統計は嘘をつく

信じられないことかもしれませんが、医療経済を論じるに当たって、非常に基礎的なデータが曖昧なんです。例えば医師の実働人数、もっと言えば医師免許を持って生きている人間が何人いるかのデータさえ曖昧です。産科危機は有名ですが、分娩に従事する実働産科医が何人かも正確には把握されていません。医師の激務は最近やっと広まってきましたが、では一体何時間働いているかも正確なデータはありません。医師の収入さえそうです。

正確なデータはありませんが、公式のデータはあります。医師の数や労働状況に関しては医師の需給に関する検討会報告書があり、医師や医療機関の収支については医療経済実態調査があります。これらの公式のデータが実情を正確に反映していれば問題無いのですが、医師が10人寄れば10人とも「そんなアホな事は無い」と思わざるを得ないデータです。

当ブログでもエントリーに取り上げ、コメント欄で何度も議論しましたが、やはりおかしいと考えざるを得ません。医師の需給に関する検討会報告書には添付資料として、いかにも詳しそうな統計資料があります。大部の資料で、図表と数値を駆使してデータ解析を行なっていますが、結論と実感の乖離があまりにも甚だしいと言わざるを得ません。私も出来る範囲で解析しましたし、私より統計に詳しい方も再検証を試みましたが、驚く事に結果としている数値を裏付けるデータが無いのです。つまり再検証不可能な統計資料であるということです。

医療経済実態調査も速報分なので、データがそろいきっていないという分を差し引いても不思議な統計資料です。こちらは基礎数字ははっきりしていそうなのですが、やたらと詳細な割には欲しいデータを割り出そうとすると見事に抜けています。データから正確に算出できる数字はある意図に沿ったものには好都合ですが、それに反論しようとするデータを算出しようとすれば暗礁に乗り上げる仕組みと言えばわかってもらえるでしょうか。

さらに医療経済実態調査ではもっとも重要なサンプルの抽出基準が曖昧です。私も経営者ですから診療所の支出経費、売り上げ単価などについてはある程度実感を持って知っています。各診療科ごとの特色を割り引いたとしても納得し難い数値が並んでいます。この辺りの事はすでに書いてきた事なので、これ以上は深く触れませんが、サンプルデータの設定に問題があるのでは無いかと考えています。

公式データの不可思議さについては、これをおかしいと思えるのはネットのメリットの一つだと考えています。ネット以前では個人的におかしいと思っても、全体の様子を聞いて回る手段は無く、自分のところだけ苦しいのかとか、他所にもっと楽なところがあるのだとかを考えますし、そもそもこれらのデータを手軽に入手して読んでみる事さえできなかったと言えます。自分が見て知る範囲しか判断材料が無く、原資料を入手する方法も容易ではなく、たとえ入手しても自分の知る範囲以外は比較しようが無く、さらに分析しても他者の意見を聞きようがなかったと言う事です。

ネット普及により幅広い情報交換が出来るようになったため、原資料の入手も、それの解析結果への意見交換も、さらに各分野のエキスパートの意見も手軽に入手できるようになりました。ネットであるがゆえの情報の乱雑さ、玉石混交の凄まじさはありますが、習熟さえすればかなり正確な情報を入手できます。

そういう時代に立つものとして、医療政策策定の公式情報として頻用される医師の需給に関する検討会報告書も、医療経済実態調査も「嘘をついている統計」と考えます。言い切ってしまえば、財政諮問会議−政府−財務省ラインが既に決定している結論を、補強・裏付けするために作り出した統計であるとしか思えません。

誰も知る事ができない公式データを錦の御旗に政策決定する手法は従来珍しくもありませんでした。ネット以前は常套手段であったといってよいでしょう。○○審議会と言っても構成メンバーもわからず、どんな議論をしたかも知りようがありませんでした。情報が公開されていたとしても、それを入手する方法はわからず、入手するのも容易ではなく、入手して、そこから意見を広く世に問いたくとも手段さえなかったのです。それ故に、誰も原資料を知らないデータの結論だけを振り回されても、これに有効な反論をするなど不可能であったのです。しかし時代はネットとツールを入手した事により確実に変わりつつあります。

医療が危機のレベルを越えつつあり、炎上から焼野原に進みつつあるのは心ある医師なら誰でも知っています。そんな状況なのに、この状況での新たな医療方針の決定に、医師の需給に関する検討会報告書と医療経済実態調査を用いる愚かさを笑います。統計は嘘をつきますが、嘘をついた統計で方針を決めるならば、その先に待ち受けているのは廃墟です。嘘をついた統計が約束した将来設計は砂上の楼閣でさえなく、砂漠の蜃気楼に過ぎません。

人々は蜃気楼を目指して砂漠を歩き続け、蜃気楼が消えてなくなるまで事態に気がつかないのでしょうか。今やネット医師の心は、蜃気楼が本物ではないと説得するのに疲れ果てています。蜃気楼が本物ではないと気がつくまで、もう放置しておこうの声が強くなってきています。私もまた、人々に蜃気楼は本物でない事をどうやって伝えたら良いか途方に暮れています。