長野問題の経緯を考える

一昨日から長野問題について様々な意見が寄せられています。力の入った鋭い御意見ばかりなんですが、今日は経緯をまとめたいと思います。

平成18年3月前知事の方針に反対した前院長更迭
平成18年5月前知事と意見を共有しているという現院長が成育医療センターより着任。いつでも誰でも受診できる病院をめざし、総合診療科、麻酔集中治療科を中心とした全人的な総合診療体制を構築すると宣言。その後、県議会でこども病院の治療方針の変更に関し、議論になった。
平成18年7月現院長は小児救急開始のための病棟改築案を県に提出
平成18年8月選挙で前知事落選
平成18年9月8月の病棟改築案は棚上げにされ、新知事は議会での議論を踏まえ、「こども病院のありかたを考える会」を立ち上げ、考える会が提言をまとめるまで、診療方針の転換に関しては凍結するように現院長に指令
平成19年2月管理者が医局会で4月から小児科医による小児救急体制を開始すると通告(この際に戦時体制という発言が飛び出しました)
平成19年3月考える会が『こども病院は紹介患者を診療することを基本とする』という提言を知事に提出。

もちろんこの経緯の前に前知事がこども病院での一次救急受け入れを発表したのが発端であるのは言うまでもありません。前知事の考え方に影響を与えた人物として医師である前副知事の澤田祐介氏をmoto様が指摘されています。前副知事の救急に対する考え方は

「救急病院の扉は、ちょうど教会の扉が、常に、万人に対して開かれているように、どのような患者に対しても、常に開かれていなくてはならないものである。翻って考えてみれば、現行の初期・二次・三次といった救急医療体制は、本質的に医療側の論理から、また数多くの救急病院のひしめき合う大都会の実状から生み出されてきた仕組みであり、全ての地方に適応するものとは思われない。三次救急医療施設としての救命救急センターは、三次救急患者のみを診療する施設ではなく、三次救急患者までを受け入れて診療する施設であり、救急患者をいかなる理由があろうとも断ることなく受け入れることが、その社会的責務であると考える。」

moto様は救急救命センター選出問題までからめていますが、ここでは前副知事の救急に対する考え方が、一次から三次まで統合する24時間コンビニ巨大戦艦病院思想である事を指摘しておきます。そしてこの考えが前知事に影響を及ぼした可能性が高く、最終的に小児救急戦艦病院設立に舵を切ったと考えられます。そこで白羽の矢が立ったのはこども病院。

前知事がどんな巨大戦艦病院を構想していたかを知る手がかりは、救急反対の前院長を更迭後迎え入れた人事に見る事が出来ます。国立成育医療センター手術・集中治療部部長であった宮坂勝之氏です。現院長の略歴は

長野県岡谷市生まれ。1969年信州大学医学部を卒業。1年間地域医療に従事した後、国立小児病院(現国立成育医療センター)麻酔科で研修。1973年よりトロント小児病院、トロント総合病院、フィラデルフィア小児病院、ボストンのマサチューセッツ総合病院などで小児科、麻酔科、集中治療、救急医療などの臨床医療に従事。同時に高頻度振動換気法開発など呼吸生理学研究にも従事した。1977年帰国し、国立小児病院麻酔科に勤務。1985年より小児医療研究センター病態生理研究室長を併任。1999年トロント大学AW Conn客員教授。2002年より国立成育医療センター手術・集中治療部部長。日米での麻酔専門医資格を有する

PALS(Pediatric Advanced Life Support)導入の立役者でもあるようで、前知事はごく単純に成育医療センターの様な病院にしたいと考えて良さそうです。おそらくその構想に従って病棟改築案まで出ています。前知事、前副知事、現院長が目指した方向がまったく同じかどうか疑問ですが、少なくともこども病院で小児救急をすると言う一点で3者は利害関係は一致したようです。どんな病院にするかは今となっては謎ですが、前知事の性格からするとそれなりの構想があった可能性はあります。(好意的過ぎるかな?)

ところが事態は前知事が知事選で敗れてから迷走します。前知事を否定する事で知事となった現知事は当然のようにこども病院問題を一旦白紙に戻します。白紙には病院改築計画も含まれます。今日の話はmoto様情報がベースになっているのですが、今年度のこども病院予算で目ぼしいのはリニアック導入の3億円ぐらいのようです。

現知事は前知事の計画を一旦凍結したものの有識者会議というべき「こども病院のありかたを考える会」で今後の方向性を論議させます。通常であればこの論議の答申を受けて来年度以降のこども病院の方向性を考えていくのが常道なんですが、今年の2月に小児科医による小児救急体制の開始を通告しています。県予算の読み方は難しいのですが、知る限り、設備も人員もそのままで小児救急開始を命じた事になります。

前知事時代の小児救急路線にはまだ思想があったかと思います。三次施設で一次救急を始める事の是非はともかく、小児救急巨大戦艦病院を実現させるべき人材を院長に据え、人員の点は不明ですが、設備はそれに合わせて改築するところまでの計画性はあったと考えます。

ところが現知事の小児救急路線にはそんな気配は微塵も感じられません。一番低次元の発想である、

    「小児救急が手薄である。こども病院には小児科医がたくさんいる。施設と人員の有効利用のために、こども病院で救急をやれば安上がりの施策である」
ほとんど思いつきに近い発想である証拠には、自分が作った有識者会議の答申さえ待たなかった事でわかります。さらに言えば、答申は小児救急体制の開始の通告の翌月に出されているのですが、この最終答申に対し政治的操作さえ加えていません。この答申は、

こども病院は紹介患者を診療することを基本とする

つまり従来通りの三次施設を堅持するのが基本であるからです。

現知事は現在の体制、人員で小児科医による小児救急体制を開始することを命じた事になります。新たな業務を命じるのに予算措置が無いので、小児救急を行なう分の業務の増大はすべてこども病院がそのまま被る事になります。ここで小児救急業務が片手間に出来るような軽微の業務であればまだ理解のしようもあるのですが、小児救急業務がいかに過酷なものであるかはさすがに医師以外にも常識化しつつあります。

莫大な新たな業務負担を予算、人員、設備の増強ゼロで強行すればどうなるか。現場は疲弊し、三次施設の主たる任務である重症疾患、難治疾患への治療水準の低下を招くだではなく、現場医師の逃散を招く危険性が大です。小児三次施設は一朝一夕で作れるものではなく、長年の経験と知識の蓄積、多様な疾患に対する治療技術の積み重ねがあって初めて出来上がるものです。

行政側の人間にはone of themのこども病院ですが、小児医療にとっては貴重な存在です。医師にとってもそうですし、重症の患者である子供にとってもかけがえの無い施設です。これを知事の思いつきで壊してしまう恐ろしさに慄然とします。