通達を嗤ふ

「疾病又は事業ごとの医療体制について」(平成19年7月20日医政指発第0720001号)には興味深い事が幾つも書かれています。全部で132ページという大部な通達なので全部に目を通せたわけではありませんが、昨日に引き続き「救急医療の提供体制」のところからピックアップしたいと思います。

いろんな思惑が込められていると思うのですが、「搬送手段の多様化とその選択」として、

 従来の救急車に加えドクターカー、救急医療用ヘリコプター(ドクターヘリ)、消防防災ヘリコプター等の活用が広まりつつある。

 ヘリコプターによる救急搬送については、ドクターヘリが10県で運用され年間4千件余りの出動件数を数え、消防防災ヘリコプターについても全国で70機が運用され、救急搬送のために年間2千5百件近く出動している。

 現状では、救急搬送全体に占める航空機の利用はわずかであるが、今後は、緊急度が高くかつ適切な医療機関への搬送が長距離に及ぶ患者に対しては、ヘリコプター等の利用が期待される。

 また、消防機関の救急救命士等が、メディカルコントロール体制のもとに適切な観察と判断等を行い、地域の特性と患者の重症度・緊急度に応じて搬送手段を選択し、適切な医療機関に直接搬送できる体制の整備が重要である。

ヘリは好きですね。もちろんドクターヘリの価値を全否定するつもりはありませんし、地域によっては不可欠な搬送手段である事も認めます。ただし日本においてどれだけ活躍の場があるかは限定的と考えます。日本の国土の特徴は空き地がないことです。利用可能な平地は住宅、田畑等に利用され、山にでも登ればわかるのですが、見渡す限り開発され尽くしています。ヘリが着陸できるような平面があれば確実に開発されているという事です。

結局のところヘリを利用しようと思えば、ヘリポートがあるところまで患者は移動し、そこからヘリポートのあるところまでしか運べません。それとヘリポートを高層ビルの屋上に設置してある医療機関はありますが、あそこへの着陸は相当な危険があるそうです。もし着陸を失敗して炎上、さらにビルから転落するような事があれば大惨事となります。大都市部の真ん中で起これば怖ろしい事態です。通達で力説するほど普及するかどうかは疑問に思えます。

続いて「救急搬送先病院と転送」です。

 救急医療機関の整備については、これまで、重症度・緊急度に応じて、階層的な整備(第三次救急医療機関、第二次救急医療機関、初期救急医療機関)が図られてきた。

 体制の整備等によって、「救急車の転送※」は近年、減少傾向にある。

 一方、搬送先の病院を探して複数の救急医療機関に電話等で問い合わせても受入医療機関が決まらない「電話の転送」は依然存在していると指摘されている。

 この原因には、搬送される傷病者・搬送機関・受入医療機関それぞれの問題がある。

 救急医療機関が搬送に応じられない原因として「専門外である」、「手術中・処置中」、「ベッドの満床」、「医師不在」等が挙げられている。

 この問題を改善するためには、まず各地域においての「電話の転送」の現状を明らかにした上で、その原因を詳細に把握分析し、地域と消防機関、救急医療機関とが一体となり、それぞれの地域の実状に応じて対応する必要がある。

 なお、救急医療機関から情報を収集し、医療機関や消防機関等へ必要な情報提供を行い、救急医療に関わる関係者の円滑な連携を構築することを目的に、救急医療情報センターを整備し、診療科別医師の在否や、手術・処置の可否、病室の空床状況等の情報を共有している。「電話の転送」を解消していくためには、これらの取組について、地域に即してより実効的、有効的に改善していく必要がある。

ここはどうやらマスコミ用語の「たらい回し」に言及した部分と考えます。さすがは厚労省で「たらい回し」という用語を使いません。厚生省の公式の用語は、

  • 救急車の転送


      患者を搬送した医療機関が収容不能であったため同一救急隊が引き続いて同一患者を他の医療機関に搬送した場合をいう。


  • 電話の転送


      搬送先の病院を探して複数の救急医療機関に電話等で問い合わせても受入医療機関が決まらない場合をいう。
なかなか良い用語ですし、厚労省の公式用語ですから、マスコミの皆様にも是非使って頂きたいところです。

