画像検証

えらそうなタイトルですが、情報源は天漢日乗様のところにおんぶに抱っこです。

現在のところカルテ(医師記録及び看護記録)が画像で放映または記事になったと確認できるのは、

他にも番組や新聞記事として報道されたものはあったかもしれませんが、半年前の事でありこれだけでも見つかった事は、ひとえに天漢日乗様と読売の記事を発掘された方に感謝するしかありません。少ない情報ですが、ここから分析してみます。

順番は前後しますが、まず朝日放送および関西テレビが放映した画像が看護記録であることも間違いありません。医療関係者、とくに医師、看護師であればこれに異議を唱える方はいません。

次にTBSの4枚組みが何かになります。わざと不鮮明に映しているので推測ですが、右から2番目は看護記録のそれも入院時記録であろう事で意見が一致しています。また右から3番目が診療情報提供書であろう事も確実性は高いと考えられています。問題は両端の2枚です。

まず左端ですが、現時点で有力な意見としては母体搬送のための搬送依頼書ではないかです。明らかに細々と印刷された文書が印刷されており、下端の長方形の空欄、また頭部の文字数が搬送用紙のものに等しいとの情報もあります。これについては意見が分かれていますが、少なくとも医師記録でないことは確実として良いと考えます。

右端は拡大画像と合わせて11/2の毎日放送の画像と同じ筆跡のものであるとの意見が有力です。毎日放送はTBSの右端書面の一部を放映したのではないかと言う見解もあります。毎日放送の拡大画像は明らかに書面の下端を映しており、そうなればTBS画像は二つ折りとなっており、その反対側の部分である可能性が高いとも考えられます。

これが医師記録であるか看護記録であるかですが、書面の構成が基本的に看護記録です。医師記録の書面形式は10/31の読売画像で確認されており明らかに異なります。筆跡については専門家でありませんから断言できませんが、医師記録の筆跡とは異なるように感じます。問題はこれが看護記録とすると関西テレビ朝日放送の看護記録画像と書式、筆跡とも異なる事です。

そうなると看護記録は2種類の書式と、複数の看護師が記録したことになります。そんな事がありえるかですが、病院によって異なりますが、患者が重症になったときに看護記録が通常タイプから重症記録用紙に切り替えになる事があります。私の知っている限りでは、通常時は右端のような形式で、定時のバイタルとそのときの所見を書き込む形式です。重症時にはバイタルなどの記載事項が飛躍的に増えるために関西テレビ朝日放送が放映した形式になります。

2つの書式がありえるとして、TBS放映分の看護記録にはいくつか謎があります。

  • 文章が長い割にはバイタル記録が乏しい
  • 看護師が書いたにしては、字の綺麗、汚いは置いておくとして、罫線のはみ出しが見られる。
  • 重症時の記録の書き手とは明らかに異なる
このような記録を書ける条件を満たす看護師がいたかどうかです。一人だけ可能性があります。事件当夜が大騒ぎだったのは既報の通りですが、記憶に間違いがなければ途中から婦長も出勤してきて加わったはずです。この婦長が部長クラスだったのか、病棟クラスだたのかは覚えていませんが、加わったのは確かです。この婦長が国循搬送終了後に「まとめ」を書いたのなら上記の条件を満たすと考えます。

もちろん憶測ですが、緊急事態に深夜駆けつけた婦長は途中から担当を変わった可能性はありえます。夜勤看護婦はその他の患者の看護に回し、自分が直接担当になったストーリーです。これもよくある風景です。ベテランの婦長ならああいう字を書いてもおかしくないですし、久しぶりに看護記録を書いて罫線をはみ出す事もありえるかと考えます。

TBS画像の文章はもちろん拡大部を除いて読めませんが、拡大部分から推測すると「まとめ」的な書き方をしているようにも見えます。この辺は病院により慣行が異なるのでわかりませんが、この病院の慣行になかったとしても婦長ならそういう書き方になる事はありえる事ではないかと考えます。

TBS画像で医師が書いた部分として問題になるのは診療情報提供書部分だけかと考えます。なぜこの部分をTBSが入手できたかについて最後に考えてみます。

前提となる事実は遺族および遺族側弁護士の主張です。

  1. 昨年の報道当時にはカルテは看護記録部分しか請求せず、そこしか持っていなかった。
  2. シンポジウムで遺族側弁護士は「ほんの一部しか入手していない」と明言した。
  3. 同じくシンポジウムで遺族側弁護士は「ごくごく最近にすべて入手した」と明言した。
仮にですが、TBS画像の左端の書類が搬送依頼書であったとすると、患者が搬送された後は退院となりますから、最後にまとめて綴じられる事になります。この時に病院の慣行ないし誤って診療情報提供書とともに看護記録の最後の方に綴じられた可能性があります。遺族が請求したのは看護記録だけですから、医師記録と看護記録を分ける時に看護記録に残されていた事はありうることです。だから看護記録だけ請求していた遺族の手許に診療情報提供書が渡っていたのではないでしょうか。

遺族側弁護士が「ほんの一部」と表現し「看護記録だけ」と話さなかったのは、診療情報提供書と搬送用紙が含まれていたので職業柄、正確を期すための表現と考えれば辻褄が合います。そうなると遺族が報道陣に公開していたのは、看護記録と診療情報提供書と搬送用紙らしきものだったという事になります。

今日は残された画像を検証してみましたが、やはり医師記録を確実に入手しているのは読売新聞だけとなります。