割り箸訴訟民事・鑑定意見比較

平成12(ワ)21303損害賠償からなんですが、鑑定意見の列挙部分があります。医療訴訟において医師の鑑定書や意見書は影の主役と言ってよく、裁判官はこの意見だけで医療の正しさを判定している部分は大です。大と言うより、法廷に提出された材料のみで判断するのが訴訟の原則ですから、すべてと言って良いかと思います。しばしば裁判官の偏向判断を批判しますが、鑑定書や意見書に偏向があれば仕方が無い部分とも考えられます。

通常は判決文の中から鑑定意見の内容を推測する事が多いのですが、この判決文ではかなり詳細に書かれています。今日はそのうち「救命の可能性」について書かれた部分を並べてみます。相当興味深い内容です。8人の医師から7つの意見が出ていますのでチト長いですが、まずはお読みください。

K医師(法医学医)

 死因は,軟口蓋から頭蓋内に達する刺創による頭蓋内損傷群と考えられる。頭蓋内損傷群の具体的内容は,

  1. 脳損傷(左小脳半球)
  2. 左内頸静脈損傷
  3. 硬膜下出血(24ミリリットル):主として上記2.,一部は1.から生じたものとみられる
の3種類が主体であり,さらにこれらに伴って生じたとみられる
  1. 髄膜炎(異物の侵入から生じた感染症
  2. 硬膜静脈洞血栓症(内頸静脈損傷に伴うもの)
  3. 脳浮腫(脳の循環障害)
などが解剖所見として認められる。

 脳はそれ自体(1.)の損傷に加えて,硬膜下血腫(3.)によって圧迫され,このような脳圧迫・脳損傷に加えて硬膜静脈洞血栓症に伴う脳の循環障害によって高度の脳浮腫(6.)を生じて結果的に致命的な脳機能障害に至ったものと考えられる。感染による髄膜炎(4)も脳浮腫を生じる過程で悪影響を及ぼした可能性がある。

 このようなことから,本例では脳自体の損傷,硬膜下血腫に加えて頸静脈孔から割りばしが刺入したことによる静脈血栓症を伴っていたことが,致命的な脳浮腫の成因の1つとして特徴的であるといえる。イ割りばし片が頸静脈孔から( ) 頭蓋内に至ったとの診断がついた場合,本例における治療法は,開頭手術を施行して異物(割りばし片)の除去,血腫の除去,減圧,内頸静脈損傷部の止血を行った上で,脳浮腫と髄膜炎に対する強力な内科的療法を併用することになるであろう。

 しかしながら,比較的軽いとはいえ脳自体の損傷があることや合併損傷の程度,損傷部位へのアプローチの困難さ,年齢(小児は頭蓋腔の余裕が少ない)などの悪条件を考慮すると,迅速な診断に基づいて外科的・内科的な処置が適切になされたとしても,致命的な脳浮腫を生じた可能性も十分にある。

本例と全く同じ損傷形態を示す事例が過去に認められないので明確にはいえないが,大学病院程度の規模の病院に入院して適切な治療がされたとしても,救命できた可能性は50パーセントないしそれ以下ではないかと思われる。

V医師(脳神経外科医)

 脳損傷による浮腫が生じ,頭蓋内圧が上がって血液の循環が悪くなり浮腫の範囲が広がり,さらに硬膜下血腫によっても内圧が上昇し,血腫と脳浮腫(脳腫脹)によって脳幹を圧迫し,呼吸障害で死亡した。血栓症はそれほど影響していない。

 集中治療室が備わり,状態をゆっくり観察することができ,タイミングを逸することなく手術が行えるような設備があり,ある程度の経験を有した脳外科医が複数存在するような施設であれば,90パーセント以上救命できる。

Y医師(脳神経外科医)

 本例では,静脈洞の血栓により,平成11年7月11日午前6時前後以降に急速な脳腫脹が生じ,脳内圧が上昇して脳ヘルニアが起こり,脳幹を圧迫して呼吸が停止した。

 仮に,受診直後にCT撮影をして小脳内に空気が見られた場合,3時間程度後に再度CT撮影を行って,血腫の大きさや脳の腫れの程度を観察するが,いかなる処置をするかは患者の意識の変化を重要視する。Dは,同日午前6時ころの原告Cの問いかけに反応しており,意識レベルはそれまで変化していないと考えられるため,経過観察のため入院させたとしても,外科医としては緊急性を感じなかったと思われる。そのため,血腫を取り除いたり,減圧開頭術を施すという対応にはならない。DをICUに収容して心臓のモニター中に急に心停止が起こった場合,間髪を入れず人工呼吸や心臓マッサージをしても,若干の延命はできても救命は難しい。

そうすると,本件における救命確率は極めて低く,限りなくゼロに近い。

a医師(脳神経外科医)

 死亡の直接の原因は,脳自体の損傷でも硬膜下血腫でもなく,静脈血栓症ができて脳の還流障害が起き,それによって広範囲の脳浮腫及び脳腫脹が生じたことによる脳幹障害である。脳幹部にも脳浮腫が及んでいる。非優位側の静脈が閉塞した場合も,優位側からの導出不足(積み残し)によって脳の還流が少しずつ阻害されていくことはあり得る。

 治療は,血栓が生じないように割りばしが刺さった側の頸静脈孔の血液の流れを保ちながら行う必要がある。薬剤を使用して血栓の進行を抑えることができても6時間が限界であるが,CT,MRI,ディスカッションに3時間以上はかかることからすると,それを終えるころには,既に血栓ができつつあると考えられる。直接的に外傷により静脈洞全体が傷ついた場合の止血が困難であり,割りばしで損傷した頸静脈孔の血管の再建も極めて難しいことからすると,血栓により広範囲な脳浮腫が起こり脳幹の機能を途絶させることは避けられない。

