取材源の秘匿

いい加減この話題(カルテ流出告訴記事)から離れたいと思いながら、1週間ほどこればかり追いかけていたので他の話題に集中できません。一遍に離れるとリバウンドが起こりそうなので、徐々に周辺の話題に移行しながら離脱したいと思います。

カルテ流出問題でマスコミに容疑があったとしても「取材源の秘匿」で終わりだろうと言う意見は多数見られます。取材源の秘匿以前に「人の噂も75日ダンマリ作戦」ではないかの指摘も鋭いものです。個人的には下手に何か主張すればうるさそうなので、後者の方針を取るような気がしています。後者はともかく取材源の秘匿を少し考えてみたいと思います。

取材源の秘匿と言うとすごく格好の良いイメージがあります。どこかで見たような、聞いたような話を作ってみます。

    場所はアメリカ。大統領とその側近による腐敗情報を取材していた記者は、努力の結果、有力な証拠を関係者から密かに入手する事に成功します。その証拠を基にスクープを飛ばし、政府は苦境に陥ります。しかし政府も黙っていません。すぐさま反撃が始まり、国家機密漏洩により記者は議会に召還され情報提供者を明らかにするように求められます。

    記者は取材源の秘匿を盾に情報提供者の身許の証言をあくまでも拒否。これを証言拒否を理由に記者は実刑を受け収監される事になります。一方でスクープにより沸騰した世論は政府の腐敗を叩き、やがて政府は退陣を余儀なくされます。前政権の腐敗追及を旗印にした新政権が誕生し、記者は釈放され、歓呼の声とともに民衆に迎えられ英雄になる。
適当に事実を下書きに作っただけの話ですが、この取材源の秘匿を巡る例え話のキモは、アメリカにおいても取材源の秘匿は法制化どころか慣行としても必ずしも認められていないと言う事です。取材源を秘匿する事は記者が報道の自由を守る上においての規律とされますが、保障された権利ではなく、むしろ記者であるからにはいかなる犠牲を払っても守らなければならないモラルであるということです。

モラルであるからには時に証言拒否を行なったために逮捕されたり、実刑を受けて収監される事もありえることであり、そういう犠牲を払っても報道の自由のために貫き通さなければならない気高い精神と言った方が良いと思います。こういう犠牲を伴う気高い精神があるからこそ内通者も危険を犯して情報を提供するわけであり、情報提供を受けたからのは記者は身を犠牲にしてでも取材源を秘匿するわけです。

小倉秀夫の「IT法のTop Front」に取材源の秘匿のエントリーがあります。小倉秀夫氏はプロフィールに「弁護士。中央大学法学部兼任講師」とあり、法律の専門家と言っても良いかとおもいます。そこにまず欧米の報道機関の取材源の秘匿に関する原則が書かれています。

その情報を正しく認識する能力及び立場を有する者に端を発する情報か否か、その者には正しい情報を提供する動機があり、かつ、誤った情報を提供する動機がないか否か、その者の認識が変容せずに正しく伝達されているかということが、当該情報の信頼性を判断する上で重要です。したがって、欧米では、マスコミと雖も、情報源を秘匿しないのが原則です。

なんと欧米では取材源を秘匿しないのが原則だそうです。アメリカの取材源に対する基本的な態度は、

取材源の秘匿に固執するより、公開に努力する方が、記事の真実性は保証され、新聞は読者の信頼を勝ち取れる

それでも国家権力に対する取材源の秘匿が必要とされることがあります。そういう時はASNE(米国新聞編集者協会)の「Statement of Principles」の第6条に則って考えるとされています。

ARTICLE VI - Fair Play. Journalists should respect the rights of people involved in the news, observe the common standards of decency and stand accountable to the public for the fairness and accuracy of their news reports. Persons publicly accused should be given the earliest opportunity to respond. Pledges of confidentiality to news sources must be honored at all costs, and therefore should not be given lightly. Unless there is clear and pressing need to maintain confidences, sources of information should be identified.

末尾の斜線部分が重要な点で翻訳すると、

情報源を秘匿するという約束は全てのコストを支払っても守られるべきだが、それ故、そのような約束は軽々しくすべきではない。匿名を維持する明白かつ差し迫った必要がない限り、情報源は明らかにされるべきである。

取材源の秘匿は報道機関にとっても相当の覚悟とコスト、リスクが必要なものであり、これが実行される時には、

権力の腐敗を暴くような情報が提供されたような場合には、取材源の身を守る必要性が高くなります。この場合、米国のマスコミは、取材源に関する法廷での証言を拒絶し、法廷侮辱罪で収監されても、取材源を秘匿します(裁判所は、マスコミに対して、取材源に関する証言拒絶権を与えているわけではありません。)。実際、米中央情報局(CIA)工作員名漏えい疑惑では、米タイム誌の記者や米ニューヨーク・タイムズ紙の記者が、法廷侮辱罪で収監を命じられています。
 
