岡山IVH事件

11/23のエントリー判決文が入手できましたので続報です。なおこの事件の解説は道標主人様がすでにされており、うちは2番煎じですが合わせてご参照下されれば幸いです。なお事件名は道標主人様に敬意を表しまして「岡山IVH事件」とさせて頂きます。

まずは記事ではさっぱり分からなかった経緯を判決文からたどります。

平成13年4月24日(以下、特に断りのない限り、月日のみの記載は平成13年を指す)、亡Aは、同月8日より足元がふらつき、頭痛があると訴えて、被告病院を受診した。亡Aが被告病院を選択したのは、亡Aと被告の妻が、ボランティア活動を通じての知り合いであったとの理由による(甲A3〔1 、乙A1〔4、8 、D〔2 、H〔18 。〕〕〕〕)

亡Aは、同月25日、被告病院で脳CT検査を受診したところ、同検査の結果から、脳に腫瘍及び梗塞が認められ、同月26日、被告病院に入院した(乙A1〔4、5、8 。〕)

入院後、被告病院において、超音波検査、腹部レントゲン検査、内視鏡検査及びMRI検査等を実施したところ、脳腫瘍の原発巣は大腸であり、脳腫瘍は大腸癌の転移であることが判明した(乙A1〔9、10、13、15、17 、H〔19 。〕〕)

内視鏡検査の際には、全周性の狭窄のため、内視鏡が大腸内を通過できず、腹部レントゲン検査の結果ガスの貯留が認められたため、診察にあたったH医師は、腸閉塞直前の状態と判断し、絶食を指示した上で、5月2日、右鎖骨下に高カロリー輸液等のための中心静脈カテーテル(以下「IVHカテーテル」という)を留置し、高カロリー輸液を行った(乙A1 。〔14 、乙A2〔3 、乙A81 、H〔5、20 。〕〕〕〕)

患者は71歳の女性です。ふらつきと頭痛で病院を受診したら脳腫瘍が見つかり、さらに検査をしてみると脳腫瘍は大腸癌の転移したものであり、原発巣である大腸癌により腸閉塞寸前であったため、栄養補給のため問題となったIVH(中心静脈カテーテル)を留置しています。誰が考えても妥当な治療です。

同月8日、亡Aは、I病院に転院し、サイバーナイフによる脳腫瘍の手術を受け、同月9日、被告病院に帰院した(乙A1〔16ないし18、20ないし23 、H〔2 。〕〕)

同月12日、H医師は、亡A及び原告Dに対し、術後1週間ないし10日間で、飲水及び食事の開始が可能となり、術後1ないし2か月で退院が可能となる予定である旨を説明した(乙A1〔65 。〕)

まず転移性の脳腫瘍の治療を行なったようです。行なわれたのはサイバーナイフとあり放射線療法を行なったようです。

同月22日、被告病院において、大腸癌の摘出手術が行われた。執刀は、H医師が行い、J大学医学部附属病院(以下「J大学病院」という)から。手術の応援に来たK医師(以下「K医師」という)及びL医師が手術の助手を担当した。術式は、低位前方切除術で行われ、特に問題なく終了した(乙A1〔33ないし36 、H〔17 、K〔20 。〕〕〕)

続いて原発巣の摘除手術を受けたようです。ここまではとくに問題となるようなものはありません。

術後7日目に当たる同月29日ころまでは、特に異常な所見は見られず、亡Aは、夫である原告Dと、通常どおりの会話ができる状態であり、同日には飲水が許可されて飲水し、尿道のバルーンカテーテルも抜去され、介助されながらもベッドを降りて自ら用を足せるようになった(乙A2〔6、7、27ないし46 。〕)

亡Aは、同月30日午前7時に左腹部が少し痛いと訴えたが、同日朝に流動食を開始し、同月1日に絶食して以降、同月10日から15日にエニマクリン食を摂取したことを除くと、ほぼ1か月ぶりに経口摂食したところ、午後4時ころに38度7分の熱を発し、脈拍は104となり「胸が、えらい」と訴えたが、腹痛はなかった。発熱に対しては、解熱剤であるメチロンが投与されたが、流動食は継続され、午後8時には体温37度、脈拍73となった(乙A1〔46ないし48 、乙A2〔6、7、45、4 〕6 。〕)

