まさか3回目をする事になるとは思わなかったですが、皆様の貴重な情報提供により事件の輪郭がかなりはっきりしてきました。この事件のキモはYUNYUN様がご指摘されたとおり、
なんか、福島と似た経過を辿っているのが、気になります。
最初にエントリーしたときにはそこまで考えていなかったのですが、情報が集まるにつれてその方向性の可能性が非常に高まってきています。背景の一つとしてstarpoint様が情報提供していただいた横浜市立脳血管医療センター内での脳神経外科と脳神経内科の内部抗争もあります。内部抗争自体はこの事件が刑事事件に発展する要因とはなっていますが、事件の本質とはやや外れると判断しています。事件の本質はなぜこの事件が刑事事件に発展したかです。
鍵は市が設置した外部調査委員会の調査報告書にあると考えます。入手は困難と考えていましたが、某勤務医様より調査報告書の存在の情報を頂きました。この報告書を作った委員会の設置経過概要には、
3月にまとまった小委員会での検討結果及び院外の脳神経外科医師への意見照会の結果から、センターとしては、第三者による調査委員会を設置して客観的な評価を受ける必要があると判断し、4月以降外部有識者の選任を進め、5月18日に委員の委嘱を行い、当委員会が設置された。
と書かれており、報道にある有識者による外部調査委員会である事がわかり、問題の報告書である事が分かります。報告書だけあって報道では足りなかった情報が十分にそろっています。全部引用したいのですが、報告書本体だけで17ページ、参考人の意見書が全部で7ページもあり、適宜要約しながら引用したいと思います。不足分は報告書原文を参照して頂きたいと思います。
まず患者の情報です。
- 53歳の女性。右被殻部の高血圧性脳内出血
- 脳出血の経過
7/27 21:40 自宅にて体調不良、構語障害発現 22:28 緊急入院、入院時JCS:2〜3、血圧206/128、CTによる出血量測定14ml 7/29 3:30 JCS:2〜20、CTによる出血量測定52ml
- 保存的療法
- 開頭による血腫除去術
- 脳内視鏡による血腫除去術
手術経過についての参考人の意見です。参考意見を述べたのは、NTT東日本関東病院 脳神経外科医長 西原哲浩氏と順天堂大学医学部付属順天堂伊豆長岡病院 脳神経外科 山本拓史氏です。お恥ずかしながらこの二人の医師の事は存じませんが、呼ばれるぐらいですので脳神経外科の権威かと考えています。二人の意見は大筋で一致しており、術前経過を含めた意見は、
- 診断、手術時期、脳内視鏡手術の選択、手術時期とも適切。
- 麻酔法も問題とは考えられない。
- クリアガイドを血腫腔内でさらに大きく移動させることにより、血腫腔全体で血腫を吸引する。そのために穿頭部をもう少し大きくする。
- 電気凝固のワット数を下げて凝固時の焦げ付きを避ける。
- 一度止血した部位はなるべく触れないようにして再出血しないようにする。
- 血腫はなるべく術野の手前から奥へと吸引し出血点は最後に処理する。
- 術中に生理食塩水による洗浄をより頻回に行なうことにより出血が血腫腔内に回り込まないようにする。
以上のような改善すべき点は散見されますが、今回の症例は通常よりも出血点の血管が止血困難なこともあり、不幸な結果となりましたが医療過謀を疑うような手技的な問題点は見出せないと思われます。
と結論されています。
山本拓史氏は、
- 血腫穿刺に手技上の問題は無し。
- 通常よりも硬い血腫であり、血腫吸引が困難なケースであった。
- 基本的手技(内視鏡の操作、吸引管による血腫吸引、止血操作、シースによる血腫への誘導)には特に問題ないと判断できます。
- 当院での手術操作と比較すると吸引管の上下の動きが大きい、止血凝固の電気メスの出力が少し強い、あるいはシースでの誘導が不十分な印象を受けました。
外部委員会のメンバー構成について記載が無いためわかりませんが、参考人の意見は通常重視されるかと考えます。無視すれば参考人の意見を聞く必要が無いからです。ところが参考人の意見を聞いての外部委員会の報告は次の通りになります。
特に本手術においては、1)良好な視野を得るためのシース操作、2)シース内の極めて狭い操作スペースにおける内視鏡と吸引管の操作法、3)血腫の吸引法、4)出血に対する止血法が重要なポイントである。2人の参考人の意見からも、手術チームとして、2)、3)に関しては本手術施行に必要な最低限の手技は習得しているが、1)、4)に関しては経験不足と技術レベルの低さは否定できない。
