失言問題

zawさんのところで「精力的に更新されているようですね。」とありましたが、書くことは好きなので当たっている部分もあるのですが、もう一つ切実な問題があって「精力的」に更新しています。私が精力的にエントリーを更新する以上に、コメンターがこれもまた熱心にコメントして頂き、これ自体は大変嬉しいのですが、コメントが増えると「はてな」の特性でコメント欄がパンクする危険性が出てきます。そうなると議論の場としてコメント欄を拡張するために新たなエントリーを量産する必要性はあり、目的と手段が合致して「精力的」にエントリーを更新している部分もあります。

とは言え、そうは毎日シャープな切り口の話題が溢れているわけではなく、書こうと思ったら他の有力ブログで既にしっかり論評が行なわれていたりもするので、ネタに詰まる日も多々あります。実は今日もそうで困っています。タイトルに失言問題と書いたので、もちろんそれを書くのですが、これなんて手垢がつきすぎて今さらもいいところなんですが、しばらくお休みされていた774氏様がコメント欄に復活されているのを見て言い訳を思いつきました。たまには「壁」エントリーになってもエエじゃないかって。そう思っていただいて今日の分はお読みください。


失言はブログでもありえます。私もありますし、医療系に限らず指折りの論客が書いているブログでもありえます。失言があると厳しい批判が舞い込みます。後は注目度にもよるのですが、少々の謝罪や訂正では追いつかず炎上状態になる事もしばしば見られます。もちろんどのブログでも公平に起こるわけではなく、表現は悪いのですが注目度があまり高くないところでは小さく、高いところでは激烈に起こります。もっとも炎上の噂が広がると急激に燃え上がる事もありますが、ブログ炎上論はこれぐらいにしてきます。

要は匿名ネット世界のブログであっても失言は大きな反響を巻き起こしますし、ブログであっても名の通った有名どころでは強烈な反応があります。ネット世界でさえそうなのですから、現実社会でも当然のように起こります。名も無い庶民が飲み屋で少々のウダを上げても問題になることは少ないですが、社会的立場がある人が公式ないし準公式の場で発言した内容は非常に重視されます。立場が重くなるほど発言された言葉の内容は大切で、まさに「一度唇から出た言葉は二度と戻す事は出来ない」になります。

この厳しさは、時にある長い文章のほんの一節を意図的に切り取られて、文章全体で訴えている事と逆に捻じ曲げられて伝わる事もあります。悪意の捏造に近いものですが、そんなところまで地位ある人の発言は慎重さを要求されます。日本でその発言が重い方の中に皇室関係者がおられます。皇室関係者は現憲法下では実質の政治権力はありません。しかしその発言は怖ろしく重視されます。あまりにも重視されるので皇室関係者の発言は、練りに練って、問題になりそうな部分は極限にまで削ぎ落とされ、結果として毒にも薬にもならないほどの穏当なものしか出てこない仕組みになっています。

実社会で発言の重い方は閣僚です。日本の舵取りを国民から負託され、大きな社会的権力を握っています。大臣の発言は重く、官僚が根回しして実現寸前にまで進んでいた事業が、大臣発言で覆る事さえありえるほどです。それぐらい大臣の発言は政治的に重視され、尊重されているわけです。大臣とはそういう地位の人間であると思っていますし、そうであるだけの実質も備わっています。

そういう観点から見れば、今回の失言問題は相当質の悪いものであると言わざるを得ません。ある物事を解説するときに比喩はよく用いられます。比喩を使って難しそうな事象の説明をより多くの人に理解してもらう手法はポピュラーなものです。比喩を上手に使える人間は話し上手ともいえます。

今回の失言問題に用いられた比喩は、経済学的には適切な比喩であったとされます。感情を取り除いて解析すると分からなくもありません。ただし経済学的に正しければ問題無いかと言えば、そうでないのは明らかです。医師の業界用語で患者が死亡することを「ステる」と表現する事があります。これはドイツ語のSterbenから派生した言葉で、医療業界では広く流通しています。

ただし聞きなれないものにとっては相当耳障りな言葉です。私もペーペーの研修医時代、尊敬していた上司から初めてこの言葉を聞いた時に上司の人間性を疑ったぐらいです。人の死を「捨てる」と表現するとはなんと不謹慎な医師であるかとです。つまりこの表現は医療関係者相手以外に絶対に用いてはならない禁句であると言う事です。医療関係者間では日常語でこの言葉で患者の死亡を表現する事は失礼でも何でもありませんが、医療関係者以外にこれを用いると失言と批判されても文句は言えません。

これと同等かそれ以上の表現が失言問題では行なわれたと考えています。また医師が患者の前で「ステる」を用いても重大発言ですが、発言したのは大臣でありその上、医療、福祉、労働問題を統括する官庁の長であるのです。当然発言者たる大臣の言葉の重みは、一介の医師と較べても比較になりません。

言葉の重みは社会的地位によってより重くなるのは誰でも知っている常識です。その地位に就くものはそれを熟知していると判断されてその地位につくのです。大臣の失言と、市井の庶民の失言がどれほど違うか誰でも知っています。地位と権力が与えられたものには、それと同等の責任が負わされるのです。今回の失言は地位と権力を与えるに相応しいかについて大きな疑問を投げかけたものと考えます。

釈明のニュアンスに「私は経済金融の専門家であり・・・」云々と受け取られるものがあったかと記憶しています。これも釈明する相手を愚弄する表現かと感じます。大臣に期待するものは管轄する省庁の専門家です。それも一国の大臣としての専門家です。不得意で勉強不足であることを認めるのなら、自らが大臣失格と発言しているのと同等です。

日本人の半数以上をトコトン不快にさせ、その失言の応用範囲がどれだけ広いかを認識しているのでしょうか。釈明したから問題は終了とした首相の判断が、首相が大好きな教育問題に与える影響をどれだけ考慮したのでしょうか。首相の目指す「美しい国」が、どんな質の悪い発言であっても、釈明したら大臣ですら無罪放免の国であると理解すればよろしいのでしょうか。