ここから問題となった術後の発熱が起こっています。ここまでの経過を時系列でまとめておきます。

4/24ふらつきと頭痛で初診
4/25CTにて脳腫瘍発見
4/26入院
5/2右鎖骨下にIVH留置
5/8脳腫瘍に放射線療法
5/22大腸癌摘除手術
5/30発熱
5/2にIVHを留置し、発熱したのは5/30ですから、留置後28日目の発熱という事になります。当然の事ですが、発熱に対する治療と原因探しが行なわれます。

H医師は、カテーテル感染症及び腎盂腎炎とともに、縫合不全を疑い、胸部及び腹部のレントゲン撮影をしたが、小腸ガス及び大腸ガスが認められた以外に異常を示す所見は認められなかった。また、ドレーンからの排出液にも異常は見られなかった。H医師は、抗生剤をより広域スペクトラムのものに変更することとし(具体的には、同日まで投与していたスルペラゾンに代えてドイルを投与し、さらに6月1日からはチェナムを投与した、発熱の原因を検索するために、採血及び採尿をすることの指示をして、経過観察とした(乙A1〔46、47 、乙A2〔7、46、47 、〕〕乙A8〔1 、H〔7 。〕〕)

担当医師が感染源と考えたのは

  1. カテーテル感染
  2. 腎盂腎炎
  3. 縫合不全
治療としては、術後の感染予防のために投与していたと考えるスルペラゾンをまず発熱した5/30にドイルに変更し、さらにその2日後の6/1にはチエナムに変更しています。この抗生剤の選択には医学的にはやや問題は残りそうな気はしますし、医師からは意見も出るでしょうが、ここではそうであったとの事実を語るだけに留めます。

5月31日朝、亡Aは、流動食を摂取したが、同日午前10時に38度3分の発熱があり、心拍数は114であった。発熱に対しては、解熱剤であるメチロンが投与された。その30分後である午前10時30分に、亡Aは、非常に強い腹痛を訴えたため、看護師は、被告を呼び出した。同医師が診察を行ったところ、腹部に強い疝痛が見られたが、ドレーンからの排出液はきれいなままであった。また、同日の血液検査の結果は、白血球、が4900であり、CRPが2.99mg/dlであった。同日の診療録には「やはりleak(縫合不全)でしょう」との記載がある(乙A1〔48、51 、乙A2〔8、47、48 、乙A8〔2 、H〔7 。〕〕〕〕)

ここでは日付がやや前後しますが、発熱の翌日の5/31の時点では腹痛もあり担当医は縫合不全を強く疑ったようです。検査記録はなんとも微妙なWBC 4900、CRP 2.99です。

同日午後4時においても、38度8分の発熱が見られたため、午後5時、解熱剤であるベギータが投与された。午後6時には尿道バルーンカテーテルが留置され、これ以後、翌日の6月1日午前7時までの尿量は600mlであった(乙A2〔8、48、49 。〕)

5月31日午後7時ころ、IVHカテーテルの滴下不良が見られたため、IVHセットの交換が行われた(乙A2〔48 。〕)

6月1日午後零時15分ころ、亡Aに38度7分の発熱が見られ、心拍数は110程度であった。また、同日、腹部CT検査を行ったところ、低吸収域が数カ所見られたものの、明らかな膿瘍は見られなかった。同日午後4時ころ、再度、IVHカテーテルからの滴下速度が遅くなったため、H医師は、看護師に指示の上、末梢静脈にも点滴ルートを確保し、点滴を開始した。また、尿量は、上記ウのとおり、前日午後6時から午前7時までが600mlであったのに対し、6月1日午後4時から午後8時すぎまでは約60mlと、尿量の低下が見られ、血圧も85/50に低下し、末梢ルートから血管作動薬であるイノバンの投与が開始された(乙A1〔48、51ないし53 、乙A2〔49、50 。〕〕)

同日午後9時ころ、再度、IVHカテーテルの滴下不良が生じ、側管から生理食塩水などを一気に注入して管を通す処置(フラッシュ)を行ったが、改善は見られなかった。そこで、H医師は、翌日にIVHカテーテルを入れ替えることを指示し、そのままカテーテルを留置した。この時点では、亡Aに発熱はなかったが、不整脈があり、苦しいとの訴えがあった。

以後も、呼吸促迫気味であり、深大性呼吸も見られた。午後11時過ぎには、末梢からの点滴がもう1本追加され、尿量は翌日午前零時まで200mlと増加した(乙A1〔53 、乙A2〔50、51 、H〔10、11、〕〕32 。〕)