参考人の意見は幾ら読み返しても「経験不足と技術レベルの低さ」を明確に指摘しているとは私には読み取れません。素直に読めば高いとは言えないが合格レベルと解釈するほうが自然です。しかし外部調査委員会は「経験不足と技術レベルの低さ」と断言して報告書の結論を誘導していきます。
手術後の意識障害の原因としては、a)手術とは一切関係なく、偶然手術の際に血腫が増大した、b)内視鏡手術でも開頭術でも止血は困難であり、血腫が増大した、c) 内視鏡手術を選択したために止血操作が不十分となり、血腫が増大した、以上の3つの可能性が考えられる。この点に関しては、術者らが、1)内視鏡下血腫吸引術に対する準備が足りなかったこと、2)止血が不十分であったために血腫が増大し、脳ヘルニアを引き起こした可能性が高いこと、3)脳出血による一次性脳損傷は手術の有無に関係なく後遺症として残るものの、開頭血腫除去術を施行していれば意識障害に関しては現在よりは軽かった可能性が高い、と認識していることから、高度の意識障害と内視鏡手術との因果関係は強く疑われる。
少し長めの引用ですが、相当力技の論理展開のような気がします。ここでは術後の意識障害の原因が、最初から開頭手術を行なっていれば意識障害は軽かったであろうの前提で進められています。それは開頭術切り替え後の血腫除去および止血が進んだ事で裏付けられ、術者が経験も準備も不足していたからと証言したためとなっています。
それはそれで論理の持って行き方で筋は通りそうですが、私は釈然としません。理由を挙げると、
- この外部調査委員会でも脳内視鏡手術の適応は妥当と認めていること。
- 術者の技量は参考人意見を通常水準の国語力で読めば、並ないし合格レベルであること。
- 患者の血腫は術前の予想より固く、なおかつ出血点の血管の特定が困難なものであったこと。
今回の事案については、総体的にみると医療過誤と言わざるを得ない。手術手技に関して、決定的なミスはないが、内視鏡操作と止血手技に関する技術レベルの低さは否めず、新しい手技に臨む準備、手術適応の議論、術者の決定などについて、客観性をもった組織としての活動が見られないこと、さらに術中術後の合併症の発生に対する認識の甘さ、などが原因となったと考えられるので、脳神経外科医師には認識を改めるよう猛省を促したい。
この事件に関しては脳外科の対応に関してまったく問題がなかったとはさすがに言えません。院内手続きの軽視も責められるでしょうし、インフォームドコンセント(防衛医大コイル塞栓術訴訟を参照してください)の不十分さも指摘はされると思います。ただ治療自体は、
- 適切な適応の治療法の選択を行なった。
- その治療法を行なえるだけの技量を持っていた。
- 治療を始めてみると予想よりも困難な症例であった。
- 次段階の治療法への切り替えも適切に行なえた。
この外部調査委員会の設置目的としては、
当委員会における調査は、裁判所のように、相対立する主張について、そのどちらに理由があるのかを判断するものではなく、事実を客観的に検討し、医学的・倫理的な是非の判断を行い、今後の安全管理推進に向けた提言を行おうとするものである。
としていますが、このようなある程度公式の調査委員会の報告が関係者以外の目に止まらないと考えているのなら噴飯物です。第3者機関が「医療過誤」、「猛省を促したい」とすれば結果が示すように民事だけではなく、刑事事件にも容易に発展するのが現在の風潮です。だからこそ誰もが少なくとも読んで得心が行く報告が求められているのに、肝心要の「技術レベルの低さ」に一切の言及が無い不適切さに呆れます。
この事件の重要性は、警察が送検に踏み切ったのはおそらくこの報告書に基づいてのものだと考えらる事です。福島事件より遥かに歯切れが悪いですが、報告書に過誤があると結論されていたのが送検の最大の根拠かと思います。過誤の根拠である経験不足は報告書に説明はありますが、技術レベルの低さはありません。経験不足であっても技術レベルが十分で術中に明らかなミスが無いのであれば、どこが医療過誤なのかは私には理解が難しい解釈です。
この報告書の罪は大きいかと考えます。