用語は良かったのですがこの問題に対する取り組みは「救急医療情報センターを整備」となっています。具体的には、

    救急医療機関から情報を収集し、医療機関や消防機関等へ必要な情報提供を行い、救急医療に関わる関係者の円滑な連携を構築することを目的
簡単に考えれば救急搬送指令センターみたいなものを作ると考えれば良さそうです。救急事情は逼迫していますから発想として否定はしませんが、予算措置はしてくれるんでしょうか。どうも地域医療計画への通達ですから、地方で独自に予算措置をするように命じているように感じてなりません。一方でなんですが、情報収集・情報提供のために厚労省御推薦の「ITシステム」が出てくるような悪寒がします。そういうものが逼迫した状況では役に立たないのは現場の常識ですが、買わせたくて仕様がない商売人が政治の中枢で頑張ってますからね。

次は「アクセス時間を考慮した体制の整備」です。

 救急医療(特に、脳卒中、急性心筋梗塞、重症外傷等の救命救急医療)においては、アクセス時間(発症から医療機関で診療を受けるまでの時間)の長短が、患者の予後を左右する重要な因子の一つである。

 従って、特に救命救急医療の整備に当たっては、どこで患者が発生したとしても一定のアクセス時間内に、適切な医療機関に到着できる体制を整備する必要がある。

 なお、アクセス時間は、単に医療機関までの搬送時間ではなく、発症から適切な医療機関で適切な治療が開始されるまでの時間として捉えるべきである。

 そのためには、一定の人口規模を目安にしつつも、地理的な配置を考慮して、地理情報システム(GIS)等の結果を参考に、地理的空白地帯を埋める形で、適切な治療が可能な救命救急医療機関の整備を進める必要がある。

 なお、救命救急医療を必要とする患者の発生がそれほど見込めない場合や、十分な診療体制を維持できない場合は、例えば、ヘリコプターで患者搬送を行うといった搬送手段の工夫によりアクセス時間を短縮する等して、どの地域で発生した患者についても、一定のアクセス時間内に、必要な救命救急医療を受けられる体制を構築する必要がある。

 今後新たに救命救急医療施設等の整備を進める際には、前記視点に加え、一施設当たりの患者数を一定以上に維持する等して質の高い救急医療を提供することが重要である。

そんなひどい事は書いてあるわけではなく、むしろ救急医療のあるべき姿をキチンととらえています。

まさしくそうしなければならないと素直に思いますが、現実はそうはいかない問題がテンコモリあります。そのための具体的な対策も書かれています。
  • 地理的な配置を考慮して、地理情報システム(GIS)等の結果を参考に、地理的空白地帯を埋める形で、適切な治療が可能な救命救急医療機関の整備
  • ヘリコプターで患者搬送を行うといった搬送手段の工夫
またヘリが出てきましたが、ヘリは原則として夜間は飛べませんし、天候にも左右されます。昼間でも着陸できるところは限定され、僻地の山村であっても簡単にはスペースを確保できません。まさか全国津々浦々にヘリポートを整備するなんて大胆な政策を考えているとも思えません。ヘリは条件さえ整えば有用な手段ではありますが、これを常用し、これに依存するには運行の不安定さが大きすぎます。選択枝としてあれば有用程度と考えます。

ヘリが無理なら救命救急医療機関の整備になります。はっきり言って新設という事でしょう。グレードアップもあるかもしれませんが、新設、増設にてカバーするのが王道になります。救命救急医療機関は診療所規模ではどうしようもありません。中級以上の規模を持つ病院で無いと機能を発揮できません。しかし病院の新設はそれこそ地域医療計画の病床規制でがんじがらめです。病床規制を地域医療計画では緩和するというのでしょうか。厚労省の大方針は病床削減です。既存の一般病床も半分にすると豪語している中で、救命救急医療機関であるからドンドン作らせてくれるのでしょうか。

もっとも新設案は歓迎されるかもしれません。日本ではハコモノを作るとなればすべての姿勢が変わります。無理が大手を振って通り、道理は蹴倒されるからです。蹴倒される道理には「医師が集まるか」も当然入ります。ハコモノ信仰には作れば必ず集まる教義も確実に入っています。

それにしても最後の一文は笑いました。

    一施設当たりの患者数を一定以上に維持する等して質の高い救急医療を提供することが重要である
まともに経営できているところは常に満床状態であることは知らないようです。だから救急応需ができない原因のひとつになっていますし、心配してくれるほどヒマなところは総務省が潰しにかかっています。

今日の最後として「出口の問題」を検討してくれています。

 前述の「電話の転送」の原因のひとつに、「ベッドの満床」が挙げられている。

 その背景として、救急医療機関(特に救命救急医療機関)に搬入された患者が救急医療用の病床を長期間使用することで、救急医療機関が新たな救急患者を受け入れることが困難になる、いわゆる救急医療機関の「出口の問題」が指摘されている。