同月2日午前5時、再度、IVHカテーテルの側管からフラッシュするも、滴下不良は改善しなかったため、午後零時にIVHカテーテルルートの入替えの処置を行った。このときに抜去したカテーテルの先端について培養検査をした結果、カンジダ菌が検出されており、その報告は同月4日以降にあった(乙A1〔52、55 、乙A2〔52、53 。〕〕)

カテーテルが焦点となっている裁判なのでカテーテルを中心に時系列を見てみます。

5/2右鎖骨下にIVH留置
5/3016:0038.7℃の発熱、メチロン投与
5/3110:0038.3℃の発熱、メチロン投与
16:0038.8℃の発熱、ペギータ投与
5/3119:00IVH滴下不良、IVHセット交換
6/1 0:1538.7℃の発熱
16:00IVH滴下不良、末梢ルート確保
21:00IVH滴下不良、生食によるフラッシュ施行も改善せず
23:00末梢ルート2本目を確保
6/2 5:00生食によるフラッシュ
12:00IVH抜去、入れ替え
5/30の午後4時に発熱が起こった時点ではIVHにとくに問題となる所見はありません。IVHが最初に滴下不良を起こしたのは翌5/31の午後7時です。この時はIVHセット、つまりIVHの体外部にある部分を取り替えることにより、滴下不良は改善したようです。その後は滴下に問題は無かったようですが、さらに翌日の6/1午後4時に再び滴下不良を起こしています。この滴下不良は午後9時およびさらにさらに翌日の6/2午前5時の生食フラッシュでも改善せず抜去入れ替えとなっています。

発熱を起こしてから最初の滴下不良まで15時間、IVHセット交換により滴下が改善し2度目の滴下不良を起こすまで9時間、2度目の滴下不良から抜去まで20時間。最初の発熱から44時間後、最初の滴下不良から29時間後、2度目の滴下不良から20時間後に抜去しています。

カテ先は培養に提出され、6/4にカンジダ菌が確認されています。

同月2日の尿量は、午前7時から午前10時まで100mlと減少し、午後3時までは400mlと増加したものの、午後8時前まで100mlと再び減少した(乙A2〔53、54 。〕)また、同日、直腸造影検査が行われ、同日の診療録には「ガストロ造影ではmajor leak(大きな縫合不全)はみられない。minor(小さなもの)があるかもしれない」との記載がされた(乙A1〔53 。〕)

同日午後3時ころ、不整脈と頻脈が生じ、同日午後11時の時点では、亡Aの呼吸は、深大性となっており、頻脈及び不整脈が見られ、脈拍の140台まで上昇したが、ドレーンからの排出液はきれいなままであった(乙A1〔53 、乙A2〔54、55 。〕〕)

H医師は、同日、原告D等に対し、発熱があるので感染症が疑われる感染源はIVHか腹部であると思われる、腹部には造影で明らかなもれはなかった旨を説明した(乙A1〔53 。〕)

6月3日、午前7時から午後零時30分までの尿量は200mlであったが、その後、午後2時過ぎまで無尿の状態であった。午後3時30分には、39度7分の発熱があり、深大性呼吸、不整脈及び頻脈等が続いていた。尿量は著しく減少しており、導尿しているウロガード管内に膿のかたまり様のものが付着していたため、午後3時には膀胱洗浄が行われた(乙A2〔56、57、58 、H〔11、12 。〕〕)

同日午後、H医師が、K医師及びL医師に相談したところ、縫合不全はなさそうである、中心は心不全か心臓喘息である、腸管に水が貯まっていて腸の動きが悪い、このため麻痺性イレウスとなっている、発熱の原因はカテーテル熱であろう、心不全の加療を行うべきとの返答であった(乙A1〔55 。〕)

K医師及びL医師は、同日午後7時頃、被告病院に来院した。同日午後9時頃、H医師は、K医師及びL医師に相談の上、IVHカテーテルを抜去し、末梢からの点滴を行った。そのころには、無尿となっており、バルーンカテーテルに膿様のものの付着が認められ、膀胱洗浄が行われた(乙A1〔55 、乙A2〔58 、H〔33 、K〔51 。〕〕〕〕)

H医師、K医師及びL医師は、同日午後11時10分頃、腎不全及び心不全と診断した。同医師らが被告病院での治療は不可能と判断したことから、亡Aは、J大学病院に救急車で転院した(乙A1〔58、59 、乙〕A2〔59 、K〔11、12 。〕〕)

