第一生命社医採血ミス訴訟

平成19年05月31日東京地方裁判所民事第30部平成18(ワ)14387損害賠償請求事件が正式名称になり、判決文もupされています。判決文読んだ素直な感想ですが、民事訴訟では本当に何を主張してもOKと言うことです。私の曲解もあるかもしれませんが、民事訴訟は「言葉に置き換えた喧嘩だ」の言葉がつくづく実感でき、あまりの物凄さにかえって感心してしまいした。

原告は東京大学卒業の眼科開業医、年齢は1958年生まれとなっているので今年で49歳になるはずです。1983年卒業で1988年に開業ですから、卒後5年で開業している事になります。東大出身者だから早期に開業したら悪いわけではありませんが、東大出身者であるないにかかわらず、5年で開業は異常に早い印象です。

ただ経営は順調なようで、損害賠償額の算定のところで月収1200万円とあり、月収が給与分なのか、収支差なのか、売り上げなのか特定しづらいのですが、売り上げであっても順調と言えそうです。また今回の事件のそもそもの発端である2億円の生命保険ですが、保険料543万1600円を一括で支払ったように読み取れますから、これも相当豪儀な印象です。この辺は貧乏開業医の僻みが出てしまうのが悲しいところです。

事件の経緯は単純で、原告が生命保険に加入するため採血検査が必要となり、バイトの放射線科の社医が採血したところ、広範囲の皮下出血を起し、それによる損害賠償と慰謝料の請求です。ちなみに要求したのは休業損害200万、慰謝料200万、弁護士費用40万です。

35ページもある長い判決文なので要領よくまとめたいところですが、まず争点は3つに絞られています。

  1. 皮下出血の原因
  2. 採血方法の過失
  3. 採決後の被告の処置の過失
1.と2.については原告の主張を見てみます。まず皮下出血の原因の原告側主張です。

  1. 被告Aは,採血台を腕と直角に置き,肘関節を過伸展させ,肘動脈が浮き出る状態にし,肘動脈の上を走る尺側皮静脈に穿刺45度で深く針を刺し,かつ,途中で血液が止まったので針を動かしたものであり,その際,静脈を貫通し,下の動脈を傷つけたと考えられる。


  2. 本件採血直後に圧迫止血をしたのに,穿刺部位と離れた中枢側と末梢側に血腫が急速に広がった。動脈は血液が中枢から末梢に向かって流れるのであるから,採血部位の中枢側に多量の血腫が生じたのは,動脈を損傷したことを示すものである。


  3. 11月28日原告医院を訪問したEは,原告の皮下血腫を確認し,動脈損傷を認め,謝罪した。


  4. 原告は,本件採血当日に受診したD病院で肘動脈損傷と診断され,圧迫包帯をされた。同病院の平成18年5月22日付け診断書には病名「左肘動脈穿刺の疑い」とし,その根拠として「広範囲にわたる出血斑を認めた」「通常静脈穿刺後の出血斑は約10日で消退するが,約1か月間にわたり出血斑6月20日付け診断書には病名「外傷性血腫」と診断され,その根拠として「紫斑の範囲が尋常ならざることより,動脈損傷を伴っている疑いがもたれる」と記載されている。


  5. 原告を診察した東京都老人医療センター整形外科I医師の診断書には,病名「左上腕動脈損傷及び左肘から前腕部血腫の疑い」と記載され,その根拠として,「左肘屈曲クリーゼより1cm遠位に直径7mmの腫瘤を左上腕動脈のそばに触れた」と記載されている。


  6. 原告を診察したG整形外科医院は,12月1日「ティネル徴候+」,同月6日「3cmティネル徴候+」,同月28日「5cmティネル徴候+」と診断し,平成18年5月20日付け診断書で病名「左内側前腕皮神経損傷」としている。


  7. 被告らは,原告が採血部位を圧迫することなく,アルコール綿を穿刺部位に付けたり離したりしたと主張するが,原告は,東京大学医学部を卒業後5年間大学に在籍して臨床医療に携わり,開業してから約18年にわたり診療,手術に従事し,自ら経営する医院で看護師が行う800件以上の採血を,管理医として指導・監督する立場にある経験豊富な医師であり,そのようなことをする必要性も理由もない。

ちなみに採血が行なわれたのが11月27日ですが、証拠として提出された病院の初診日及び診断書交付日をまとめておきます。

診療機関名
初診日
診断書交付日
D病院11月28日5月22日
F皮膚科11月29日6月20日
G整形外科医院12月1日5月20日
東京都老人医療センター12月8日6月15日
ついでですが11月28日には

