長野の戦い

 昨日私も含めて精一杯エールを贈らせて頂きました。読んでくれているかどうか正直不安でしたが、声は届いていたようで、azuminese様からコメントを頂きました。謹んで再掲します。

 Yosyan様、皆様、はじめまして。いなか小児科様のブログで私の書いたコメントに対し、多くの方々から励ましのご意見をいただき、ありがとうございます。改めて、インターネットの威力に驚いております。
 さて、皆様に心配いただいている4月からの小児救急体制開始の経緯について、もう少し詳しくお知らせしたいと思います。開院以来一貫しておこなってきた紹介制による高度専門医療を担当するという方針を転換し、小児一般診療を開始せよとの前知事の発言に関しては、平成18年5月号の日経メディカル誌に掲載されています。現在に至る経過はおおかた次のようになります。

    平成18年3月 前知事の方針に反対した前院長更迭
    平成18年5月 前知事と意見を共有しているという現院長が成育医療センターより着任。いつでも誰でも受診できる病院をめざし、総合診療科、麻酔集中治療科を中心とした全人的な総合診療体制を構築すると宣言。その後、県議会でこども病院の治療方針の変更に関し、議論になった。
    平成18年7月 現院長は小児救急開始のための病棟改築案を県に提出
    平成18年8月 選挙で前知事落選
    平成18年9月 8月の病棟改築案は棚上げにされ、新知事は議会での議論を踏まえ、こども病院のありかたを考える会 を立ち上げ、考える会が提言をまとめるまで、診療方針の転換に関しては凍結するように現院長に指令
    平成19年2月 管理者が医局会で4月から小児科医による小児救急体制を開始すると通告(この際に戦時体制という発言が飛び出しました)
    平成19年3月 考える会が こども病院は紹介患者を診療することを基本とする という提言を知事に提出。
 当院では開院以来、管理当直として、一名の医師(外科でも内科でも)がいわゆる宿日直にあたっていました。院長は御自分の構想を実現するため、これを変更して、4月からの小児科医による小児救急体制開始を宣言したしだいです。成育医療センターで実現した自分の考えをそのまま人口や地政学的にも異なる長野でも実現するという強い希望があったのかと思います。ちなみに院長は長野県の出身です。
 当院は50人と少しの医師がおりますが、前知事の任期中に怪しい雲行きを察知した医師が、県職員労働組合に加入し始め、10人ほどになりました。医局会は単なる親睦団体で、交渉団体にはなりえないということを理解しました。いままでは、厚生労働省の宿日直に関する通達や、三六協定なるものには少しも関心を持たず、当然のように連続36時間勤務をこなしてきました。多くの医師も同じだったと思います。
 今後はYosyan様をはじめとする皆様方のご意見を参考にさせていただき、県職労と連絡を取りながら、当面は交代勤務体制の実現を目標にしていきたいと思っています。
今後の経過は、改めてご報告させていただきます。

 たくさんの方からのこの問題への取り組み方のアドバイス、または心情的な支援コメントが無駄にならず、少しは役に立った事を喜びたいと思います。今日はまず長くなりますが、昨日エントリーで出された根本的な問題について書きます。この点を理解してもらわないと長野の戦いの意味が理解できないと考えるからです。それは、

    高次救急には最後の後送病院としての使命と役割があり、一次救急も行なうような救急をそもそも行なうべきではない
 これは常に考え方の基本に据えなければならない重要な事です。一次、二次、三次と機能分担された救急システムはその機能に応じた救急医療機関としての役割と機能を充実させながら連携していくものです。医師以外の認識として、「高次=なんでも出来る医療機関」のイメージが蔓延していますが、これには根本的な誤解があります。

 小児科のカバーする領域は広大です。小児科一つで内科の診療科のすべてをカバーしていると思えば良いかと思います。小児科は一般的にはいわゆる風邪、下痢みたいな一般感冒+αを診療していると考えている人が多いですし、私のような一次の町医者はそればかりを診察していると言われたらその通りです。小児科患者の数としての大部分はそういう患者です。また一般感冒+αが重症化したら、これは二次医療機関で入院治療する事になります。二次は一般感冒+αともう少し難度の高い病気をカバーします。