6/2午後0時に抜去され入れ替えられたIVHですが、6/3になっても感染症状が改善しないためIVH感染の可能性を疑い再び抜去しております。その頃には完全に無尿状態になっており、腎不全及び心不全のためJ大学病院(岡山大学病院)に救急搬送されています。ここからは岡山大学病院での治療経過に移ります。

同月3日深夜から翌4日にかけての転院時には、亡Aは、意識がない状態であり、白血球は10000、CRPは25.1mg/dlであり、J大学病院では、敗血症性ショックとこれによる急性腎不全及び心不全との診断の下、ICUにて治療が開始され、再度、IVHカテーテル及びスワンガンツカテーテルが挿入された。翌日の検査では、β−D−グルカンは52、20pg/mlであり、6月5日の血液検査の結果、カンジダ抗原が検出されそのころには、被告病院で使用されたカテーテル先端からもカンジダ抗原が検出されたことが明らかになったことから、カンジダを原因菌とするカテーテル感染症と診断され、同日より、抗真菌剤であるフロリードが投与された(甲A4〔4 、乙A1〔55 、乙A5〔19、40、80、98、〕〕99 、K〔13、27 、D〔7 。〕〕〕)

また、同日のCT検査によると、術後の吻合部周囲に少量の腹水があったが、縫合不全はなく、腹腔内等には膿瘍は認められず、深在性の真菌症〕、の原因となるような大きな感染源は発見できなかった(乙A5〔104K〔32 。〕)

6月22日より、亡Aには下血が認められ、7月3日まで下血が継続した。6月25日の血液検査の結果、サイトメガロウィルスによる出血性腸炎が判明したが、7月6日には陰性化した。亡Aは、同月10日、ICUから一般病棟に転出した(乙A5〔82、84、86、87、138ないし148 。〕)

一般病棟に転出後は、週に2ないし3回の頻度で、ICUにて透析が行われた。退院に至るまで、亡AのCRPは3.2ないし21.7mg/dlの間で推移しており、β−D−グルカンの値も高値を維持していた。亡Aには、時に「ありがとう「ごちそうさま」等の発語が見られ(乙A5〔2 」、08 、頷く等の動作をすることもあったが、積極的な意思表示はできず、〕)家族とも十分なコミュニケーションが取れない状態であった(乙A5〔148ないし220 、D〔8、9、16 、E〔9、10 。〕〕〕)

全身状態が徐々に改善したため、10月12日から流動食を開始したが、腎不全は依然として継続していたことから、慢性腎不全に対する透析を継続するため、同月18日、亡Aは、被告病院からM病院(以下「M病院」という)に転院した。転院時の検査によれば、白血球は6000、CR Pは7.1mg/dl、β−D−グルカンは3083pg/mlであった(乙A4〔5ないし7、41、42 、乙A5〔215、220 。〕〕)

起炎菌がカンジダであるとようやく同定されてフロリードによる治療が行なわれています。転院時の検査ではWBC 10000、CRP 25.1で白血球の減少傾向が見られる敗血症であり、真菌感染症の指標であるβ-D-グルカンは 52.20となっています。全身状態はなんとか持ち直したようですが、敗血症による腎不全で慢性腎不全となり透析療法が必要となっています。またこの感染によりある程度の意識障害も起こったことがわかります。

入院したのが6/3、ICUから一般病棟に移ったのが7/10、さらに岡山大学病院から次の転院先のM病院に移ったのが10/18です。ICUに約1ヶ月、岡山大学病院には約4ヶ月入院していた事になります。全身状態がそれなりに改善したとは言え、岡山大学病院をからM病院に転院したときのデータがWBC 6000、CRP 7.1、β-D-グルカン 3083とは結構な数字です。そして舞台はM病院に移ります。

M病院においても、亡Aの腎不全に対しては、週3回の頻度で、透析治療を続けた(乙A4〔96ないし106 。〕)亡Aは、M病院入院時には発熱もなく、一般状態は比較的良好であったが、10月20日に細菌検査を行った結果、緑膿菌及びMRSA感染が見
られた。11月中旬の検査では、感染は見られなくなったが、その後は感染が継続した(乙A3〔17ないし32 、乙A4〔96 。〕〕)M病院入院中におけるCRPの値は、2.4ないし9.5mg/dlの間で推移しており、正常値をとることはなかった(乙A3〔36ないし39 。〕)

イM病院入院時の亡Aの意識レベルは、JCSⅡレベル(刺激に応じて一時的に覚醒する)であった(乙A4〔76 。〕)入院期間中、亡Aは、食事は摂取していたが、発語等の意思表示はできない状態であった(乙A3〔62ないし112 、D〔16 、E〔2 〕〕9 。〕)

