デスマーチ・プロジェクト

昨日福島事件の第1回公判が行われ、何か書こうと思っていたのですが、さすがに去年最大の歴史的大事件だけあって、あちこちに書きたいことが書き尽くされています。情報的には報道経由以上の内容は無いようでしたが、マスコミの「過失である」とのバイアスがかかった記事に強烈に咬みつかれていました。二番煎じ、三番煎じをするにも今朝の時点では出がらしもいいところなので、もう少し医師側からの情報が出てきたらエントリーしてみようと思います。それにしてもさすがにこの事件への反応は敏活ですね。

今日は昨日見つけたブログを紹介したいと思います。書かれているのはIT技術者で、これが医療関係者以外と思えないぐらいの医療危機への的確な分析がなされています。あまり簡潔明瞭さと理解の深さに驚かされたので、皆様にも是非ご一読頂きたいと思います。

1/25付ronSpaceエントリーより抜粋

医療崩壊について、以下に私自身の理解したところをまとめて置きたいと思います。

  1. 人口あたりの医師数は、1970年以降、OECD平均を下回り続けており、格差は広がり続けていた。医師不足は30年以上前からであり、最近のことではない。特に国立・公立病院に勤務する医師(勤務医)は36時間連続勤務が日常的であるような過酷な労働環境にあった。

  2. 1983年の「医療費亡国論」、つまり医療費の増大が国家財政に深刻な影響を及ぼす、という主張から、医療費は抑制され続けてきた。この結果、現在の医療費の対GDP比は先進国中最低レベルにまで落ち込んでいる。

  3. 救急医療体制の整備、夜間診療の実施など、国民の要求に応え、医療の充実を図ってきた。しかし、24時間診療(医療のコンビニ化)のように、国民の要求は増える一方であった。

  4. 国民が医療の不確実性を理解しなくなり、確実な治療を求めるようになった。これが期待を裏切られた結果としての、医療事故訴訟の増加となって現れた。また、警察に被害届を出す例も増え、懸命な治療の結果にも係わらず不幸な結果となった場合に、医師が逮捕されるという事態が起きた。

  5. 以上のことから、医療従事者、特に医師のモチベーションが低下し続け、過酷な勤務に耐え切れなくなり、病院の医療現場を辞す例が続出している。
まとめてみますと、私達国民が医療に対し、予算・人員が極めて不足しているにもかかわらず、過大な要求をし続けた、ということです。

私と同業の方、プロジェクト・マネージャー、SE、プログラマの方々であれば、これがいわゆるデスマーチ・プロジェクトと酷似した構造であることに気づかれると思います。医療現場は少なくとも20年間はデスマーチを続けていたのでしょう。メンバーの大量退職が起きるのは末期に近いとみて良いと思います。

エドワード・ヨードン著「デスマーチ」(第2版, 日経BP社, 2006)では、聖書から以下の寓話が引かれています。

    自分のラクダをどんな重い荷物でも運べると自慢していた農夫が、毎日少しずつ多く干し草を積んで町の市場に通っていたが、限界を超えて積んだ少しの藁で、ラクダが骨を折って死んでしまった。
医師の方々の関心は既に医療崩壊後に移っているようです。再建に必要なのは「要求のトリアージ」でしょうかね。

エントリー中に出てきたデスマーチ・プロジェクトが気になったので少し調べてみたのですが、大元はデスマーチすなわち死の行進からでた言葉で、第2次大戦時でナチス強制収容所ユダヤ人を強制移動させたときの手法に端を発したものらしく、日本軍が行なったバターン死の行進もそれに該当すると言われています。これをIT業界の無謀な仕事現場にあてはめたものをデスマーチ・プロジェクトと呼ぶそうです。

詳しい解説サイトがありましたので、お時間があれば読まれれば良いかと思いますが、一部抜粋しながら説明してみます。

まず特徴として凝縮されている言葉に「もともと破綻する運命にあるプロジェクト」とされ、「開発期間がもともと必要量より少なかったり、必要な開発者がほとんどいなかったり、もともと無理な性能を要求されていたりする時に起きます。」と解説されています。典型的なシチュエーションとして、

