12回目の1.17

あの日は成人の日の代休明けの火曜日の朝、あの時刻は朝の5時46分、続いた時間は20秒とされますが、体感的にはもっともっと長かったように記憶しています。12年前に神戸に住んでいたある年齢以上の人間に一生忘れる事が無い悪魔の時間であり、今に続く長い長い悪夢の始まりでもありました。

あれから防災、防災としばらく言われ続けましたが、実地を経験したものの感想です。

私が思うに日本の防災システムは基本的に年中行事の一つである台風に備えてのものであるような気がします。台風はある程度準備してこれを迎えることが出来ます。予想進路、到着時刻、台風の規模はかなり正確に予想されます。台風に伴う高潮もまたある程度の予見を持って対応できます。

台風は大きな被害をもたらしますが、それでも街中の家やビルを根こそぎなぎ倒すほどのものではありません。対策としては本部があり、そこで情報を集め、各所に指令を出して災害に対処します。基本的に普段の機能である役所や消防、警察などが健在という条件で対応できます。インフラも一部に停電や電話が不通になったりも起こるかもしれませんが、長期になる事は想定しておらず、ましてや対策本部の中枢が情報途絶に陥ったり、対策本部自体が機能麻痺になるような状態を想定していません。

ところが阪神大震災クラスの都市型大災害はまったく様相が異なります。まず完全に不意討ちです。文字通りの寝耳の水の突発事態です。さらに一瞬にして広範囲の普段の機能が長期にわたって機能麻痺となります。お役所はもちろんの事ですが、警察や消防までもが機能麻痺に陥ります。電気、水道、ガスの震災当時にライフラインと称されたものも被害の軽いところで数日、長いところは何ヶ月も麻痺したままになります。電話もインフラ自体が広範囲に破壊されている上に、殺到する安否確認に麻痺状態になります。

こういう非常事態の時にとくに役所の職員の呼集状態が悪いといつも話題になります。公務員は公僕であるから非常事態だから直ちに駆けつけ災害対策に当たるべきだという意見は正論でしょうが、あの震災の惨状を見ているものにとっては単なる精神論としか思えなくなっています。

公務員といえども一人の人間であり、小市民です。震災の被害は当然受けています。昨日まで慣れ親しんだ風景が一変し、瓦礫の山と化したのを見て考える事は誰しも同じです。まず自分の生命、健康です。続いて家族です。さらに生活基盤である住居のチェックです。身の回りの安全を確認する作業がまず第一になります。延長線上で近くの親戚、友人、知人の安否の確認となります。

地震直後はまずそういう作業に忙殺されます。そこである程度の安全を確認できても次に火災の影響を考える必要が在ります。あの震災では地震直後から拡がった各所の火事が誰も消すことなく怖ろし勢いで拡がりました。延焼してきたらひとたまりもありません。これが自宅に被害が及ぶかどうかの見極めも大切な判断です。

さらに周辺を見て回るだけですぐに誰でもわかるのですが「サバイバル」を考えなくてはなりません。どうやって暮らすかというよりどうやって生き残っていくかの対策です。これは被災者心理となるのですが、見渡す限りの惨状を見ると「日本中こうなっているのではないか」と錯覚します。周囲の被害の少ない地域の人間や震災の影響をまったく受けていない地域の人間には笑われそうですが、孤立無援の感覚を濃厚に感じる事になります。

こういう公務員ではなく一人の人間、普通に家族を思う気持ちをまず満たさないと次の行動に移れないと言う事です。と言うのもこれもまたすぐに分かる事なんですが、勤務に向かえばそう簡単には家には帰れないのもまた確実に分かるからです。普段の勤務とは違います、超がつく非常事態で勤務に向かえば次にいつ家に帰れるかどうかは誰にも予想がつかないからです。

これは必ずしも多数の意見を反映していないと思いますが、あれだけの震災を経験しても神戸市民の防災意識はそれほど高くなっているとは思えません。これは誤解のある表現かと思いますが、あそこまでの震災が起これば何を準備していても無駄だという意識と言い換えても良いかと思います。少々の備えを虚しく思わせるほどの信じられない破壊を身をもって経験し、その後の辛くて長い復旧過程をこれでもかと味合わされたらそう考えても不思議はありません。

防災システムはある程度の災害までには有効に働きます。ところが限度を越えた時にはなす術がなくなります。限度とは防災本部が機能麻痺になるほどの規模です。そこまでの規模の災害が阪神大震災であったといえます。

経験者として言えるのは「次に起こったときの備え」を言われてもピンと来ないものがあり、もっと素朴に「二度と起こるな」と祈る方がピンと来ます。人智で備えられる災害を越えた災害、それこそが阪神大震災であったと今でも思っています。