危機感の温度差

外野からのヤジのような昨日の私の意見にモトケン様が耳を傾けて頂いた事に深く感謝します。こういう事は複線で進めて良いことですし、複線の議論の到達点は同じのはずです、それが出来るのがWebの良いところだと考えています。良い方法が生み出されることを期待しています。それでも丸投げは良くないので現時点で思いつく事を少し愚考したいと思います。

「改善案を実現させる具体的なプロセス」は昨日は難題と書きましたが、これも机上でならわりと簡単です。現場の医師の不満と怒りを結集して国民に訴え、最前線の現場の声を反映した真の意味での医療改革を行えばよいのです。この道筋以外はまず無いように思います。だったらその実現に向かって邁進すれば話は簡単かと言えばそうでない事は誰もが知っています。

これが実現するには幾つかの条件が必要です。

  1. 産科や救急だけでは無い日本の医療全体が危機状態にあることが常識化する。
  2. 医療の危機が患者を直撃するような身近で深刻な問題であると認識してもらう。
  3. 医療危機を救うことが国民世論となる。
最低限の環境としてこれぐらいはそろわないと物事は動きそうにありません。しかしこういう状態は医療が焼野原にならないとなかなか興りそうにはありません。このブログの一つのテーマとして、「焼野原路線は規定であるが、それでもなんとかならないか」があります。焼野原まで進まないうちに再生路線に乗せられないかと言う命題です。

崩壊の認知は内部から始まり、外部に知れ渡った時には手遅れという特性があります。内部の崩壊の様子は心あるネット医師の共通認識にはなっています。現時点は内部の危機が進行して外部に表出する寸前の様に感じています。患者への波及を食い止めるにはここで何とかするのが良策です。それを身を以って感じているからこそ医療系ブログヤBBSで悲鳴のような書き込みが溢れていると考えています。

「改善案を実現させる具体的なプロセス」の真の難しさは、外部が十分認識できないうちに内部の危機認識の段階で実行する必要がある点だと考えています。さらに言えば内部の危機感の温度差も相当な差があるということです。内部といっても様々です。まずネット情報を手にしている医師とそうでない医師では相当に違います。またネット情報を手に入れている医師の中でも、さらにm3.comや2chまたは医療系ブログの論戦に参加している医師ではまた温度差が違います。もっと言えばネット医師の急進派と考えられる医師でも温度差は相当あります。

ネット医師の危機感の温度差も私が感じるのは三段階で、

  1. 第一段階:危機がある事を訴える段階
  2. 第二段階:危機を論じる段階
  3. 第三段階:危機の解消を考える段階
医療危機を真剣に感じればこの段階が上がってくるのですが、第二段階までは比較的早く到達します。そこまでは医師のネット世論は尖鋭化しています。ネットに参加して議論を重ねれば第一段階から第二段階まではすぐに熱気に煽られて到達するのが自然です。ところが第三段階にはそう簡単に上がれ無いと言う事です。気分としては「だから早急の改善が必要である」の結論に達しても、その具体策を考え、実行する気持ちにはなれないと言う事です。言い方は悪いですが、第二段階の認識で「なんとかしろ」と訴えて結論にしている状態といえるかもしれません。

第三段階で必要とされることもこれもまた分かっています。とにもかくにも医師の危機感を結集して訴える団体の必要性です。世の中は個人の訴えではほとんど無きに等しいものがあります。数が集まり集団としての訴えで無いと無視されるということです。そのため去年からネット上で散発的におこる新団体結成論が出ています。ところがこれが実を結んだ験しはありません。

もちろんネットと言う匿名世界で「団体を作るから寄っといで」では信用性が乏しすぎるのが原因の一つではあります。いかに熱情溢れる檄文を書いても、ネット詐欺との見分けは誰にも不可能だからです。この手の詐欺はいくらでも横行していますからね。また根強い日医再結集論もあります。現在の活動振りはともかく、現実として医師の全国組織として体をなしているのは日医だけだからです。これだけの既成組織を無視するのは得策で無いという意見です。この意見も説得力があって、私もこれに関連するエントリーを書いたことが何回かあります。

しかし医師が結集しないのは受け皿論だけなのでしょうか。もちろんそれも大きな原因でしょうが、平均的なネット医師の認識でもまだ小異を捨てて結集しようとまで危機感が高まっていないのが最大の原因のような気がします。「とにかくまず結集」まで危機の温度が高まっていない事こそが第三段階の行動に移れないもっとも決定的な要因のように考えています。

ではどうやったら結集しようとまで危機感が高まるか? これはそう感じてもらわないことには、危機感の温度は高まりません。どうしたら感じてもらえるかにもなりますが、一つはこんな片隅のブログで地道に訴えることです。私だけではなく沢山のネット医師がやっています。ただしこれだけでは限界があります。やはり医師たちがそこまで切羽詰らないと難しいような気がしています。話が堂々巡りになりそうなんですが、危機感が高まらないと結集しないし、危機感が高まりすぎると事態は手遅れのジレンマがついて回る構造があると言うことです。

そこでもう一度受け皿論に戻ります。受け皿はやはり必要です。焼野原をくい止めると言う狭い視野で考えると時間切れになるので、焼野原になっても必ず必要と言う視点で考えておくのが良いような気がします。最低限焼野原時点で医師の結集が無いと、医療は良く知られている方々の食い物になります。そういう世界を望まれている医師は少ないかと思います。だからこその受け皿論になります。

もうすぐ春です。春は皆様が予言されている通り、医療崩壊のまた大きな節目になりそうです。少なくとも去年より深刻化した状況が展開されるでしょう。そうなれば危機感が高まった医師のなかで、結集への熱気が高まる事は予想できます。もちろん雪崩を打ってにはならないでしょうが、去年時点よりも遥かに熱気が高くなっても不思議ありません。その熱気を受け止められる受け皿論が今は必要じゃないかと考えています。