・・・とあるお話

たまたまですが、ある元裁判官の方と話をする機会があり、そこからの四方山話で聞いたお話です。ちょっとぼやかしているのは、ブログに書くのは構わないが、出所はぼやかして欲しいとの断りがあり、またあくまでもその方の経験、知っている範囲の事であって、裁判官全員に一般化できるかどうかはわからないとの事です。

話は民事訴訟だったのですが、まずは民事訴訟の原則です。民事訴訟はあくまでも当事者の紛争の解決のためにあるということです。これはさすがに私も知っていましたから「ハイハイ」と聞いていました。判断する材料も法廷内に提出された、双方の主張、それを裏付ける証拠、証言によってのみで判断されるという話もフムフムと聞いていました。この辺は私でも常識で、訴訟の基礎の「き」に当るところです。

話はそうやって審理が終了して、判決を考える部分に進みます。どういう風に判断をするのかの話です。裁判官の倫理は高く、判決は誰かの意見を伺って書くものではありません。あくまでも裁判官が一人で判断し決定するものです。原則は先ほど書いたように法廷内での主張、証拠、証言のみで法律的に判断されます。原則はそうなんですが、ここで参考にされる資料が出てきます。類似判決の判例です。

別に変なお話ではなく、法律の解釈に判例が引用される事は珍しくありません。明記して引用される事もありますし、明記されずともその趣旨が引用される事も数多くあります。まったく新規のケースならともかく、ほとんどの訴訟には類似判例があります。後はもちろん裁判官独自の判断になりますが、やはり裁判官も人の子で、判例があればそれに近いものにしようとする傾向があるそうです。

それと法廷外の情報には左右されないと言っても、裁判官だって新聞も読みますし、テレビも見ます。週刊誌の類ももちろん読む事があります。今ならネットも読んでいないとは限りません。無意識、有意識のうちにそれに影響されないとは言い切れないとも話していました。ではそういう行為が完全に排除されるのが望ましいかといえば、そうでもないらしいのです。

10年ぐらい前に司法改革と言う流れが出たそうです。私はうろ覚えなのですが、「裁判官に市民感覚を」とか「裁判官に常識がない」とかの批判キャンペインが展開されたそうです。そういう流れの一つの結論が裁判員制度であると考えても良いそうです。弁護士増産も同じようなものだと話していました。

市民感覚」「常識」を求められるからには、マスコミ情報を知っている事は裁判官の判断の上で必ずしも罪悪と言えなくなったとのニュアンスで語っていました。この辺は法律関係者特有の非常に微妙なニュアンスだったので、私の記述も正確でないかもしれません。

とにもかくにも訴訟における裁判官の判断材料として、

  • 法廷内の主張、証拠、証言
  • 類似判例
  • マスコミその他の情報(あくまでも非公式)
こういうものが頭に渦巻くようです。マスコミその他の情報は置いておくとして、類似判例の検索が容易ではなかったようです。現在は変わっているかも知れませんし、裁判官によって異なるかもしれませんが、その裁判官の話では自分で判例を集めるのだそうです。

その辺はさすがにどこにでも業者がいて、判例集なるものが刊行されるそうですが、判例集を作るについても制約があります。公判ですから判決文は閲覧できるのですが、コピーを取る事は原則できないそうです。またメモを取ることも実情としては可能な面があるそうですが、おおっぴらに行う事は難しいそうです。

そうなると判例の収集元は、裁判所が公認で公開している判決文、これは裁判所のHPとしてあります。それから当事者が刊行を許可した判例があります。判決文は訴訟の当事者の所有物になりますから、当事者が公開に同意すれば収集できます。そこから集まったものが判例集として裁判官が判断の材料とすることになります。

問題なのはそういう判例集には自然にバイアスがかかる事です。裁判所が独自に選び公開している判例は、いわゆる重要判決、今後の判例として参考にすべきものもありますが、単に珍しいぐらいの判断基準で選ばれるものが少なくありません。医療訴訟では、原告勝訴率が他の訴訟に比べると低いですから、原告勝利というだけで選択されるケースも無いとは言えないそうです。

また当事者からの判決文の提供も、医療訴訟では病院側が勝訴しても自ら公開することは珍しく、原告側が勝利した場合に公開されるケースの方が遥かに多いとされます。ここらあたりも、もちろん「そう感じる」あたりのニュアンスとお考え下さい、決して断言しているわけではありません。私も話しながらしっかりした言質をとろうと努力しましたが、スルスルと逃げられました。さすがは法律関係者です。

ただそういうバイアスがかかった判例集を読めば、判決に偏りが出る傾向はあり得るだろうとの話ぐらいはしてくれました。類似判決を幾つか読めば、「なるほどこの手の訴訟は、この当たりの判決が裁判所では一般的なのだ」の思考の展開です。判例を参考にするのは手段として間違っていませんが、参考にする判例にバイアスがあれば判決に偏りが生じ、さらにその判決は判例になりますから、さらにバイアスが強くなる悪循環です。

「すべての類似判決を読むわけではないのですか」と質問したところ、「独力では到底無理だったし、当時はそんなもの自体が存在しなかった」と返答がありました。言わなかったですが、言外に「時間がない」もあるとは考えています。裁判官の多忙さも半端じゃないですからね。どうも現在では判決文の全集が出来上がっていそうだとも話していましたが、たとえあっても全部読むのは無理じゃないかとも言っていました。ものによっては膨大な数の判決文が存在するでしょうから、物理的に難しそうなのは十分想像できました。

とは言え「すべてに目を通していない事でデメリットは無いのか」の質問に対し、これは民事訴訟の原則に戻ってしまい、民事ではあくまでも当事者間の紛争の解決のためにあり、必ずしも類似のすべての事例に通用するような判決にする必要は無いので、問題は無いとの返事でした。

う〜ん、と唸ってしまいしたが、実情はそんなものかも知れません。冒頭に元裁判官と書きましたが、「元」ですから現弁護士です。弁護士の立場からこうも話しています。判例収集はやはり裁判官の方が有利で、時にほとんど公開されていないような判例を持ち出してくるから困る事があると。そこまでになると私ではなんとも言えない世界になります。医療論争で言えば「そんなペーパーどこから見つけてきたんだ」みたいな感じでしょうか。

最後に奈良事件の事を聞いてみました。奈良事件そのものというより、注目される裁判を担当する裁判官の心情です。やはりかなり違うようです。大きな声では言えないとしながら、力の入れようが変わってくるそうです。どう変わるのかは言を左右して逃げられてしまいましたが、通常とは判断基準が若干異なってくる部分が無いとは言えないそうです。

そういう中で「ネット情報も影響しますか」と食い下がったのですが、笑いながら「裁判官でも読んでる人は読んでるだろうけど、実際の影響はどうですかね・・・」で話題を変えられてしまいした。さすがに法律関係者、核心部分になると上手に話をはぐらかされます。それでも何とかここまで聞き取っただけでヨシとしましょう。

最後にもう一度。上記のバイアスがかかる云々はあくまでも元裁判官の限られた個人的な体験談であり、決して一般的なものではないと言う点です。くどいほど念を押されましたので、皆様、くれぐれも誤解無い様にお願いします。