11月17日夕方、亡Aに、痙攣発作が頻回に見られた。担当医師は、亡Aの家族に対し、この痙攣は脳転移の再発及び脳梗塞が原因と考えられ、一般状態も悪く、急変もあり得る旨を説明した。同月18日に頭部単純CT検査を行ったところ、明らかな腫瘍や出血などは認められなかったが、同月19日に、頭部造影CT検査を行ったところ、明らかな変化は見られなかったものの、脳腫瘍が疑われるため、1か月後の再検査が必要とされた(乙A3〔3、4、60、89 、乙A4〔35、107ないし10 〕9 。〕)

11月21日、亡Aに下血が見られたため、同月22日にS状結腸カメラ検査を行ったところ、肛門からすぐの位置に約2㎝の腫瘍があり、そこから出血していることが判明した。そこで、担当医師は、内視鏡的粘膜切除術を行い、腫瘍を切除したが、クリッピングはできなかった。生検の結果、癌細胞が認められ、断端が陽性であると診断された。その後も下血が見られたが、12月7日頃から、下血が顕著となり、同月12日頃には、血小板の値は7000台程度に低下した。また、左肺に胸水が見られ、胸水穿刺が行われた(乙A3〔5、6、35、90、92、94、103、107 、乙A4〔111ないし121 。〕〕)11月26日のβ−D−グルカン値は500pg/ml以上であった(乙A3〔14 。〕)

12月17日、血圧が低下し、39度台の発熱が見られ、同月18日には昏睡状態に近い状態となり、同月19日、亡Aは死亡した(乙A4〔1、122ないし124 。〕)

10/18に転院後はそれなりに安定したようですが、11月中旬頃から感染が持続し、最終的に12/19に患者は死亡しています。最後の経過は判決文読む限り癌性悪液質による末期症状に私は読めます。

患者はM病院によって病理解剖が行なわれています。これも問題になったものです。

同日、M病院において、病理解剖が行われた。その結果、死亡に関係する原因としての主病診断として、直腸癌切除後再発とそのリンパ節転移、敗血症、肺動脈内、腸骨静脈内血栓塞栓症、萎縮腎、心不全が挙げられた(甲A1〔1 。〕)

大腸癌再発の程度については「腫瘍組織は直腸周囲の結合織より右卵巣、に浸潤し、大動脈傍リンパ節、腸間膜リンパ節の多数に転移が見られた。肺や肝への遠隔転移は見られなかった」とされた(甲A1〔2 。。〕)

感染症に関する所見については「感染症のfocusを検索したところ、左右、の総腸骨静脈内に新旧混在し、一部器質化した血栓の形成が見られ、血管壁の一部はリンパ球や異物巨細胞を伴う炎症をみとめた。両側の肺動脈起始部から末梢にかけても器質化を伴う塞栓が見られた。これらの血栓は経過中に生じたものと考えられるが、その形成時期については不明である。また、左右心室壁には敗血症による変化と思われるリンパ球と異物巨細胞の小集ぞく巣が散在していた。また左腎には、巨細胞と小壊死巣、カンジダの感染を伴う腎盂腎炎が見られた。肺については肺胞壁の一部には軽度の器質化が見られたが、活動性のある炎症像は目立たず、その他の実質臓器も炎症所見は乏しかった」との記載がされた(甲A1〔2 。。〕)

その上で「直接死因としては、経過中のIVH感染による敗血症とそれに続発する腎不全、心不全が考えられる」との記載がされた

皆様どう読まれます?もちろん病理医は病理解剖の結果に基づいて病理診断を行なうのですが、私にはこの病理医の見解についてコメントする能力を持ちません。

判決文はこの後相当長い文言を費やして医学的考察を行なっているのですが、長すぎて全部解説しきれません。適宜ピックアップしながらにします。まず死因について述べられています。

亡Aの死亡原因について検討するに、まず、上記1(3)アのとおり、亡Aの大腸癌は脳に転移していたところ、上記2(6)の基準からし
て、臨床病期はⅣ期、デュークス分類はデュークスDであり、相当程度進行した癌であったといえる。また、その予後について、大腸癌の転移例について検討した乙B16では、大腸癌で脳転移を来した3例については、それぞれ、退院から175日目、150日目、入院87日目に死亡したと報告されている。K医師は、大腸癌脳転移症例の確定診断時からの平均生存期間は、治療の有無を問わず約6か月であると陳述している(乙A9〔12 。〕)

