救急救命士のブログ

あるはずですよね。これだけのブログブームですから、必ずあるはずと探したのですが、もちろんありました。目的は「搬送先探し」の長時間化についてどういう感想をもたれているかを知りたかったからです。受け入れ側である医療側の実態はある程度わかっているつもりですが、搬送側の実態と言うか本音の部分を聞きたかったのです。そんなに沢山読んでいないのですが、今日は「救急救命士たちの待機室」のたらい回し9件、いつものことなのに…を紹介しておきたいと思います。

エントリーを書かれているバラ吉氏が本物かどうかですが、他のエントリーもあわせて読む限り本物であると考えます。また真面目に救急救命士の仕事がどんなものであるか伝えようとする姿勢に好感が持てるブログです。まず主要部分を引用します。

大阪で起こった救急搬送途上に起こった交通事故、搬送された妊婦は結局、死産となったというニュース。事故の前、実は9件もの病院に断られ1時間半もの時間、搬送が始まらなかったと問題視されています。

「9件断られる」9件なんていつものこと。私は最高31件断られたことがあります。「1時間半搬送崎病院が決まらない」と言うのもまあいつものこと。私の救急隊では1時間半はめったいにはないですが、30,40分決まらないことはいつものことです。ただ1時間半以上病院を探し続けた経験はあります。

現場の救急隊を勤められている方ならこんな経験ないことの方が珍しいのではないでしょうか?

搬送要請が多数に上り、搬送決定までに長時間を要する事が例外的でなくなっている事を明快に書いておられます。それとここに寄せられたコメントも一読の価値があります。かなり長いですが、これも引用します。

関西の政令指定都市の救急隊のものです
今回の事案は確かに日常茶飯事です でも
新聞ではさも特異的な事件のように取り上げられ
おまけには断った病院も強く救急側が言ってくれたら
収容していたという困った返事も掲載されていました
確かに搬送中の事故はいけません
でも収容困難事案と 38歳にして6ケ月の胎児がおなかの
中にいながらかかりつけ医がいない、通報段階で妊娠している
かもしれないという大人は切り離して取り扱うのが
ベターと思われます
流産していなかったら・交通事故がおきなかったら・・・
ここまで収容困難事案が明るみにでたでしょうか?
病院側だけが悪いのでしょうか?
消防側が悪いのでしょうか?
こういうことは救急件数増加問題からわかっていることです
悪循環になっていることは・・・
一番悪いのはわかっていながら放置していたことです
臭いものにはフタのように・・・
簡単には解決できないので一歩づつ進んでいきましょう
現場からの声もきいてください
机の上で話をつけないで
長文失礼しました

これはもう悲鳴かと感じます。とくに

    流産していなかったら・交通事故がおきなかったら・・・
    ここまで収容困難事案が明るみにでたでしょうか?
    病院側だけが悪いのでしょうか?
    消防側が悪いのでしょうか?
    こういうことは救急件数増加問題からわかっていることです
    悪循環になっていることは・・・
救急隊も医療と同様に質に差があることはよく言われます。ただ私が知る限りの救急隊員は誰も真摯に任務に取り組んでいます。どの世界にだって不良品は存在しますが、救急隊員の殆んどは懸命に命のリレーの重責を果たしていると考えています。そのために長時間の激務に誇りを持って勤務していていると信じています。

読めばわかるように救急隊も医療の歪を自らの献身によって支えています。医師が戦力不足の中、明日無き戦いを強いられているのと同様に、救急隊も搬送しきれない患者の累増に必死に立ち向かっているのがよくわかります。救急隊の仕事は、救急患者と医療機関の橋渡し役です。渡せる橋が豊富にあるなら運び屋に徹すれば業務はある程度は足せますが、橋の行き先の医療機関に余裕がドンドン失われており、今や橋を渡っていくのではなく、ロープをなんとか繋いで綱渡りしている状況である事が良く分かります。

救急件数の増加は種々の原因が社会的背景も伴ってある事に今日は多くを語りませんが、増加した分の皺寄せは救急隊にすべて覆いかぶさっているのです。もちろん皺寄せは救急隊だけではなく搬送先の医療機関にも被さり、両者の疲弊はさらに悪循環を生んでいると言えます。

悪循環はもう限界に来ています。搬送先の医療機関を精神論で叩いても最早反応しません。疲弊が限界を越えると無反応になります。幾ら鞭で叩かれてもこれ以上走れないのです。走れなくなればどうなるか、逃げ去ってしまいます。命を救う事が使命の医師であっても、疲れしらずの超人ではなく一皮剥けば普通の人間です。使命感は見た目を超人と化す事はありますが、体力には限界があり、限界を越えると燃え尽きます。

燃え尽きて去る医師が急増しています。日本の医療はどこでも手薄ですから、少数の脱落者は残っているものに大きな負担を背負わす事になります。そうなると今でも支えるのがやっとの負担があっと言う間に限界を越え、ドミノ倒しの悪循環を招きます。医療機関は完全に悪循環に嵌っていますが、医療機関が疲弊したら救急隊の負担がずっしりと重くなります。

救急件数の累増と搬送先医療機関の疲弊の谷間を救急隊は懸命に埋めようと努力しています。しかし冷静に見れば儚い努力であると言えます。物理的ではなく、算数的に達成不可能な努力になるのは誰が見ても明らかです。これもコメントの一節ですが、

    一番悪いのはわかっていながら放置していたことです
    臭いものにはフタのように・・・
搬送先問合せ件数の増加、搬送先決定時間の長時間化は、もはや小手先の改善スローガンだけではどうしようもないところまで来ているという事です。現場の工夫や努力でなんとかなる範疇を越えていると言う事です。広域連携も、ネットワーク化も無駄とは言いませんが、これが有用に動くためには、遊休の医療施設があると言う前提になります。全く無ければ搬送は出来ないのです。

仮に広域連携、ネットワーク化が理想的なシステムで構築されたしましょう。その時に救急要請があり、救急隊が駆けつけ、搬送しようとしても、瞬時に搬送医療機関先は「ゼロ」の答えが出る日が遠からず来ます。本当に「ゼロ」でどうしようもない状態です。

そうならないように改善をしなければなりません。医療の枠組みも、救急隊の枠組みも、現場の従事者が決定するものでなく、すべて行政が決定するものです。行政から与えられた枠組み以上の事は従事者自身にはできないのです。これを変えるには有権者である住民一人一人の意思表示が必要です。疲弊し、破綻寸前の現在のシステムを鞭打っても、もう何も出てこない事を分かって欲しいと思います。