救急医療の基礎知識 その4

読まれている方には快刀乱麻で医療を斬るみたいな内容でなくておもしろくないかもしれませんが、個人的には妙に執着しているシリーズです。基礎編がどこまで続くか見ものですが、今日も続きます。

皆様からの貴重な情報提供から救急医療が法的に整備された時代の状況がかなり分かってきました。また私が最初に考えていた事に事実誤認があったことも分かってきました。まずその辺の整理から、

1964年に作られた救急病院を定める省令の中で謳われている救急病院の指定を受ける4条件をもう一度挙げます。

  1. 救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること。
  2. エツクス線装置、心電計、輸血及び輸液のための設備その他救急医療を行うために必要な施設及び設備を有すること。
  3. 救急隊による傷病者の搬送に容易な場所に所在し、かつ、傷病者の搬入に適した構造設備を有すること。
  4. 救急医療を要する傷病者のための専用病床又は当該傷病者のために優先的に使用される病床を有すること。
この条件は現在の救急医療に求められている水準からすると必ずしも高度の条件で無さそうな気がしていたのですが、省令が施行された当時は大難問であった事がわかりました。省令は施行されましたが、間違っても競って救急病院指定に奔走するような事はなく、むしろ医師会を始め「そっぽを向く」状態であったことが国会審議からわかります。

「そっぽを向く」原因となったのは省令が出た時にはこの4条件を厳格に守る事が要求されたからのようです。現在の当直医が救急担当医を兼ねると言う体制に馴染まされている医師では見逃しがちですが、条件を厳格に解釈すれば「医師が常時診療に従事」とは当然ですが専属の担当医が三交代で常に病院で待機している状態となります。また当然といえば当然ですが当時であっても医師だけでは診療は出来ません。看護婦を始めとするコメディカルも日勤帯と同様の体制を常時構築する事が必要です。

また救急を担当する医師の条件も1964年の時点では「事故による傷病者に関する医療について相当の知識及び経験を有する医師」であり、具体的には「救急医療に関し必要な知識及び経験を修得するのに適した医療機関において、免許取得後相当期間外科診療に従事した経歴を有する者またはこれと同程度以上の知識及び経験を有する者」ですので、こんな能力を持つ医師を24時間365日常時診療させるほどの数を確保する事は絵空事に近かったと考えます。

またベッド条件もかなり厳格に解釈されたようで、「優先的に使用される病床を有すること」とは、何人救急患者が来ても常に救急患者用のベッドを確保できる状態がこの省令で真に求められるものであった事が分かります。つまりブラックホールのように無限に救急患者を吸収できる病院でないと救急病院の資格はないと考えられていたようです。

さらにその条件を整えるのはすべて病院の負担としたようです。当時は現在よりも医師を始めとする医療従事者が少ない時代で、おおよそ現在の半分以下、4割程度であったかと思いますので「出来るわけが無い」として敬遠する病院が続出したのは理解できます。

救急病院のハードルが高すぎて国会でも問題になったようですが、現在から思えば厳格適用の方針にすれば良かったと思います。しかし厳格適用の方針は撤回されてしまいます。撤回された時期は怖ろしく早期で、1964年の4月に省令が施行されて、その年の7月時点では緩和方針が確実に行なわれていたようです。いつの時代でも理想と現実は相克しますが、救急病院に関しても現実論が優先されたのがわかります。

当時の厚生省の方針は結果から推測すれば、省令は出したものの救急病院の数が思うようには増えず、その事が国会で問題になることを極度に恐れたようです。そのため救急病院になる資格の質を大幅に緩和し、数が増える政策を推進した事がわかります。また1964年の救急病院に求めた主たる業務は外科救急であったのは省令からも明白ですが、当然のように内科救急も来るでしょうし、現実にも相当な数が当時でもあったことを窺わせます。国会でもその点を指摘して整備するのが当然ではないかと声はあったようですが、これ以上救急病院のハードルを上げることを避けたい厚生省はひたすら逃げ回っています。

厚生省の緩和方針は現在の救急医療を見てもわかります。

  1. 救急担当医は医師であればOKとする。またすぐに駆けつけられるオンコール状態でも可とする。さすがに現在ではオンコールで救急をやっている病院は少ないでしょうが、この解釈の延長線上で当直医が救急担当医を兼ねる勤務が常態化したと考えます。
  2. 病床条件は満床ならばそれを救急隊に連絡しておけば免責としています。これは1987年に改正された省令でも踏襲されています。
当時の医療状況からやむを得ない物であった事は理解はできますが、この緩和方針はあくまでも「過渡期」のものであり、本来の理想である専属の救急担当医を三交代で備え、無限とは言いませんが十分な病床数をもつ救急病院を整備する努力をその後どれ程行なったかに大いに疑問符がつけられます。