  • 開発者は、プロジェクトの遅れの原因が突発的な事故やミスではなく、もっと根本的な所にあると感じている。
  • 現在の開発のやり方はおそろしく非効率で、傷を深めていくだけであるとわかっている。
  • しかし、現状がどうであろうととにかく開発を進める以外に手立てはない。
  • リーダーの前には問題が山積していて、それを一つ一つ解決するしかない。しかし、一つを解決している間に別の問題が二つくらい山に積まれてしまう。
  • プロジェクトは切羽つまっており、一時的な休息も許されない。
  • チーム内に、ソフト開発とはそういうものだという認識が広まっている。この状況を改善しようとも思わないし、そういう動きに抵抗する。
このデスマーチ状態が進行すると、そこに適応できない人の士気が低下し、適応できた人の士気は向上します。この差がトラブルを引き起こします。ハイになった人にとって、なぜこの期に及んでやる気をなくしている人がいるのかが理解不能なのです。一種の洗脳が行われ、人は「デスマーチから抜け出そう」という意識を持てなくなるとされます。

それでどうなるかですが、

    デスマーチが恐しいのはこの悪循環にあります。自分たちが死へ向かっていることがわかっていながら、前に進むことしか許されていないのです。そして最後に諦めがやってきます。「どうせ前にしか進めないのなら、玉砕して名誉の戦死をしよう」と。このように人格崩壊に至ると、むしろ喜んで死の沼へ突進します。とにかく前へ進むことが喜びに変わるのです。こうして狂人に導かれて隊はどんどん死へと行進していくのです。
と説明されています。またこうとも書かれています。
    「ここで頑張って仕事しても無駄だ」と思われたら、どんな説得も脅しも効を奏しません。「奴の言うことはデタラメだ」と思われたら、何を言っても本人の耳には入っていきません。精神論には論理性がありませんから、何を説いても「体育会系バカが何かわめいている」と思われるだけで、本人の耳には入っていきません。

    せめて、あまり追い詰めず「価値観が違う」で片付けてあげてください。そうすればせいぜい会社を辞めるくらいで済みます。そうでなければ、おそらく自殺にまで追い込まれるでしょう。
ronSpace様のエントリーに書かれているのですが、デスマーチ・プロジェクトの概念を広めたのはエドワード・ヨードン氏とされています。これもエントリーにあるものの再掲になりますが、引用された聖書の一節をもう一度読んでみてください。
    自分のラクダをどんな重い荷物でも運べると自慢していた農夫が、毎日少しずつ多く干し草を積んで町の市場に通っていたが、限界を超えて積んだ少しの藁で、ラクダが骨を折って死んでしまった。
そのまま医療界に当てはまる話で、限界を超えた少しの藁とは新研修医制度のような気がします。この制度の実質の是非は置いておくとして、2年間の研修医の補充が無いだけで医療は見事に崩壊に驀進することになりました。そのため新研修医制度が医療を崩壊させたとの論議がありますが、最後の引き金が新研修医制度であったかもしれませんが、実質の重みは少しの藁に過ぎなかったような気がします。ただそれまで積み上げられすぎた重荷のために少しの藁に耐えられなかったと言う事です。

だから新研修医制度をどうにかしても、骨を折ったラクダは再生しないと言う事です。折れてしまう前なら幾らでも手の打ちようもあったかもしれませんが、折れてしまうとそこからいくら重荷を取り除いてもラクダは二度と立ち上がれません。ここ1年のネット医師世論の変化は、折れてしまう前の最後の悲鳴だったような気がします。それが折れてしまったのが今では無いでしょうか。

まだ折れたことに気が付いていない医師もいるようですし、ましてや医師以外の人々は尚更気が付いていないようです。さらに怖ろしいことにまだまだ重荷は積めそうだと考えてもいます。これもまたronSpace様のエントリーの再掲ですが、

    メンバーの大量退職が起きるのは末期に近いとみて良いと思います。
逃散現象が起こること自体がデスマーチ状態の末期症状です。これぐらいの理解者が増えてくれることを切に望みますし、その方向に向かって努力しなければならないようにも思います。福島事件は公判が行なわれている事自体が、医師に更なる重荷を積み上げている事を理解して欲しいと考えています。