医師の新しい義務

怖ろしく長い徳島乳房温存術訴訟の判決文をなんとか解説できたのですが、判決理由のキモを解明するだけでまず一苦労で、それを軸に論理展開されるのを追っかけるのに精力を消耗してしまいました。短くまとめようとの意思はあったのですが、正確を期すためには全文引用に近い形になり、それが長さに拍車をかけ、読みきられた方には感謝の言葉を贈りたいと思います。

今日は話が重複しますが、判決文中にさりげなく出てきた、新しい医師の義務についてです。

セカンドオピニオンを確保するのは担当医の義務だったのです。セカンドオピニオンが普及しつつあるのは知っていましたが、司法的にはこれを確保する事を医師に義務づけているのです。冗談やハッタリではなく、上告棄却の高裁判決文にあるのですから、事実上の最高裁レベルの司法認識になっていると考えられます。当該部分を判決文から引用すると、

(5)セカンドオピニオンの碓保義務違反の有無

次に,被控訴人乙原において,セカンドオピニオンの説明義務違反があったか否かについて検討するに,上記(3)ア説示のとおり,被控訴人乙原は,平成7年12月29日に徳島病院控訴人に病状の説明を行った際,セカンドオピニオンを受けることができることの説明をし,その医療機関として,四国がんセンター及び大阪府立成人病センターの名を挙げて医療機関名を教示したことが認められるから,被控訴人乙原にセカンドオピニオンの、説明義務違反があるということはできない。

この判決では被告医師は「問題無し」となっていますが、そういう義務が既に常識のように設定されているのに驚かされました。私は漠然と、セカンド・オピニオンを行なうのは患者が主体であると認識していましたが、これは大きな誤りで、担当医が探し出して確保しなければならないのです。下手に「知らない」とか「勝手にどうぞ」なんて行動に出れば、説明義務違反に問われてしまいます。

このセカンドオピニオンの確保義務ですが、この判決文だけなら、それなりのところを紹介しただけで説明義務を果たした事になります。ところが徳島乳房保存術訴訟でわかるように、それだけでは平成13年判決に引っかかり、説明義務違反に問われてしまう可能性が出てきます。平成13年判決は文字通りの最高裁判決で、以後の判決の大きな基準になっているものです。

昨日の蒸し返しになりますが、平成13年判決で示された医師の義務には、

  1. 患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性を説明する義務
  2. 他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務
a.は当然のように行なっています。a.もないがしろにしているような医師は、余程の幸運が一生ついて回らない限り、どこかで訴訟地雷を確実に踏みます。ところがb.は言うは易しの義務です。治療法の決定は診断に基づく適応になります。ところがそれだけでなく、医師の得手不得手、医師が考える治療法の優劣、そして何より勤務する医療施設の機能の限界があります。そういうものを勘案して、その医療施設とスタッフで最善と考えられる治療法を通常は提示します。

ところがそういう方法は司法の地雷原に足を踏み入れる事につながります。平成13年判決は乳癌治療の乳房温存術について争った訴訟ですが、判決文では、

    医師は,患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては・・・
と、医療一般に適用を拡げています。その中でも「とくに乳癌は・・・」と乳癌治療をさらに別格扱いしてはいますが、他の疾患の治療にいても原則は同じと解釈しなくてはいけません。ではどの程度まで治療の選択枝を拡げなければならないかですが、

他に選択可能な治療方法が医療水準として未確立の療法であっても、少なくとも、当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり、かつ、患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)のないよう、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。

読みにくいは判決文の特徴ですが、

  1. 少なからぬ医療機関で行なわれている
  2. 相当数の実施例がある
  3. 実施した医師が積極的に評価している
この3点を満たす治療法であれば、医学的にスタンダードでなくとも「他に選択可能な治療方法」として患者に説明する義務があるとなっています。疾患によっては相当の数の治療法が存在している可能性があります。もちろん常に説明しなければならないわけではなく、
    患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合
患者がそういう治療法を知らなかったり、関心が無かったら説明する義務は生じませんが、少しでも知っていて、関心があったなら、それについて、
    患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)のないよう、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務がある
説明が昨日と重複していますが、患者が比較的マイナーで未確立な治療法に関心があって、その適応を聞かれたときに、少しでも適応の可能性があれば(ゼロでなければ)、その医療機関の名称や所在などを説明すべき義務が負わされるのです。この義務はどう考えてもセカンドオピニオン確保義務に重なると解釈できます。

セカンドオピニオン確保義務自体は、有力な医療機関を挙げれば回避出来るようですが、その内容が問題で、次なる平成13年判決の「他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務」に深刻な影響を及ぼします。セカンドオピニオンとして確保が義務づけられている病院は、平成13年判決の基準に適合し、なおかつ患者がそれに希望した治療を行なっている医療機関でないと説明義務違反に問われます。