亡Aについては、上記1(7)ウのとおり、M病院入院中に、頻回の痙攣発作が見られ、CT検査の結果、脳腫瘍の可能性も否定できない旨が指摘されており、また、上記1(7)エのとおり、肛門部付近に腫瘍からの出血が見られていることからすると、大腸癌の影響が強く疑われるところであり、証人Nも、亡Aの予後について、普通の家庭での生活ができるのは半年から1年程度であると証言している(N〔15 。〕)

これに対し、上記1認定の事実経過のとおり、亡Aは、手術から約7か月生存しているところ、上記のように亡Aに予想された生命予後が極めて短いこと、解剖結果においても、上記1(9)のとおり、リンパ節等への転移が見られていることからすると、大腸癌が亡Aの死亡に有意に影響したものと認められるし、上記1(7)の経過に照らすと、より直接的には、11月に至って肛門付近に再発した腫瘍に対する切除術後に下血が継続したことが、亡Aの死亡に大きく寄与したものと認められる。

おそらくこの部分が逸失利益を認めなかった理由かと考えます。続いてはおそらく慰謝料への過失部分の言及となります。

本件の経過を見るに、被告病院における5月30日午後4時以降の亡Aの諸症状は、上記3(1)のとおり、カテーテル感染症に起因するものであると認められる。そして、上記1(5)エのとおり、6月1日午後零時ころ、38度7分の発熱が見られ、心拍数が110程度に上昇しており、同日午後8時までには尿量の低下が見られ、血圧も85/50に低下し、午後9時には不整脈が生じ、深大呼吸等が見られており、上記2(4)ア及びイで述べたところからすると、同日には亡Aは敗血症、の兆候を示していたといえる。

その後、上記1(5)エないしカのとおり同日午後8時以降にイノバンが投与され、尿量については改善が見られたが、6月3日午後2時には無尿状態となっており、上記2(4)ウで述べたところからすると、遅くとも同月2日午後から3日にかけての時期に、亡Aは敗血症性ショックないしプレショックの状態に至ったものと認められる

まずここで敗血症がカテーテル感染で起こったと断定しています。

そして、上記1(6)アのとおり、J大学病院入院時には、亡Aは、白血球は10000、CRPは25.1mg/dl、真菌の存在を示すβ−、D−グルカンは5220pg/mlであり、敗血症性ショック、急性腎不全心不全との診断の下、ICUにて治療が開始されている。また、J大学病院退院時には、白血球は6000、CRPは7.1mg/dl、β−D−グルカンは3083pg/mlであり、これらの値からすると、白血球の値は低下しているものの、いまだ亡Aは感染から脱却していないと評価できる。

さらに、上記1(6)ウのとおり、同院入院時の亡Aは、挨拶程度の発語はあったものの、十分にコミュニケーションが取れない状態であったことも認められ、上記1(5)アのとおり、感染症発症前には通常の会話が可能であったことにも鑑みると、このような意識レベルの状態であったことからしてもまた、カテーテル感染症の継続が推認される。

さらに、上記1(7)イのとおり、亡AのM病院入院時の意識レベルはJCSⅡであり、同院入院中も依然として十分な意思表示ができない状態であったこと、感染を示すCRPの値が継続して異常値を示していたことからすると、亡Aの感染症は、M病院入院中においても継続していたといえる。

以上の一連の経過からすると、亡Aは、死亡に至るまで、被告病院において罹患した感染症及びそれに続発した腎不全及び心不全の影響から脱却できていないことが認められる。この点については、K医師も、「敗血症による悪性SIRSから多臓器不全(MOF)への進展は、「将棋倒し」に例えられる。MOFに向けての炎症反応のスイッチがひとたび「ON」になれば、将棋倒しのように炎症反応のカスケードが駆動する。

MOFに至る一連の連鎖反応を完全に制御し、抑制し得る治療法は未だ確立されていない」旨を陳述しており(乙A7〔9 、上記の〕)亡Aの経過も、このような感染症に起因する一連の流れとして評価し得るものである。

