在宅治療も甘くない

皆様の御協力でWikiJBM計画は順調に進んでいます。期待通り至極真面目なものになり、データベースとして有用な物になっていきそうです。協力してみようと思われる方の参加をお待ちしています。

ところで去年ぐらいから厚生労働省の大きな方針として「在宅」が強力に打ち出されています。10/7のエントリーでも紹介しましたが、厚生労働省高官が語る在宅推進の理由として、

  1. 死亡者が20年後には現在の100万人から170万人に増加し施設では収容しきれない。
  2. 病院で死を迎える習慣は高齢者医療無料化の副作用であり、50年前は現在とは逆の約8割が在宅で死を迎えていた。だから在宅に戻すのが当然である。
  3. 在宅治療の環境整備として介護保険さらには在宅支援診療所ができたのでどこにも問題はない。
抜粋した項目だけでも山ほど反論は出るでしょうが粛々と既成事実化しています。そう言えば数日前の新聞報道に日医も在宅治療に協力するなんてありましたから、この流れを表立って変える力のある集団は現時点では存在しない事になります。とりあえず在宅推進の第2弾として療養病床の6割削減がこれから5〜6年の間に行なわれるそうですから、実際に入院できるところが無くなって現実に患者が困るまで社会問題にはならないのでしょうね。

在宅治療が推進され在宅支援診療所がこれからの開業形態の一つとして拡がる事は予想されます。なんせ国策ですから、在宅推進政策が変わらない限り政策誘導で当分は美味しいものになると予測されるからです。私は小児科医ですから基本的には無関係ですが、在宅治療を行なうに当たり注意すべきJBMが挙げられていましたので御紹介しておこうと思います。

管理人とは言え勝手にWikiJBMの内容を紹介してしまうのはルール違反のような気もするのですが、半分ぐらいはWikiJBMの宣伝の意味合いもあり、なんとかお許し願いたいと思います。

まず事件の概要です。

A(当時14歳、男子)は流行性感冒に罹患し、開業医Y(被告・後訴人=付帯被控訴人)の往診を経て自宅で点滴注射を受けた。この実施中、Yおよび看護婦Bは監視をせず帰院した。そのうち、Aは容態が急変し、心不全により死亡するに至った。X1(Aの父)と母X2(いずれも原告・被控訴人=付帯控訴人)はYに対し、慰謝料等3900万円余の損害賠償を求め、Yと争った。第一審(浦和地判昭和55年9月17日判例集未登載)は点滴の不必要等の過失により3323万円余の支払を命じたため、Yが控訴し、Xらも付帯控訴した。
東京高裁は控訴を棄却し、付帯控訴に基づき原判決を一部変更した

読めばそのままなのですが、経過を少しだけ要約すれば、

  1. 医師は患者の往診を受けた。
  2. 医師は点滴を行なった。
  3. 医師は点滴開始後帰宅した。
  4. 点滴中に容体が急変し患者が死亡した。
こういうケースは高齢者の在宅治療が行なわれれば必ず発生する事態と考えます。しかし医療側は見事に敗訴しています。敗訴の理由は、
  1. 監視体制として輸液完了までこれに立会い、又は看護婦などに立ち会わせる義務があった。
  2. 医療体制として必要であればいつでも輸液計画を変更できる体勢でなければなならない。
  3. 看護婦を患家に残さなかった正当理由にならない。
これに対する医療側の反論である
  1. 点滴実施中の容態急変は考えられなかったこと。
  2. 急変した場合でも、Xらとは近距離であって、直ちに往診できること。
  3. 当日Yの医院に重症患者が入院していたこと。
はすべて退けられています。これが高齢者の患者であれば医療側の反論の「点滴実施中の容態急変は考えられなかったこと」すら行なえないでしょうし、「監視体制として輸液完了までこれに立会い、又は看護婦などに立ち会わせる義務があった」はさらに重みを増すでしょうから、まず訴訟で勝てる望みは乏しいかと考えます。

つまり往診であれ在宅であれ、点滴を行なえばそれが終了するまで医師ないし看護婦が常に付き添わなければならない事を明確に指摘しています。在宅支援診療所であっても、ある患家で点滴を行なえば、その間に他の患家を回るような事は許されず、他の患家を回るには最低限看護婦を付き添いに残さなければならないと言う事です。

往診治療を熱心に行なわれてる先生方、または在宅支援診療所で活躍されている先生方も、こんな怖ろしいJBMがある事を肝に銘じられる事をお伝えしておきたいと思います。また普段あまり往診されていない先生方も、善意で往診を行なった時、点滴をするならこういうJBMがある事を覚えておいて欲しいと思います。