被告Aは,被告会社での上司であるEとともに,原告医院を訪問した。被告AとEは,原告の左腕を見てから,原告に対し,本件採血について謝罪した。原告は,Eに対し,左腕を出して「これをどうしてくれるんだ」と激高し,「100万,200万じゃすまない」と金銭を要求した。

おそらくこれが起因するかとか考えるのですが春日部警察署で事情聴取を受けたとなっています。なかなかの対応かと思います。これだけではなくホームページブログまで立てています。何回もデジカメで撮影された左前腕部の腫れ具合を見たい方はどうぞ御訪問ください。

採血方法の過失については

  1. 採血台の使用方法の誤り


      採血台は,腕を固定するために中央部分が凹んだ溝型をしており,その凹んだ部分に沿って腕を置くべきであるのに,被告Aは,原告の左腕を採血台と直角に置くように指示した。このため,肘が過伸展の状態となり,肘動脈がより浮き出た。


  2. 採血場所の誤り


      原告は痩せており,安全に採血ができる肘正中皮静脈がよく出ていたので,そこから採血すべきであったのに,被告Aは,肘動脈損傷や神経損傷の危険が高い尺側皮静脈に針を刺した。


  3. 採血針の角度の誤り


      原告は痩せているので側皮静脈のすぐ下を肘動脈が走っており,この肘動脈を傷付けないようにすべきであるのに,被告Aは,45度に近い急角度で針を刺した。


  4. 不注意な針の動かし


      被告Aは,血液の出方が悪くなった際,肘動脈の位置を確認しないで,更に深く針を動かした。

皮下出血の原因、採血方法の過失ともに複数のポイントを挙げて被告の過失を原告は主張していますが、裁判所の判定は、

本件皮下出血の原因が,被告Aによる本件採血により動脈を損傷したことよること,又は静脈を必要以上に損傷したことによることを認めるに足りる的確な証拠はない。

理由は長くなるので省略します。

ここで裁判所が認めた出血の原因を長くなりますが引用します。

原告は,被告Aが採血道具等を片づけている間に,原告自身が本件採血部位が腫れてきたことを指摘し,被告Aからしっかり押さえるように言われたことを認める供述をしており,また,原告が,G整形外科医院においても,医師に対し,皮下出血が著明で,圧迫を指示された旨話していることからすれば,当時,原告が,アルコール綿を離して本件採血部位を見るなど,止血に不十分な点があったことから,被告Aから圧迫が不十分であるとの指摘を受けたことが認められる。

そして,これに前記被告Aの供述を合わせ考えれば,当時,被告Aの採血に不満を抱いていた原告が,採血部位を確認するため,何度かアルコール綿を離すなどして,その圧迫が十分ではなかったものと推認するのが相当である。したがって,原告が15分間ずっと圧迫を行っていたとの前記原告供述は採用することができず,原告において,止血が行われたかどうか,アルコール綿を付けたり離したりして,左右の腕を比べて,腕を屈曲,伸展したことはあったものと解するのが相当である。

しかも,本件採血により動脈損傷があったと認めるに足りないことは前記判示のとおりであるから,穿刺部位からの出血がことさらに多量であったものと思われないうえ,原告が主張するように本件採血直後から15分間も圧迫して適切に止血をしていたのであれば,仮に注射針が動脈を引っ掛けたとしても,本件皮下出血が発生することはなかったものと考えられるのであるから,本件皮下出血の原因は,止血が適切に行われなかった点にあると考えるのが相当である。

原告の数々の主張があったにも関わらず、裁判所が皮下出血の原因として認めたのは、

    本件皮下出血の原因は,止血が適切に行われなかった点にあると考えるのが相当である。
原告側の主張であった
    被告らは,原告が採血部位を圧迫することなく,アルコール綿を穿刺部位に付けたり離したりしたと主張するが,原告は,東京大学医学部を卒業後5年間大学に在籍して臨床医療に携わり,開業してから約18年にわたり診療,手術に従事し,自ら経営する医院で看護師が行う800件以上の採血を,管理医として指導・監督する立場にある経験豊富な医師であり,そのようなことをする必要性も理由もない。
全く認められなかったことになります。要するに臨床経験18年の経験豊富な医師が圧迫止血の基本手技を怠ったと言う判定です。医師としては相当恥しい事実を認定されたことになりますが、事実認定は裁判所の判定に道理があるかと考えます。従って訴訟の焦点は原告が圧迫止血を怠った事に対し、どれほどの注意義務を被告が負うかという事になります。

被告が責任を問われたのは、まず止血確認の不実施です。

被告Aは,その後,原告が止血を十分に行わず,アルコール綿を付けたり離したりしていることや,腕を屈曲,伸展していることを現認していたにもかかわらず,これらの行為に対して,何ら指示や注意等を行っていないことが認められる。この点については,証人Eも,被採血者が止血しないで腕を屈曲,伸展していたら,医師は,そのような行為を止めるように言うべきであると証言しているところである。

