産経のトリアージ

災害医療ではトリアージが行なわれます。トリアージについては5/1にトリアージのお話としてエントリーしましたので御参照ください。もちろん今回の地震でも行なわざるを得ない状況に陥っています。このトリアージに関する記事が7/17付の産経新聞に掲載されています。ssd様が取り上げられていますが、私も取り上げたいと思います。

トリアージの難しさ 病院が二転三転、女性死亡

 「救急車が来られない」「受け入れる病院がない」。柏崎市に隣接する刈羽村の倒壊した家屋から救助された五十嵐キヨさん(79)は、受け入れ先の病院が二転三転し、ひん死の状態で救助されてから約1時間後に病院に収容されたが、死亡した。災害時にどの患者を優先的に病院に収容するかという「トリアージ」の難しさを突き付けた。

 地震で五十嵐さん方2階建て家屋は1階部分が完全に押しつぶされた。「キヨさんがいない」。近所の人たちは五十嵐さんがよく行く畑などを探したが見当たらず、近所の約30人がチェーンソーなどで倒壊家屋をかき分け、16日正午ごろに五十嵐さんを助け出した。

 五十嵐さんはうっすらと目を開けるが、どんどん意識が遠のく。救急車を要請したが、来られないとの回答。村には常駐する救急車はなかった。急きょ、消防団の消防車に先導された軽トラックで搬送することになった。地震で隆起し、亀裂が走る道は思うように進めない。刈羽郡総合病院に向かったが「医者が足りない。受け入れられない」との無線連絡が入った。同病院は負傷者であふれかえっていた。

 次に長岡赤十字病院に転進したが、ここも「いっぱいでだめ」。反対側から来た救急車を強引に呼び止め、すでに乗っていたけがの患者と乗せ替えてもらい、最終的に柏崎中央病院に収容されたが、間もなく息を引き取ったという。

 近所の男性は「道の状態がよく、搬送先が二転三転しなければ間に合ったかもしれないのに…」と肩を落とした。

 五十嵐さんを搬送したトラックの男性は「いつもにこやかないい人だった。もっと早く運んであげられれば助かったかもしれないのに…」と肩を落とした。

記事の事実関係のキモは、

    倒壊した家屋から救助された五十嵐キヨさん(79)は、受け入れ先の病院が二転三転し、ひん死の状態で救助されてから約1時間後に病院に収容されたが、死亡した。
平時の医療なら問題になるかもしれませんが、これは災害医療です。それも大規模で広範囲に発生している大災害です。医療機関も被災していつもより機能が低下している上に、押し寄せる負傷者にとても手が回らない状態であるのは関連記事を引用するまでもないでしょう。さらにこの事件が起こったのは地震当日の7/16です。今でも混乱状態は続いているでしょうが、7/16の混乱は目に浮かぶものがあります。

また平時の感覚でも搬送先が二転三転して1時間なら長いとは今や必ずしも言えません。平時の大都市であっても重傷患者の搬送先の決定に1時間程度かかるのはもう事件レベルではありません。少し前の記事ですがYOMIURI ONLINEから引用します。

4月下旬の夕刻。越谷市の山中義一(66)(仮名)は、電話をかけ続ける救急隊員の声を聞きながら、横たわる母(94)の顔を見ているしかなかった。

母が突然、心筋梗塞(こうそく)でベッドに突っ伏したのは、午後4時半ごろ。以前受診した病院に電話すると、「救急車を呼んで下さい」。別の病院も同じ返事だった。

 119番通報から3〜4分で救急車は到着。2人の隊員が交代で受け入れ病院を求めて電話をかけたが、「空きベッドがない」「医師がいない」「手術中」……。幾つもの病院に断られた。「30か所ぐらいかけた」と山中は記憶している。

 東京都足立区内の病院が決まったのは約1時間半後。母は助からなかった

引用した記事は大災害での悲劇ではなく、まったく平時の大都市部での実話であり、この程度の事がもはや例外的な出来事でないのはたくさんのコメンターが証言してくれています。記事になっていないもっと凄い実話がゴロゴロしているのは最早常識レベルになっています。大都市部でも起こりますから、崩壊が進んでいる地方僻地ではもっと日常的な状況になりつつあるのは言うまでもありません。ですから地震当日に1時間程度で重傷患者が収容できたのは幸運の部類に入るかと考えます。

産経記事では死亡事故とトリアージを関連付けて書かれています。どうにもこの記事を書いた記者のトリアージの概念は余りにトンチンカンです。記者の頭の中には「二転三転」して「1時間かかった」から「手遅れ」になったが強い先入観念となっています。そこから導かれた記事はもっと早く治療を開始すれば「助かったはず」です。そこで持ち出された記者のトリアージは「重傷者を最優先」です。

災害医療でトリアージが行なわれるのは重傷者を優先するところまでは正しい理解です。しかし災害医療のトリアージでは「助かる重傷者」が優先されます。そこでは「絶対助からない」、「まず助からない」クラスは後回しにされます。「まず助からない」クラスには、平時に万全の体制で受け入れたら「なんとかなるかもしれない」クラスも含まれます。優先される重傷者は災害で機能を落とした医療機関でも助けられるものが優先されるのです。

非常に冷たい優先度の決定ですが、それを行なわなければならない非常事態が大災害時であり、そこで行なわれるのがトリアージです。平時と重傷者の取り扱いの概念が全く異なる事をこの記者は理解していると思えません。災害医療のトリアージの概念から言えば、救出から1時間後に治療を開始しても救命できないような重傷者の治療を行った事はトリアージのミスとも言えます。

遺族の方や救出に尽力された方々の思いとは非常に反するものであるのは間違いありませんが、この死亡事故とトリアージを結びつけて書くのなら、トリアージとして死亡した患者を最優先して治療しなかった事ではなく、トリアージとしてこの患者を治療してしまった事になるとも言えます。治療したは言い過ぎかもしれませんので、患者の重症度として黒タグクラスであるのは結果として言えますから、黒タグ患者を1時間で治療開始したとも考えられ、医療体制としてはベストを尽くしたと評価しても良いと思います。

医療関係者以外には違和感を感じる内容かもしれませんが、広域の大災害時の医療体制とはそういうものであり、平時の治療の概念とは全く異なるものであることを知って欲しいかと思います。せっかく救出された患者が救命できなかったのは医療関係者であっても無念ですし、平時の万全の体制であれば救命の可能性もあったかもしれませんが、そうでないのが非常時であり、そこで使われるのがトリアージなんです。

記者も地震の悲劇を伝えるのは必要かと考えますし、平時なら救命できたかもしれない無念を伝えるのも構わないと思います。それを生半可の理解でトリアージに結び付けるのは勉強不足も甚だしいと断じておきます。記者に言いたい、あなたは本当に現場に行ってその惨状を取材したのですか。修羅場となっている医療現場の実態を確認したのですか。私にはヒョコヒョコと現場をふらついて拾った話をお涙頂戴の記事にしただけとしか思えません。

大災害現場の修羅場と平時の治療を混同して、安易にトリアージの言葉を振り回す産経記者の愚劣さを哂います。