 具体的には、急性期を乗り越えたものの、いわゆる植物状態等の重度の後遺症がある場合や、合併する精神疾患によって一般病棟では管理が困難である場合、さらには人工呼吸管理が必要である場合などに、自宅への退院や他の病院等への転院が困難とされている。

 この問題を改善するには、急性期を脱した患者で、重度の後遺症等により在宅への復帰が容易でない患者を受け入れる医療機関介護施設等と、救命救急医療機関との連携の強化が必要である。

 また、同様の問題として、救命救急センターを有する病院において、院内の連携が十分でない等の理由により、急性期を乗り越えた救命救急センターの患者が、一般病棟へ円滑に転床できずに、救命救急センターにとどまり、結果として救命救急センターでありながら新たな重症患者を受け入れることができないといった点も指摘されている。これについても、救命救急医療の機能は病院全体で担う責任があるという観点から、院内における連携体制を強化していく必要がある。

指摘自体は実に正しいものかと思います。

    急性期を乗り越えたものの、いわゆる植物状態等の重度の後遺症がある場合や、合併する精神疾患によって一般病棟では管理が困難である場合、さらには人工呼吸管理が必要である場合などに、自宅への退院や他の病院等への転院が困難とされている。
どこの病院でも抱えている大問題です。救急だけではなく一般入院でも術後のfollow病院が確保できないと手術に踏み切れないところが現実として発生しています。言い方は残酷ですが不良債権みたいなものです。患者を不良債権と表現するのは不謹慎なのですが、たび重なる診療報酬削減により、長期入院するだけで病院は赤字負担を強いられるようになっています。

赤字負担がない時代は長期入院も医療のリスクとして認めていましたし、転院についてもそれなりのメリットが受け入れ病院にありましたからまだ良かったですが、赤字負担となり、そのうえ病院全体の経営が苦しいとなれば不良債権とみなさざるを得なくなります。つまり「出口問題」は退院の見込みのない患者を不良債権化する医療政策にあるということです。ゴン助様のコメントが端的に実情を表しています。

MSWとして仕事をしているものです。植物状態ならまだしも、人工呼吸器を装着して長期療養が必要な患者を受け入れしてくれる病院なんてほとんど無いですよ。あっても、年単位で待ったり、ものすごく患者側の負担が高かったり。そちらも整備しないで何を言ってるんだという感じがします。

ではどうするかですが、

    この問題を改善するには、急性期を脱した患者で、重度の後遺症等により在宅への復帰が容易でない患者を受け入れる医療機関介護施設等と、救命救急医療機関との連携の強化が必要である。
お前はアホかと言いたい。医療政策により不良債権化した患者を引き受ける病院が無くなったのが問題であるのに、そういう病院を自前で探せとは何事だです。例えは悪いですが、ある商品の人気がなくなり、業績不振となったときの解決法が「売れるところを探せ」と同じようなものです。それで業績が立ち直るのなら日本の企業で倒産なんてありえないことになります。

問題の根底は患者が不良債権化する診療報酬制度と、たとえ診療報酬制度を改善しても受け入れる事ができないキャパシティの問題です。この根本問題にすべて知らぬ顔をして「自前で探せば問題解決」とは戯言もエエ加減にしてくれと言うところです。

この問題の解決のためには長期入院となっても患者が不良債権化しない診療報酬制度がまず必要です。そうすれば救急機関からの後送がいくらか容易になります。病院によってはそれなりに利益さえ確保できればそういう患者を引き取るところがあるからです。そういう患者に特化しても利益が確保できれば「やる」ところはあります。その上で不足分の充実を考えるのが王道です。

精神論で「連携の強化が必要である」と100万ページの理屈を書いてもなんの解決にもなりません。

それにしても通達は不思議な内容です。問題点の抽出と分析ぐらいまでは出来ていると感じます。そこまで出来れば解答は自ずと決まってくるはずなのですが、トンデモナイ方向に暴走しています。暴走というか「何もしない」結論に収束していっています。例えれば「貧困が増えて困る」という問題があり、その社会背景や生活状態を分析した上で、結論が「金持ちになれば問題は解決」としているようなものです。どうやって金持ちになるかの具体策はなく、金持ちになることが貧困の解消の解答だから「そうなれば良い」と言って思考停止しているだけです。

「貧すれば鈍す」とは昔から言い古された諺ですし、「船頭多くして船山に登る」も良く使われる例えです。古代アテネの衰退の原因となった「衆愚政治」も思い浮かびます。ここまで構造的になったものを、どこから手をつけたらよいか考えるだけで途方に暮れます。