空床情報と空室情報

奈良の死産騒動のような搬送先探し騒動があれば、必ず議論となるのが病院の空床情報を一元化して管理提供できないかの意見です。IT化がこれだけ進んでいるのですから、その程度のシステムは容易に構築できそうなものだと誰しも一度は考えます。もちろん実際にもそういう情報網を構築しようとする試みは幾度も為され、現実にも不完全ながら運用されています。しかし残念ながらシステムとしては、電話で直接確認するアナログ作業に到底取って代われるようなシステムにはなっていません。

似たような情報システムとしてホテルや旅館の空室情報があります。こちらの方はかなり有用に利用されています。同じようなものだから空床情報にもすぐに流用できそうなものですが、そうはいかない違いがあります。空室情報であれば物理的に空室があれば原則として利用可能です。しかし空床情報は物理的にベッドが空いていても利用可能とは限らないのです。

分かりやすい違いとしてはマンパワーの差があります。ホテルや旅館では満室であってもサービスに耐えるスタッフを原則として備えています。また突然空室を利用されても提供するサービス量がほぼ予想されます。ホテルや旅館は客室数から提供するサービスの量を予測する事がほぼ可能であり、そのサービス量に相応しいスタッフを揃えているのです。だから空室情報を出し、そこが突然埋ろうとも対応は可能です。

病院の空床はそうはいきません。空床を利用する患者にどれだけの仕事量が必要か予測は難しいところがあります。少ない仕事量で済む時もあれば、スタッフが長時間フル動員されるような時もあります。また病床数に対しても同じで、症状の程度がマチマチのため、同じ病床利用数でも仕事量の大小の差は非常に大きいと言えます。さらに病院が抱えているマンパワーは、すべての病床が重症であっても賄うには程遠いものがあります。

病院では物理的にベッドが空いていても、そこに患者が収容された時、その患者を治療できるマンパワーが無い事がしばしばあります。他の患者の治療にマンパワーを使い果たし使えない状態です。ここが空室情報との大きな差であると考えます。

とくに夜間や休日は平日日勤より確実にマンパワーは落ちますから、患者の受け入れは慎重になります。どこの医療機関でもそうですが、たとえ物理的に3床の空床があっても、情報には1床しか表示しません。なぜなら患者は治療を開始してみないとどれだけのマンパワーを要するか分からないためです。もちろん入院前に搬送元医療機関や救急隊から事前情報を得ますが、事前情報を超える事態がしばしば起こるのは医療者なら常識です。

ですから病院は3床の物理的空床があっても、まず1床を受け入れてみて、その治療処置が済んだ段階で次の患者の受け入れが可能かどうかの判断を行い、改めて1床の空床情報を提供する形態になります。もちろん最初の患者を受け入れた時点でマンパワーが限界となれば、物理的に空床があろうとも空床情報は出しません。もう受け入れられないからです。

少し言い換えれば、一人の患者を受け入れた時点で、マンパワーは一時的に限界となり、治療処置が一段落ついた時点で、再びマンパワーに余力が出たら、次の患者を受け入れる体制を構築できるとしても良いでしょう。

しかし医療はマンパワーの限界だけで受け入れ上限を決めているわけではありません。限界を超えても受け入れる事はあります。医療は患者の生命がかかっているからです。ですからマンパワーが上限で空床情報を出していないところでも、交渉次第で入院可能な事があります。もちろん基本的に限界ですので、限界の上で搾り出せる力を勘案して患者の受け入れの是非を決定します。基本的に余力はありませんから、患者情報を聞いて「無理だ」と判断したらお断りしますし、「なんとかなる」と決断したら、受け入れます。「なんとかなる」の中には帰宅しているスタッフを呼び出してもの判断も加わります。

搬送先探しで読まれる記事で、2回目の要請で引き受けたの話を読まれることがあると思います。2回目で引き受けるぐらいなら最初から引き受ければよいのにと思うかもしれませんが、理由は上記の状況が背景にあります。つまりマンパワー的にはまず無理が前提としてあり、他院の状況はわかりませんから、できれば他の余力のあるところで引き受けて欲しいの意味合いです。ですから1回目の要請には「他に無ければ・・・」のような返答になります。他の医療機関でOKのところがあれば話が丸く収まりますが、無ければ根性を決めて受け入れます。

患者の症状をデジタルで客観的に評価して仕事量を計算することは現時点では不可能ですから、各病院のマンパワーの上限の判断、さらに上限を超えた上での受け入れ判断は、主観的なアナログ評価によるものにならざるを得ません。ですからいかにも出来そうな空床情報のデジタル一元化は実用の域に達せず、今でも電話によるアナログ入院交渉が主体となるのです。

空床情報を空室情報のようにするには、重症の満床状態であっても対応できるマンパワーが必要です。物理的に空床があって、そのベッドに患者を寝かせただけでは治療は出来ません。その患者の治療に当たれるマンパワー、すなわち医療スタッフが必要なんです。

今日のお話は医療関係者にとって常識以前のお話でしたが、病院の空床と満床の話が出るたびに、同じような話がループするので、参考情報として提供させて頂きました。