経済財政諮問会議のカラクリ

経済財政諮問会議が現在の政治に大きな影響力を持っている事は皆様御存知かと思います。ネット医師の間でも批判の声は大きいですし、医師以外の方にも批判する方は数多くおられます。なぜにあれほどの影響力を持っているかのカラクリを考えたいと思います。

経済諮問会議の役割は、大田弘子・経済財政担当相が国会質疑で明言しています。

同会議は、政策決定機関ではなく、総理のために調査・審議を行う諮問機関

総理のためのブレイン機関であるとなっています。ブレイン機関ではありますが、これを総理が採用すれば、総理の方針になり、政府の方針に成り、与党の方針になり、国会の決定につながります。つまり、

    経済諮問会議 → 総理 → 政府 → 与党 → 国会
日本は議院内閣制ですから、政府与党は一括りにある程度考えられますから、この系統は筋が通ってしまいます。

それでも旧来は与党にチェック機能がありました。いわゆる族議員であり、党内野党というべき派閥です。これらの存在を絶対善という気にはなりませんが、こういう存在がチェック機構の役割を果たしていた面があります。悪と言う面では既得権益の擁護ですし、善という点では急激な変化の緩和です。

ところが前々政権の時に族議員も派閥も弱体化させられています。弱体化の結果、政府総理の権力が強くなったと考えます。この事を悪いとは言いません。とくに小選挙区制になってからは、投票の選択枝は「党を選ぶ」の傾向が強くなっています。党を選ぶとは、ほとんど近い意味で次期首相としての党首個人を選ぶとなってきています。前回総選挙で大量に登場したチルドレンと称される議員は、その少なからぬ部分が議員の識見や力量を評価して選ばれたというより、党首への期待で当選したと考えています。

そういう選出過程で形成された政権には総理の指導力が期待されます。総理が「こうするのだ」の方針はできるだけそれに近い形で実行されるのが望ましい政治形態と考えられるからです。党首の公約(マニュフェスト)に期待して出来た政権ですから、総理の政策が党内論議を通り抜ける間に完全に骨抜きされ、法案になった頃には当初と似ても似つかぬ代物になっているのは歓迎されるものではないからです。

党内の政策チェック機構が弱体化した代わりに、総理の指導力は比重を増します。しかし総理といえでも万能の人ではありません。得手不得手が当然のようにあり、いくら頑張っても予算案の小さな補助金項目のすべてをチェックするわけには行きませんし、末端公務員のすべての勤務評定を自らの手で行なう事も出来ません。そのため政府機能は省庁として分割され、省庁の責任者として大臣を配し、大臣の上に君臨する形になります。

総理は省庁からボトムアップされてきた情報を大臣を介して受け取り、その情報を分析検討して、政策をトップダウンとして下します。それでもなおボトムアップされる情報量は莫大です。その情報を分析検討するブレインを持つのは不思議ではありません。歴代政権も様々な形でそういうブレインを抱えて政権を担当しています。

経済諮問会議もそういう意味のブレイン機関として存在して悪いとは言えません。ただこれまではそういうブレインやブレイン機関は表に出るものではありませんでした。ブレインの意見を丸呑みしたような政策であっても、あくまでも総理の考えとして決定されたものであり、決してブレインが考えたものであるというのは内密の事項であったのです。当然といえば当然ですが、国の舵取りは総理が握っており、総理は間違いない方針を決めるために助言を受け入れても、すべて総理の考え、総理の責任において遂行されるのが政治だからです。

経済諮問会議がブレイン機関である事は、国会質疑でも会議の規約でも公式にはそうなっています。ブレイン機関であるから、総理の好みの人物で構成されても、その事自体は問題ありません。ただしブレイン機関に過ぎないものが肥大化、巨大化し魔王のような権力機構になっていると私は感じます。

