前なら三条件成立のためのcost上昇は小幅なものでも十分効果はあったと思います。ところが実際に行われているのは、ひたすらの大幅削減です。この大幅削減により医師の意識は激変しています。

    研修医の一部が、医師のありようを学ぶ前に、休暇の権利を覚えたりするようになった
これに関しても当初あった批判よりも「見習うべきだ」の声がドンドン大きくなり、その声の増加は止まるところを知りません。ですから、
    医師の勤務が労基法に違反している云々(うんぬん)などは、現場の医師にとっては寝言に等しい
寝言の時代は1年以上前に終わり、本音として守るべき権利は守ろうが噴出しているのが実態です。

久坂部羊氏は作家でもありまだ医師でもあるそうですが、ただの作家として発言するのは医師として気にもしません。しかし医師の立場として発言されるのなら噴飯物です。それも医師の多数派の声を代表するような高圧的に発言されるのなら、医師のルールに従って反論されるのは当然と受け取っていただきたいと考えます。医療では自由にいかなる理論でも発表できますが、一方で遠慮会釈なく批判反論も出来ます。これは年齢経験に関係ありません。一番批判されるのは実地を知らずに机上の空論を弄ぶ医師だという事もです。

久坂部羊氏は労基法に疎いようですが、労働者としての勤務医が時間外労働を課される根拠である三六協定すら多くのところで存在しない事を存じ上げておられるのでしょうか。多分存じ上げていないと思います。もっと言えば三六協定すら御存じないと考えます。今日のエントリーに書いた三六協定のお話はネット医師ならもはや常識レベルです。せめてこれぐらいはお勉強されてから御高説を書かれる様にお勧めします。