徳島乳房温存術訴訟でも被告医師は乳癌治療のセカンドオピニオン候補として、四国がんセンターと大阪母子保健センターをあげています。どちらの日本有数の医療機関ですが、判決では、

控訴人乙原は、控訴人に対し、他の専門医の意見も聴きたいのであれば聴いてもらって構わないことを説明し、控訴人が、「どこへ行ったらいいでしょうか。」と質問したのに対し、四国がんセンター及び大阪府立成人病センターの名を挙げたのであるが、これは、乳房温存療法は適応外であり、乳房切除術によるべきこととした判断についてセカンドオピニオンをうけることのできる具体的な医療機関を教示したにとどまるから、この事実をもって、被控訴人乙原が、被控訴人乙原からみれば適応外の症例でも乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在を教示したと認めることはできない。

この二つではセカンドオピニオンの確保義務は果たしていますが、「他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務」についての平成13年判決を満たしていないの判断が下されています。乳癌での乳房温存の司法判断が猛烈に厳しいのはよくわかりましたが、他の疾患の治療も例外とはなっていません。

つまり医師は患者が希望する治療のセカンドオピニオン先を的確に確保しないと、それだけで説明義務違反に問われる事になります。ですからセカンドオピニオンの確保義務は、「他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務」を果たすための重大な作業となるわけです。

患者の意思確認も容易ではありません。患者が熱望するのに無碍に退けたら、今の世の中、地雷で吹っ飛びます。そこまでする医師は、このブログを読まれる先生方にはまずいないと思います。ところが患者がそれに口に出して言わなくとも「推認」する事も医師の義務として課せられています。徳島乳房温存術訴訟でも患者は乳房温存について口に出して質問はしていません。だから被告医師は乳房温存の可能性について、患者は関心は無しであったと主張しています。

しかし判決文では次の3点をあげて、患者は乳房温存術を希望していたと推認しています。

  1. 丙山助教授を選んで受診したのは、乳房温存療法に積極的であると書かれた助教授の著書を読んだからであり、受診時に著書を読んだから受診したと告げた
  2. 乙原医師の外来に乳房温存療法に積極的である新聞記事が貼られていた
  3. 近藤誠医師のセカンドオピニオンを希望した事
これだけあれば誰でも「推認」できるから、それを察して「他に選択可能な治療方法」を医師は提示する義務があると説明義務違反を認定しています。これぐらいの洞察力が医師には必須のものとして求めると司法判断は下されています。

それと徳島乳房温存術訴訟では近藤誠医師について否定的な見解を被告医師は話しています。この事自体はまず問題ないようです。平成13年判決でも

    医師の知っている範囲で、当該療法(術式)のないよう、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失
知っている範囲で良いわけですから、否定的見解でも問題は生じませんし、訴訟でも問題にしていません。しかしその説明によってセカンドオピニオンを断念したときには、「他の治療の選択枝を奪ったとの注意義務違反」と裏表ですから、余程の細心さが求められます。徳島乳房温存術訴訟であっても、近藤誠医師へのセカンドオピニオンが為されていたら、おそらく訴訟は回避、または被告医師に注意義務違反は問われなかったであろうと考えられるからです。

ここで「私はよく知らない」で逃げる手段もありそうですが、これも安易に頼ると地雷を踏む可能性があります。裁判所は医師の経歴を調べた上で、「よく知らないはずがない」と推認してくる事は容易に考えられます。たとえ本当に医師が知らなくとも「知っているはずだ」の推認を事実認定されれば、何を言っても一巻の終わりです。

平成13年判決と徳島乳房温存術訴訟から推測されるセカンドオピニオンの確保義務は、

  1. セカンドオピニオンの実施は患者の意思だが、勧めておくほうが無難。
  2. 患者はセカンドオピニオンを求めるぐらいだから、担当医の治療方針と異なる医療機関を挙げておく事が肝要。基本的に同じ医療方針の医療機関であるなら、平成13年判決に引っかかる。
  3. 患者の意思は言葉さえ不要で、態度や行動で推認する必要があるので、洞察力に自信がない医師はなおのこと注意が必要。
  4. セカンドオピニオンの候補医療機関への見解は「医師の知りえる範囲」でOKですから、否定的見解であっても問題は無さそうですが、否定的見解を聞いて患者がセカンドオピニオンをあきらめそうになったら、無理強いするぐらい「やっぱりしておいた方が良い」と勧めた事実を作っておくのが無難。
乳癌における乳房温存が特別厳しいのは確かですが、平成13年判決は乳癌だけに限定した解釈が行なわれているわけではなく、ほんの少しの拡大解釈であらゆる疾患の治療に適用される危険性があります。セカンドオピニオン確保義務は、それらを十分念頭において医師は行なう必要があります。

私は町医者なのでそうそう遭遇する事は無いとは思いますが、現場の最前線で直面しておられる先生方には、くれぐれもご注意をと申し上げておきます。