 情報提供者との間で「取材源を秘匿する」という約束をすることはこれほど重大なことなので、前澤・前掲によれば、米国の報道機関では、そのような約束を行う権限を現場の記者に与えない等の内部規則を作っているようです。

つまり取材源の秘匿はこれを権利として安易に振りませるようなものではなく、やるからには記者生命、報道機関の命運を賭してまで行なう伝家の宝刀みたいなものと解釈できます。これぐらい取材源の秘匿とはアメリカでは重要かつ重大な事柄だと言えます。

一方で日本の取材源の秘匿の運用例を小倉氏は例として玄米酵素事件を挙げておられます。

1996年5月ころ、警察は、ある医師の告発を信じて、札幌の食品会社「玄米酵素」の事務所等を、薬事法違反の疑いで家宅捜索しましたが、結局、薬事法違反の事実は発見されませんでした(その後、嫌疑不十分で不起訴となりました。)。これが事件の発端です。なお、警察は、この家宅捜索について、正式な記者会見は行いませんでした。ところが、NHKは定時ニュースにて、「劇薬に指定されている甲状腺ホルモン剤の入った健康食品を製造・販売していた札幌の食品会社『玄米酵素』の事務所や工場を警察などが薬事法違反の疑いで家宅捜索しました」と報じてしまいました。そこで、「玄米酵素」が警察を相手取って国賠訴訟を、NHKを相手取って損害賠償請求訴訟を提起しました。

この事件は玄米酵素社が薬事法違反の捜査を受け、この捜査情報を警察が(おそらく)NHKにリークし、リークを受けたNHKは取材源を明らかにしなかった事件です。日本流の取材源の秘匿です。この事件について小倉氏はこう論評しています。

ASNEの「Statement of Principles」に示された基準に則るならば、「玄米酵素」事件の場合、そもそも「取材源の秘匿の約束」をすべきではない場合にあたるというべきです。しかし、日本のマスコミは、そのような場合にも、暗黙の了解で、取材源を秘匿する旨の約束をしてしまっているようです(あるいは、特段の約束がなくとも、取材源を秘匿するのが原則だと思っているのかもしれません。)。
 
 日米の報道機関の「取材源の秘匿」に関する態度のこの顕著な差は、「真相を探求して報道する」ということに関する意欲の差に端を発しているのかもしれません。なにせよ、日本の報道機関には、その報道によって読者又は視聴者が印象づけられる事実が真実か否かを探求する気が全くありません。

さらに小倉氏は厳しく指摘しています。

自らの報道によって、読者・視聴者が誤った事実認識をしてしまいその結果正しい判断をすることが阻害されることになろうとも、あるいは報道の対象となった人・企業が不当に名誉または信用を毀損されて致命的な損害を被ることになろうとも、そんなことはどうでもよいというのが、我が国の多くの報道機関の基本的な発想です。
 
 このような考え方でいるものですから、日本の報道機関は、報道内容の真実性を根拠づける「取材源」をできる限り明示しようという考えに至らないのでしょう。

最後にメディアコム特殊研究I・IIテレビジャーナリズム論の取材源の秘匿から高裁判決で取材源の秘匿として認められる範囲を示した判決要旨を引用します。

高裁決定のポイント:



<職業の秘密>

報道機関が取材源公表を余儀なくされると、取材源との信頼関係が失われ、その後の取材活動が困難になり、取材や報道の自由が著しく阻害される。公権力行使に対する監視機能も十分に果たすことが出来なくなる恐れがある。

取材源は民事訴訟法上の「職業の秘密」に該当し、証言拒絶は原則として理由がある。



<取材源を秘匿出来る報道>

取材源の秘匿は公共性のある報道に限って認めるのが相当で、他人の中傷を目的としたり、私人の私事に関する報道について認めることは適当でない。



<公平な裁判との比較>

公平な裁判の実現は極めて重要な社会的価値で憲法上も裁判を受ける基本的権利を定めているが、報道・取材の自由も憲法的な保護を受ける権利として認められ、前者が絶対的な価値を持つものではない。



<間接的な質問に対する証言拒否>

取材源秘匿の実行を期すためには、間接的な質問にも証言拒絶が出来ると解するのが相当。取材源の数や信頼できる理由を問う質問も、重ねることで取材源が特定される恐れがあり、証言拒絶は全て理由があると認めるのが相当。

仮に取材源が公務員で、秘密情報の漏洩が国会公務員法(守秘義務)違反になるとしても、直ちに報道機関の行為が違法性を帯びる行為とはいえない。

この中でとくに「取材源を秘匿出来る報道」として定義される

    取材源の秘匿は公共性のある報道に限って認めるのが相当で、他人の中傷を目的としたり、私人の私事に関する報道について認めることは適当でない。
今回カルテ流出に関してはどう適用されるのでしょうか。