ところで改めて救急隊の法的整備の基本となった消防法第2条9項と消防施行令第42条のうち、消防施行例第42条を見直したいと思います。

法第二条第九項の災害による事故等に準ずる事故その他の事由で政令で定めるものは、屋内において生じた事故又は生命に危険を及ぼし、若しくは著しく悪化するおそれがあると認められる症状を示す疾病とし、同項の政令で定める場合は、当該事故その他の事由による傷病者を医療機関その他の場所に迅速に搬送するための適当な手段がない場合とする。


救急隊の搬送患者の対象を定めるものですが、「屋内において生じた事故又は生命に危険を及ぼし、若しくは著しく悪化するおそれがあると認められる症状を示す疾病」となっています。何か難しい表現で書いてありますが、病気であって重症そうに思えるならなんでもOKと解釈できます。要するに救急隊は要請があって駆けつけて「搬送に値する」と判断すれば、どんな患者であっても医療機関に搬送する必要があります。

ところが救急病院等を定める省令の1964年当時の医師の条件は「事故による傷病者に関する医療について相当の知識及び経験を有する医師」であり、救急隊が内科、外科関係無しに病人であれば搬送するのに対し、受け手側の医療機関は外科のみを想定して整備しようとした事が分かります。平日の日勤帯ならばさして問題は生じないかもしれませんが、夜間や休日などの時間外であれば大きな問題が生じそうなのはすぐに分かります。

実際にも救急病院が引き受けた患者も内科患者が多かったようで、省令では外科しか対応できないにもかかわらず、現場では内科患者の対応に追われる状態となったようです。その矛盾を法令上解消するために施行されたのが1987年の改正令とも解釈できます。この改正によって救急担当医の資格は「救急医療について相当の知識及び経験を有する医師」となっています。これで法令上は救急隊が搬送するあらゆる患者を救急病院は診察できるようになったといえます。

「診察できる」としたのはもちろん法令上の話であって、現場は既成事実ではありました。でもこの転換は大きな意味があったと考えます。少しだけ遡りますが、1964年に救急病院等を定める省令が出来るまで、時間外診療は医師の自発的サービスであったといっても良いと思います。もちろん応召義務との兼ね合いがあるにせよ、常設の時間外診療機関はなかった事になります。また救急病院ができても、当初は外科だけに対応するとされ内科はサービスでやっていたことになります。ところが1987年の改正で全診療科対応に変わったと考えられます。事故対応のための救急病院が1987年に全診療科対応に変わった意味合いは巨大ではないでしょうか。1987年でも20年も前の話になるので記憶が曖昧ですが、この頃より今に続く小児救急の問題が発生したようにも思います。

つまりというほどの事は無いのですが、1963年の消防施行令第42条により全診療科の患者を救急隊が搬送するとしたのに、ようやく1987年に救急病院は全診療科に対応せよとの法令整備が行われたことになります。法令は整備されましたし、この時に一次から三次の救急体制整備も行われています。問題は紙の上の救急体制は構築できたかもしれませんが、実際の救急病院の人員、設備、内容の整備がなおざりにされたと考えます。

救急医療は真面目にやろうとすればするほど大赤字になる代物です。1964年に省令が出来た時にもその懸念が十分出されています。救急病院を整備発展させるために十分な財政処置を行なう必要性はその当時でも論じられています。でもどう考えてもそれが十全に行なわれたとは思えないのです。その一方で対象患者の拡大がドンドン行なわれればどこかで問題が生じるのは当然といえば当然です。

救急問題は決して単純ではありません。解決法は一筋縄でいくものではありませんが、少なくともその第一歩は省令が救急病院に求めている条件のうち

  1. 救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること。
  2. 救急医療を要する傷病者のための専用病床又は当該傷病者のために優先的に使用される病床を有すること。
以上の二つを厳格に実現させる事が絶対必要だと考えます。現実は1964年に緩和された条件で運用されていますが、病床条件は完璧には無理としても、医師の条件は非常に厳格に考えないと救急医療が崩壊するのは時間の問題です。法令上は解釈の仕方によるとも思いますが、救急病院に365日24時間のコンビニ病院になれとも読めます。しかし肝心の救急病院の大半は緩和された条件での1964年レベルに毛が生えた体制で対応しています。そんな体制に無理が出るのは当然ですし、現実に無理は噴き出しています。

法令が求める救急病院を実現するには、当直医が片手間にやる体制は論外で、法令に謳うとおり専属の複数の救急担当医が三交代で診療に当たり、医師だけでなくサポートするコメディカルも三交代で日勤帯と同様の体制をまず組まないと話になりません。それと救急医療を行なうことにより経営的に十分ペイすることも重要です。

上に挙げた条件はそれでもやっと必要条件の一部がそろうだけで、それだけでは現在の救急問題は解消しません。解消しませんが最低限それぐらいの整備をまず行なわないと解決の糸口さえ無いと考えます。残念ながら現状は糸口にさえ取り掛かれる状況でないのは周知の事で、現在の不十分な体制でさらに負担を求められているのが実情です。

まさに救急よどこに行くですね。