書いたらいけない美談

9/18付け毎日新聞東京朝刊より、

診療費免除:「現役」91歳女性医師、弱者に寄り添い40年−−東京・新宿で4科診療

 ◇お支払いにお困りの方は免除いたします

 東京都新宿区左門町の診療所で、週5日診療を続ける91歳の女性医師がいる。入り口には「支払いにお困りの方は免除いたします」と張り出し、内科・小児科・皮膚科・リハビリテーション科を1人で受け持つ。生活保護を受ける高齢者や路上生活者らに手をさしのべて40年。「困っている人はどんどん来てくれていいのよ」と今後も受け入れるつもりだ。【藤野基文】

 今も現役で診療を続けるのは財団法人・国民保健会付属四谷診療所の玉盛やす子さん。診療所は1941年、千代田区に開設。「人々の健康のために」と、私財を投じた実業家の栄八さんとこの年に結婚し、診療所で働き始めた。出産を機に現場は離れたが、40年前に栄八さんが倒れ会社経営が悪化。診療所は現在地に移転し、前任者から引き継ぎ現場復帰した。

 診療所の入り口脇には「医療費の支払いにお困りの方は事情によっては減額・免除をいたしますからご遠慮なく申し出てください」。移転時に掲げた紙は黄ばんだが、精神は変わらない。現在も1日25人程度患者は訪れ、昨年免除や減額したのは10人弱だった。

 山梨県富士吉田市の機織り業者の長女として生まれた。地元の実業学校を卒業後、家業を手伝ったが、医師を志し帝国女子医学薬学専門学校(現東邦大)に入学。「易者から、医者になったら(現東京女子医大創立者の)吉岡弥生さんみたいになると言われて、その気になっちゃった」。勉強はつらかったが、「家族や親せきが機織りで稼いだ金を仕送りしてくれてるから、必死で勉強したわ」と振り返る。

 健康の秘訣(ひけつ)は、地域の人と毎朝続けるラジオ体操と終了後に自身のハーモニカ伴奏に合わせて歌う合唱、社交ダンス。「財団の趣旨を守らなくちゃいけないから、生涯現役よ」と体の続く限り診療を続ける。

まず美談である事は明記しておきます。誰がどう見ても美談です。医師から見えも素直に美談だと感じます。医師としての高い志を実践している姿勢に深い敬意を覚えます。でもこれは新聞記事に取り上げてはならない美談かと思います。

ポイントは、

    診療所の入り口脇には「医療費の支払いにお困りの方は事情によっては減額・免除をいたしますからご遠慮なく申し出てください」。移転時に掲げた紙は黄ばんだが、精神は変わらない。現在も1日25人程度患者は訪れ、昨年免除や減額したのは10人弱だった。
ここに書かれている「減額・免除」がどんなものであるかが問題になってしまうのです。この「減額・免除」が自由診療としてのものであるなら完璧な美談です。ただしそうなれば半端な減額・免除ではなくなります。保険診療では年齢により異なりますが多くは3割負担ですから、これを自由診療にし、さらに減額として、本来の保険診療の自己負担分の半額とすれば、8割5分の減額となります。全額となれば完全に無料診療です。これなら誰からの文句も出ません。

しかし保険診療での自己負担分を減額・免除にする事は固く禁じられています。私はまだ開業して日が浅いので、開業時の保険指導は記憶に新しいのですが、

    自己負担分はたとえ友人・知人であっても決して免除にしてはならない。もし免除すれば指導が入り、最悪保険診療は取り消される。
この事は繰り返し強調された項目です。もしこの美談の医師が保険診療の自己負担分の「減額・免除」を恣意的に常習的に行なっているのなら、保険診療を行える保険医の資格を取り消される可能性が出てきます。40年間にわたり行われ、取材日でも25人中10人弱もの減額・免除が行なわれているのであれば、これは申し訳ありませんが明白な違法行為となります。

もちろん私もそんな杓子定規な事を言いたいわけではありませんし、この医師の行為は称賛しています。さらに同様な行為を密かにやっておられる医師も知らないわけではありませんし、その医師も尊敬しています。しかしこの行為が自己負担分の減額・免除であるなら表に出してはいけない行為なのです。

この話を知って美談として取り上げたい気持ちはわからないでもありませんが、新聞にまで取り上げられて報道されれば保険基金も調査せざるを得なくなりますし、調査すれば違法行為がゾロゾロ大量にかつ常習的行為として発覚してしまいます。そうなれば保険医の資格取り消しは同情論からなんとか見逃されたとしても、今後はそういう行為が出来なくなってしまいます。

もちろん美談の減額・免除が自由診療に置き換えた上での行為であるなら何の問題もありません。しかし正直なところ、そうである可能性の方が低いと考えざるを得ず、わざわざマスコミが報道したが故に、40年も続けられていた美談が消滅の危機に瀕しているかと思います。こういう美談は取り上げてはならず、そっとしておかなければならなかったのです。

私が危惧する方向にならない事をひたすら願います。