この部分にはなかなか興味深い主張が見られます。

    同院入院時の亡Aは、挨拶程度の発語はあったものの、十分にコミュニケーションが取れない状態であったことも認められ、上記1(5)アのとおり、感染症発症前には通常の会話が可能であったことにも鑑みると、このような意識レベルの状態であったことからしてもまた、カテーテル感染症の継続が推認される。 さらに、上記1(7)イのとおり、亡AのM病院入院時の意識レベルはJCSⅡであり、同院入院中も依然として十分な意思表示ができない状態であったこと、感染を示すCRPの値が継続して異常値を示していたことからすると、亡Aの感染症は、M病院入院中においても継続していたといえる。
要するに敗血症により意識レベルの低下が起こり、その後意識レベルの回復が見られないのは感染が持続しているためだとの見解です。感染さえ無くなれば意識レベルは戻ったはずだの司法の断定です。どうやらこの辺からキナ臭くなってきます。

以上の経過に加えて、病理解剖においても、左右の総腸骨動脈に新旧混在した感染巣が見られることからすれば、亡Aが感染症から脱却できずに、時期を異にして、何度も感染を繰り返したことが推認できる。

また、一部器質化した血栓の形成、血管壁の一部にリンパ球や異物巨細胞を伴う塞栓が見られ、左右心室細胞壁には敗血症による変化と思われるリンパ球と異物巨細胞の小集ぞく症が散在し、左腎には、カンジダの感染を伴う腎盂腎炎が見られていることからすれば、感染症が繰り返したことが、各臓器に大きな影響を与えたことが推認できる。これらの所見は、上記認定の経過に合致するものである。

さらに、上記1(9)のとおり、病理解剖報告書では「直接死因として、は、経過中のIVH感染による敗血症とそれに続発する腎不全及び心不全」としているが、これも、上記の所見からして、上記認定の経過と同様の判断をしたものと考えられる。

なお、この病理解剖を担当したO医師及びP医師は、IVH感染の時期は、被告病院、J大学病院及びM病院のいずれの入院時であるかを特定することは不可能であるとしており、その理由として、P医師は、感染の時期は、臨床経過から判断すべきであるとしている(書面尋問の結果)が、上記の解剖結果の評価と、臨床経過は矛盾しないものである。

おそらくここでは、最初の病院でのカテーテル感染が死亡時まで影響した事は病理解剖所見とも矛盾しないと書いてあると理解します。そうなれば出てくる結論は、

以上からすると、亡Aは、死亡に至るまで、被告病院で発症したカテーテル感染を原因とする敗血症の影響から脱却できなかったものと認められるところ、これによって同人の全身状態が低下していたことは明らかであり、そのような状態の下で上記(1)イのとおり、再発腫瘍切除術後に下血が継続したことにより、亡Aは、術後に全身状態が急激に悪化して死亡するに至ったと認められる(N〔35 。

そうすると、上記のの腎不全等がなくても、下血の継続により亡Aは早晩死亡するに至ったとは認められるものの、前提としての全身状態の低下がない以上は、その経過はより緩慢なものとなり、死期もまたより遅くなったと認めるのが相当であり、そのように認められる以上、上記のカテーテル感染を原因とする敗血症に続発した腎不全及び心不全は、亡Aの死期を有意に早めたものと認められる。

すべてカテーテル感染が悪いと導かれます。被告側の反論には、

これに対し、被告は、被告病院で見られた敗血症は、カテーテル感染に由来するものではなく、深在性真菌症がその原因であると主張し、その根、拠として、被告は、β−D−グルカンが2000pg/ml以上の高値の場合腸管等に由来する深在性真菌症であり、カテーテルに由来するものではないことを挙げる。K医師も、これに沿う陳述ないし証言をする。

しかし、β−D−グルカンが2000pg/ml以上の高値の場合、腸管等に由来する深在性真菌症であるといえる根拠について特に示されておらず、そのような知見があると評価するだけの証拠はない。

他方、入院患者で発熱した患者202例についてβ−D−グルカン値を測定した調査結果を示した甲B33によれば、深在性真菌症の症例全てに。おいて、β−D−グルカン値は1000pg/ml以下であったとされている。また、β−D−グルカンが異常高値を示した症例についての報告である乙B10についても、単に深在性真菌症例においてβ−D−グルカン値が1000pg/ml以上を示した症例についての報告に過ぎず、深在性真菌症とカテーテル感染症の区別について論じたものではない。

さらに、被告は、亡Aの症例について報告した論文であるとする乙B20をその根拠とするが、同論文は、β−D−グルカン高値が持続した原因について、諸臓器で真菌感染が持続した可能性について述べるものであり、感染の原因について述べるものではない。むしろ、同論文は、病歴上、消化管からの感染が最も疑われたが、数回にわたるCT撮影及び大腸内視鏡検査においても感染源を特定することができなかったとしており、β−D−グルカン値により感染源が特定できるという被告の主張に沿うものとはいえない。