 救命率は,良くても5パーセント程度である。

b医師(脳神経外科医)及びc医師(脳神経外科医)

 死亡原因は,割りばしの頭蓋穿通により生じた後頭蓋窩の急性硬膜下血腫及び小脳半球の挫傷による小脳扁桃ヘルニア及び上行性テント切痕ヘルニアである。水頭症は二次的病態として頭蓋内圧亢進に寄与した。左側の頸静脈孔における静脈洞閉塞が頭蓋内圧亢進に寄与した可能性は否定できない。

 後頭蓋窩血腫は,死因につながる最も重要な要因であり,これにより左の小脳半球そして第4脳室が押され,後頭蓋窩腔の圧が高くなった。静脈還流については致死的な障害ではない。

 硬膜下血腫を除去し,減圧開頭術を施せば,80ないし90パーセント救命できる。

d医師(脳神経外科医)

 死亡原因は,左側の頸静脈孔に割りばしが貫通したために,頸静脈が損傷を受け,その結果,静脈洞内に血栓が形成され,そして,静脈洞が完全に閉塞した結果,大脳,小脳,脳幹に著しい脳の腫れが生じたために起きた頭蓋内圧亢進である。水頭症は二次的病態として頭蓋内圧亢進に寄与した。

 割りばしの頭蓋穿通により生じた後頭蓋窩の急性硬膜下血腫及び小脳半球の挫傷によって,小脳扁桃ヘルニア及び上行性テント切痕ヘルニアが起きたという確証はない。ただし,後頭蓋窩の急性硬膜下血腫及び小脳半球の挫傷は,副次的に,上記頭蓋内圧亢進に寄与した可能性は否定できない。

 脳全体の重量が1510グラムと異常に重くなっている(4,5歳児の脳脳平均重量は,せいぜい約1240グラムであ。),すなわち,血腫量から説明できない脳腫脹がみられること,比較的意識状態が良いにもかかわらず頭蓋内圧が亢進することは,静脈洞血栓症の臨床的な特徴である。そうすると,本件においては,割りばしが静脈洞を貫通し,内皮の損傷及び割りばしという異物の存在により静脈洞に血栓が形成され,静脈洞が完全に閉塞した結果,頭蓋内の静脈内に血液のうっ滞が生じ,大脳,小脳,脳幹に著しい脳浮腫及び脳腫脹が起こり,それによって頭蓋内圧が亢進し,脳血流の低下,脳幹の循環障害を経て心停止に至った。小脳半球の挫傷や水頭症は副次的なもので,硬膜下血腫を除去しても救命できるものではない。

 静脈洞を修復し再建することは不可能である。血栓による静脈の循環障害がもたらす脳の腫れを回避することができなければ,死亡は避けられず,低体温療法などの保存的な集中治療に期待して数パーセント助かる可能性があるかもしれないという程度である。

e医師(法医学医)

 小脳刺創及び左内頸静脈刺創によって生じた硬膜下血腫(主として後頭蓋窩)や小脳浮腫が,急性閉塞性水頭症及びこれによって発生した脳浮腫や脳腫脹とともに小脳扁桃ヘルニア及び上行性ヘルニアを発生させ,最終段階においては,呼吸中枢や循環中枢の重篤な障害が起こり,これにより低酸素血症が誘発され,脳浮腫・脳腫脹がさらに悪化し,それまでに生じていた水頭症とともに,中心性ヘルニアの影響が加わり,一気に小脳扁桃ヘルニアが悪化し,延髄を圧迫し,呼吸及び循環麻痺によって急死した。

 静脈洞血栓症が発生していたことを示唆する所見はなく,死因は静脈洞血栓ではない。

 後頭蓋窩を開放し,硬膜下血腫及び小脳挫傷部の処置により頭蓋内圧の減圧治療を実施すれば,相当な延命効果が期待できた可能性が高い。なお,救命の可能性については,左内頸静脈部の損傷の回復が可能か否かによる。

まとめると


鑑定医名 診療科 救命判断
K医師 法医学医 救命できた可能性は50パーセントないしそれ以下
V医師 脳神経外科 90パーセント以上救命できる
Y医師 脳神経外科 救命確率は極めて低く,限りなくゼロに近い
a医師 脳神経外科 救命率は,良くても5パーセント程度である
b医師及びc医師 脳神経外科 80ないし90パーセント救命できる
d医師 脳神経外科 数パーセント助かる可能性があるかもしれないという程度である
e医師 法医学医 相当な延命効果が期待できた可能性が高い


見事にバラバラです。医学で見解の分かれることは全然驚きませんが、分かれ方がちょっと極端です。脳外科医でも高率救命可能派が3名、ほぼ絶望派が3名で真っ二つです。ごく単純に原告派と被告派の色分けで良いかもしれませんが、どの医師もそれなりの肩書きを持った医師と考えられますから「う〜ん」です。

脳外科は門外漢なので、内容についての専門的な言及は避けたいのですが、あんなところに割り箸が突き刺さって「ほぼ救命できる」の意見は、医師としてやや信じ難いと感じております。もっとも意見を書いた医師にはその自信があるのでしょうが、事故調が出来たとしても、調査に当る医師の識見でかなり左右されそうで背筋が寒く感じています。