従来のブレインやブレイン機構と経済諮問会議の大きな違いは、ブレインとしての助言を公表してしまうことです。こういう形態は極めて異例と考えます。ここに経済諮問会議の権力増大のカラクリの一つがあると見ます。つまり、

  • 従来:ブレイン機関の助言 → 総理の考えとして公表決定
  • 現在:ブレイン機関が助言を公表 → 総理がこの公表された助言を検討決定
書けば僅かな差ですが、この差は巨大です。ブレイン機関に過ぎない経済諮問会議が政策を公表し、その断行を総理に迫る異様な政治形態が日本に出来上がっているのです。これは本末転倒の政治形態であるといえます。国会答弁でもどこでも経済諮問会議の答申なり、方針がさも権威があるものとして引用され、その政策に副っての国会承認を求める政治スタイルがすっかり定着しています。これは根本が間違っており、ブレイン機関の助言を受けて総理が決定した政策として引用されるべきものなのです。

経済諮問会議のいわゆる民間議員は、財界の財界私的クラブのメンバーである事が条件であり、財界私的クラブのお気に入りの御用学者までがこれに参加できます。それ以外の人間は完全に排除されるといって良いかと思います。完全ではないかもしれませんが「ほぼ」という表現なら正確かと思います。これらの財界私的クラブの民間議員は、まず財界私的クラブの利害を考えて当然でしょうし、民間議員経営企業に直接の利権をもたらす政策も提案します。そういう人しか集まっていないのですから、そうなるのになんら不思議ありません。

これまでの政権ブレインも似たような連中であったのだろうと思いますが、あくまでも影の存在であり、政策は総理自身の決定として行なわれ、それが特定利益に偏れば総理自身が選挙でしっぺ返しを受ける構造でした。現在の形態は総理が責任を負うのは同じですが、総理の頭ごなしで政策実行を迫る、政府・国会の上に君臨する機関として巨大化しています。

ここまで巨大化したのは同じ財界私的クラブのメンバーであるマスコミの努力が大きいと考えます。たんなるブレイン機構のアドバイスを天の声のように扱う報道を執拗に繰り返しています。何年も何年もそれが繰り返されたため、やがて人々は経済諮問会議が政策決定機構として存在する事を認め、その政策を政府国会が下請けとして実行する、もしくはその決定に抵抗する勢力として認識しています。

どれほどの存在感かが大田弘子・経済財政担当相の答弁に如実に表れています。

同会議の中で給付と負担についての選択肢を提示して、議論を進めていきたいと考えている。

もはや閣僚も政策決定には経済諮問会議の承認が必要と明言しているのです。不文律の制度として、政府の政策決定は経済諮問会議の承認を経ないと何もできないと大臣が認めているのです。

これまでも実態はそうであったと言う人もいるでしょうが、従来は非公式ラインの影響力であったので、そういう行為が表沙汰になると財界との癒着として非難が集中しました。非難が集中するが故に、影響力の行使が自省的にならざるを得ないものがあったのですが、現在の経済諮問会議は正々堂々と財界私的クラブの利権拡大を主張しても誰も癒着と言わないだけではなく、政府が公式にお伺いをたてる機関と化してしまっています。

同じ利権集団のメンバーであるマスコミが擁護に精力的なので、異様な権力が構築されてしまっています。非常に都合の良い制度で、公式には助言機関なのでその政策決定には一切の責任を負わず、責任は政府総理に丸投げで来ます。またメンバーは財界私的クラブの推薦で固められますので、余計な異論は一切口出しできません。さらには誰の審査も受ける必要が無いのです。本来であればこういう奇形の権力システムを指摘批判しなければならないマスコミも、利害関係を同じにする仲間内ですから擁護に走ります。

政府以上の政策決定機関であり、メンバーは仲間内で固められ、責任は何ひとつ負わず、マスコミも宣伝機関に使える、実に巧妙なカラクリです。財界私的クラブ以外の国民はどうしたらよいのでしょうか。