したがって、上記の被告の主張には理由がないといわざるを得ない。

被告の深在性真菌症説は理由が無いと一蹴されています。一つだけ反論すれば判決のカテーテル感染説もたいした根拠があるようには思えません。どちらが真相かは皆様の御考察を期待します。

判決文は最後のまとめに入ります。

  1. 亡Aの死亡原因と被告病院担当医師の義務違反との因果関係

    一般に、医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係については、経験則に照らして医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の当該不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。

  2. 上記の考え方と上記(1)で認定説示した亡Aの死亡原因を前提として本件について検討するに、上記2(1)ウのとおり、カテーテルの早期抜去により、多くの場合に症状が改善し治癒するとされていることからすると、本件においても、いまだ敗血症性ショックに至っていない5月31日午後7時の時点でカテーテルを抜去していれば、感染症が治癒した可能性が高い上、仮に治癒に至らなかったとしても、感染のフォーカスが除去されることにより、その後の症状の進展はより緩徐なものとなったと推認される。K医師も、軽症のカテーテル感染であればカテーテルを抜去することによって解熱する旨陳述している(乙A9〔9 。〕)

    また、上記1(6)アのとおり、J大学病院では、6月5日にカンジダを原因菌とするカテーテル感染症と診断し、同日から抗真菌剤であるフロリードを投与していることころ、5月31日午後7時の段階でカテーテルを抜去し、この段階でカテーテル先につき培養検査を行っていれば、より早く、カテーテル感染症との診断が可能となり、より早い時期に抗真菌剤の投与が開始されたものと考えられる。そうすると、上記のように、カテーテルの抜去により、仮に感染症が治癒しなかったとしても、症状の進展がより緩除になったところに、より早い時期に抗真菌剤が投与されることになるのであるから、両者を併せて考えると、本件でも、カテーテルの抜去により、敗血症性ショックに至らない初期の段階で、その後の症状の進展が抑制され、治癒に至ったと考えるのが合理的である。

    証人Nは、この時点でカテーテルを抜去していれば、敗血症性ショックを防止できたと、これに沿う証言をしている(N〔1 。〕)
    そして、敗血症性ショックに至らない初期の段階で敗血症の進展が阻止され、治癒に至っていれば、その後の腎不全及び心不全等の症状の遷延も起こらず、順調に回復したものと認めるのが相当である。

    さらに、平成11年に帝京大学において中心静脈カテーテル(CVC)留置例2202例を対象に行われた調査では、CVC留置中に38度以上の発熱を認め、他に明らかな感染源がなく、CVC先端培養検査が陽性の場合、あるいはCVC抜去により72時間以内に解熱した場合をCVC感染陽性とし、そのうち血圧低下(収縮期血圧90mmHg以下)あるいは何らかの急性腎不全、心不全、呼吸不全、眼内症等の合併症を認めた症例を重症例であるとすると、発熱からCVC抜去までの時間が72時間以内の重症化率は10%前後であったが、72時間を超えた症例の重症化率は25.9%と有意に高率になったと報告されており(甲B14 、カテーテルの)
    抜去の時期により、予後が変わり得ることが示されている。

    以上からすれば、5月31日午後7時の時点でカテーテルが抜去されていれば、亡Aは敗血症性ショックにまでは至らず、その後の経過は同人が現実に辿った経過よりも良好であったと認められる。

  3. そして、上記(1)のとおり、亡Aの死亡には再発した大腸癌切除術後の下血が大きく寄与したことが認められるものの、被告病院におけるカテーテル感染症を原因とする敗血症に続発した腎不全及び心不全による全身状態の低下が死期を有意に早めたものと認められることからすると、カテーテル感染症が敗血症性ショックにまで至る以前に治癒していれば、その後の経過は亡Aが現実に辿った経過よりも良好であったと認められ、亡Aは現実の死亡時点である平成13年12月19日になお生存していた高度の蓋然性が認められる。
以上より、被告病院担当医師であるH医師の過失と亡Aの死亡には因果関係が認められる。
よって、被告は、H医師の使用者として不法行為責任を負う。

この判決の要点は個人的には、

  1. 術後の感染症は間違い無くカテーテル感染と断定できる。
  2. カテーテル感染への対処法である抜去の時期が遅すぎた。
  3. 感染による意識障害が起こり、感染が遷延したため意識障害が戻らなかった。
であるように私は感じます。御感想をお待ちしています。