 小児科の大多数の患者は一次及び二次で治療は賄えます。では三次は二次で扱っている病気のうち、一般感冒+αがさらに悪化したものを治療しているかと言えばそうではありません。そういう例も無いとは言えませんが、一次、二次とは別格の難病を扱っているのが小児の三次救急です。三次が担当する病気は二次で治療しきれなかったそれなりに難度の高い病気と、最初から二次では到底扱えないような難病奇病を担当するところなのです。

 私は医師になってそのまま三次で研修を始め、諸般の事情で6年も居座っていました。当然ですが感覚は純粋培養の三次感覚です。三次に勤めていた頃に比較的短期に研修に来た医師が、「これは症例報告ものでしょう」と血相変えて言うのが理解できなかったものです。なぜならその程度の患者はごく普通に病棟にゴロゴロしており、「そんなに珍しい病気とはとても思えない」からでした。

 ところが二次に勤務が変わってやっと理解できました。誤解無いように言っておきますが、勤務した二次病院は水準の高い医療を行なっており、特定の分野に於ては三次に匹敵する医療を行なっていましたし、部長先生も豊富な経験と強烈な行動力があり、非常に意欲的に症例を手がけていました。それでもそんな二次で手に負えない患者が三次に送られるのです。二次でも何年かに一人出るかでないかの難病奇病の集積医療施設が三次であり、だから初めて三次に勤務した医師は「症例報告の宝庫だ!」と感じるわけです。

 これは余談ですが二次に勤め始めた頃に「紫斑病だ」と言われて主治医を命じられた事があります。紫斑病と聞いて思い浮かべたのはITPで、それならマルクして、ガンマ打ち込んで一丁上がりと患者を見てみるとSHPだったのです。私は顔が蒼ざめました。三次で受け持ったSHPは例外なく猛烈な腹痛と強烈な腎炎があり、それこそステロイドをバンバン注ぎ込んで、その上でステロイドの副作用のコントロールに難儀し、離脱も含めて長期戦を余儀なくされるものでした。ところが二次のSHPの殆んどは安静に寝かしておけば一丁上がりなんです。

 これはあくまでも私の感覚ですが、小児の治療において、一次と二次は密接に連携しています。日常的に一次と二次の間で患者のやり取りがあります。いわゆる病診連携です。ところが三次となると別格的な世界になります。集まってきた数少ない難病奇病を、そのスペシャリストが治療に当たるところです。一次、二次とは扱う病気の種類がそもそも違うと言えば良いのでしょうか。

 システム的には良くできていまして、数少ない難病奇病患者を三次に集積させる事により、難病奇病のスペシャリストを効率的に治療に当たらせる事ができます。難病奇病のスペシャリストはそんなに沢山は必要ありませんが不可欠なものですし、スペシャリストが経験を積み治療技術を向上させるためには数が集まる必要があります。二次クラスで何年かに1回遭遇するかどうかの経験では治療成績の向上は望めないからです。

 では難病奇病のスペシャリストが小児疾患全般にスペシャリストかと言えば必ずしもそうではありません。彼らは小児の難病奇病に対しては一般の小児科医など足許に及ばない豊富な経験と知識をもっていますが、それ以外となるとしばしば並以下となります。並以下は失礼なのですが、日常の診療でほとんど接さないので、そういう分野の能力は一次、二次の小児科医に必ずしも勝らないとしておけば良いかと思います。

 つまりスペシャリストがもっとも能力を発揮するのは大部分の小児科医ならお手上げの数少ない難病奇病であり、その治療にのみに特別編成されたスペシャルチームと考えてもらうと良いと思います。それが三次救急です。これでも理解してもらい難いかもしれませんので、やや強引ですが例え話を出してみます。