そして,このような場合には,止血を適切に行うよう注意し,止血方法を指示すべきことも,採血を担当した医師としての止血についての観察,確認義務の一つであると言える。たしかに,被告Aは,原告の腕の腫れに気付いた際,「腫れてきましたかね」と言って,原告の指の上から腕を掴むように圧迫したことが認められる。

しかしながら,その後すぐに自ら圧迫することを止め,その後原告が両腕を揃えて見比べたり,ときには肘関節を曲げ伸ばししたりしたことに対しても,自分より年長者の医師に対し注意することに躊躇を覚え,黙認していたというのであるから,止血確認義務としては,不十分であったと言わざるを得ない。

したがって,被告Aには,止血確認を十分行わなかった注意義務違反があるものと認められる。なお,このことは,たとえ,被採血者が原告のような止血について認識しているベテラン医師であっても,同様であると考えられる。

もう一点は血腫防止措置の不実施です。

止血を十分確認し,支障のある行動に対しては,それをやめさせるよう指示すべき注意義務があると解されるところ,被告Aは,原告が十分に圧迫することなく,腕を屈伸させているのを黙認していたというのであるから,被告Aには,皮下出血を認識した後に,原告による止血が十分行なわれるよう注意すべき義務怠り,皮下出血を生じさせた注意義務違反があるものと認められる。

これはたとえどんなベテラン医師が相手であっても、口うるさく圧迫止血の指示をしなければならないの判決と解釈します。ベテラン医師だから「そんな事は常識」と判断してはいけないと言う事です。結果として皮下出血が広範囲に発生すれば注意義務違反を問われると言う結果を示しています。

注意義務違反に対し認められた損害賠償は請求額の半分の100万円、慰謝料は1/10の20万円、弁護士費用は半分の20万円の計140万円をまず認定しています。その上で過失相殺を行なっています。その理由として、

本件では,原告は,止血の意義や方法等を理解している医師であることからすると,止血が不十分であれば,本件のような広範な皮下出血が生じることを十分認識できたはずであり,それにも関わらず,前記認定のとおり,原告自身アルコール綿による圧迫を十分にしておらず,出血がとまったかを確認するため,アルコール綿を外したりするなどの行為していたこと,左右の腕を見比べたり,腕の屈伸をしたりしたことからすると,本件の損害の発生について原告にも相応の責任があるといわざるを得ず,その他本件に顕れた諸般の事情を総合考慮すると,その過失割合は3割と認めるのが相当である。

よって,前記の損害額140万円のうち被告らが原告に賠償すべき金額は,その7割に当たる98万円となる。

この98万円ですが、訴訟前に原告被告の間でこんなやり取りがあります。

被告らが,原告の損害賠償の請求に対し,「慰謝料として10万円」「11月29日,12月1日及び5日の代診代」として証拠を提出すれば90万円を限度として支払うことを表明した

そんなところを踏まえてのものだと推測されます。

この判決文をエントリーに挙げて分析したのは、JBM判例に該当するかどうか検討するためです。JBM判例に該当するかと言えば該当すると思いますが、個人的にはあえて入れたくないと思ってしまいます。JBM判例はどれも「エエッ!」てな司法判断がありますし、この判例でも「止血が適切でなかった」の司法判断の内容は「ちょっと」と言いたくなりますが、これは判例と言うよりも、法律関係者が民事訴訟でしばしば口にされる「当事者間の紛争の解決」にすごく近いような印象です。

つまり原告は実際に被害はあった訳であり、その被害に関して猛烈な勢いで責任をアピールしています。ところが事実関係を確認すると、医療に素人の裁判官が判定しても原告側の主張は「???」ですし、私も裁判官の判断を基本的に支持できます。民事訴訟で裁判官は紛争の解決の仲裁者でもありますから、落としどころを探せば、訴訟前に100万の和解金の話があったことを見つけます。

訴訟がなくともこの和解条件に原告が納得すれば被告は支払わなければならなかったのですから、これを目安に判決文を組み立てたかと考えます。それだけではなく原告にある種のペナルティを課しているようにも思えます。訴訟がなければ原告の勢いからして和解条件の満額である100万円が支払われたかと思いますが、判決の98万円には弁護費用40万が含まれますから、実質は58万円となります。もっとも98万円と言っても2005年11月27日から年5分の利息が課せられ、判決日が2007年3月20日ですから、約1年4か月分の利息が積み重なり、概算ですが104万3970円となりますから、64万3970円となるのがより正確な値に近いと考えます。

すごい人物に絡まれて時間と労力と金銭を費やした民事紛争であると言うのが私の感想です。ですからJBMにするのはチョットどうかなと考えています。