 日本の治安を維持しているのは警察です。日常のほとんどの治安業務は普通の警官が働く事により収まります。医療で言う一次救急と思えば良いかもしれません。ところがかつての学生運動の大規模なデモだとか、浅間山荘事件のような強力な武器を持った凶悪犯の事件となると機動隊が出動します。これが二次です。さらに機動隊でも対処できないような大規模な混乱が起これば自衛隊が出動します。これが三次です。小児の三次施設に一次救急まで行わせるのは、自衛隊員を交番に配置するぐらいの違和感のある使い方と言えばわかってもらえるでしょうか。


 長野の経緯は冒頭のazuminese様からのコメントにあるようにです。長野の医療事情についてはある産婦人科のひとりごとを読ませていただくと類推できます。単純には産科医も足りないが小児科医も足り無いと言う事です。足りないが故に小児救急は手薄になっていると考えれば良いかと思います。そこで前知事が目をつけたのが県立こども病院です。前知事の理解を憶測すれば、「あそこにいっぱい小児科医がいるじゃないか」でなかったかと思います。そこで「たくさん小児科医がいるから救急ぐらいはできて当然だし、あのこども病院が救急をすれば県民が喜び人気が上がる」と考えたのでしょう。

 似た例で生育医療センターの情報を得たとも考えます。生育の状態がどうであるかは表に出せない情報がありますが、理想とは裏腹に疲弊が急速に進んでいるとだけ言っておきます。前知事が落選し現知事なりいったん計画は頓挫しています。前知事と現知事の確執は周知の通りですから、現知事はとりあえず前知事の路線を否定するところから始まったからです。現知事はいわゆる有識者会議みたいなものを行なわせて再検討していましたが、どうやら現知事もこども病院お手盛り救急路線を歩みだしたようです。

azuminese様からの情報をもう一度抜粋します。

平成18年8月選挙で前知事落選
平成18年9月8月の病棟改築案は棚上げにされ、新知事は議会での議論を踏まえ、「こども病院のありかたを考える会」を立ち上げ、考える会が提言をまとめるまで、診療方針の転換に関しては凍結するように現院長に指令
平成19年2月管理者が医局会で4月から小児科医による小児救急体制を開始すると通告(この際に戦時体制という発言が飛び出しました)
平成19年3月考える会が『こども病院は紹介患者を診療することを基本とする』という提言を知事に提出。
 現知事は自分で「こども病院のありかたを考える会」を作りながら、その答申を待たずに24時間小児救急の断行を指令し、その後に出た答申を無視している事になります。前知事の遺産を巧みに活用して政治的に成果のアピールに利用していると言えます。また是非は微妙ですが、前知事の時には24時間小児救急を行うにあたり、それに対応する病院改築案がありましたが、今回の指令は人員はもとより、設備も三次救急のまま「行なえ」となっています。

 某巨大掲示板の論調では「無駄ナ抵抗ハヤメロ、直チニ逃散セヨ」ですが、これまでこども病院で築き上げてきた小児の高度医療の経験や培われた技術が逃散により散逸消失する事は、勤めるものにとって耐え難いものかと思います。失われたものを取り戻すのは容易ではなく、後から取り戻そうとしても、取り戻すまでの間に患者である子供に大きな不利益が生じます。

 逃散はいつでもできます。結果として無駄な抵抗になるかもしれませんが、抵抗する気概があるなら、逃散覚悟で最後まで戦って欲しいと願っています。「逃散しろ」との声とは別に、この長野の戦いの帰趨に私は注目しています。私だけではなく、全国各地でゲリラ的に遵法闘争路線を選択している医師も注目しています。

 運命の春を迎え、厳しさを増す医療の方向性は、逃散加速と遵法闘争です。遵法闘争は最後まで争った後に大量逃散と言う切り札もあります。もし大量逃散に追い込まれたのなら、そのニュースはネットにより瞬く間に全国のネット医師に伝わり、二度とその病院に近づく医師はなくなります。最後の切り札をしっかり抱えて完全勝利を目指してください。

 続報をお待ちしています。