神の鑑定

医療関係者にはあまりにも有名で、既に各所で論議が尽くされている新宮心筋炎訴訟です。私も概略だけは知っているのですが、じっくり目を通した事がまだありません。未だに各所で引き合いに出されるあの鑑定を取り上げてみたいと思います。

この訴訟は高裁で下されたものですが、一審では被告である病院側勝訴になっています。判決文は和歌山地方裁判所 平成9(ワ)666 損害賠償請求事件にありますのでまずは御参照ください。一審原告側敗訴の後、舞台は運命の二審の大阪高裁に移ります。この大阪高裁で原告勝利の原動力なったのが高名な鑑定です。読んでもらえばそれで十分なんですが、頑張って解説してみます。なにぶん長文ですので、耐え忍んでお読みください。

あんまり長いので適宜サマリーしますが、不足と思われる分は鑑定書原文を参照してください。まずは鑑定書に書かれている経過をまとめてみます。

患児の感冒様症状は10月末より存在しており、1週間続く咳と熱発を主訴に11月4日C医院を受診し外来で投薬を受けた。11月7日は投薬だけの再診であり症状の記載はない。その後11月10日より再度熱発し咳がひどくなってきたため11月11日C医院を受診し外来で再度投薬を受けている。11月12日、熱はいくぶん落ち若いていたが咳込みが激しい。この日受診なし。11月13日症状の改善なくC医院を再度受診する。

外来で採血とレントゲン検査を受ける。胸部レントゲンでは心陰影の拡大はなく明瞭な肺炎像はない。血液検査は白血球数4400(顆粒球65%)CRP0.6にて特別な所見はない。嘔吐無く利尿もあり感冒と軽度の気管支炎程度の症状記載である。14日は解熱の傾向にあったが、両眼瞼の浮腫、咳の増加、食欲不振が続くためC医院よりB病院小児科へ紹介されている。10月末からの反復する感冒様症状があり、解熱後も健康が回復しない患児の小児科専門医への紹介は妥当である。

ここに書かれていない情報を少しだけ補足しますと、患児は5歳の女児であったようです。それと11月15日夜に急変が起こった事を思うと、11月14日にB病院への紹介を決断したのはC医院の医師にとって運命の岐路だったと思います。私の立場はここではC医院になりますから他人事ではありません。そして次のB病院での経過に移ります。

翌11月15日B病院小児科を受診する。紹介状に「両眼瞼が浮腫状になり」との記載もあり担当医は腎炎の存在を疑って検査項目を選択している。当日の結果にあるLDH585、CPK500−600(後日測定)はLDHの軽度上昇、CPKの中等度上昇をきたし心筋障害の存在を示唆している。検尿所見では血尿(−)、蛋白尿(+)、ケトン体(−)、比量1.029と正常である。血圧86/50で脈圧正常。後日判明したその他の検査結果でも腎障害の兆候は認められない。当日は早朝に自力で排尿があったが、経口水分が少なくその後排尿ないため外来でKMNG3号500mlの輸液を受け帰宅した。

B病院へは紹介入院でなく外来紹介受診であった事がわかります。そして11月15日では外来を受診し、検査治療を受けた後、一旦帰宅した事もわかります。外来担当医が外来時点で速報で判明していた検査所見は次の項目のようです。

  1. 胸部X-p


      前日にC医院で撮影したものが確実にあります。外来でもう一度撮影したかどうかは不明です。


  2. 尿所見


      血尿(-)、蛋白尿(+)、ケトン体(-)、比重1.029とあり軽度の蛋白尿を認めますが、腎炎を強く示唆するほどの検査になっていません。


  3. 血算および血清化学所見


      鑑定書で挙げられているのはLDH 585だけですが、後は当日判明していそうなものとして、総蛋白、アルブミン、BUN、クレアチニン、Na、K、Cl、GOT、GPT、LDHγ-GTPぐらいは最低限あると考えます。もちろん白血球、赤血球CRPも判明していたと考えます。鑑定書でLDHとともに列挙していたCPK 500-600は鑑定書に明記してあるように後日に判明となっています。おそらくですが鑑定書に書いてない検査所見には大きな異常はなかったと考えます。
症状として何を外来担当医師が見たかは記載がありませんが、紹介病院からの症状である、「浮腫、咳の増加、食欲不振」をまず中心に考えたでしょうし、その中で浮腫にまず重きを置いたとしても不思議な発想ではありません。浮腫をきたす疾患は種々ありますが、先行するウイルス感染の存在から腎炎をまず念頭に置いたようです。ところが軽度の蛋白尿は認めたものの急性腎炎の徴候とするには他の検査所見に乏しく、経口水分量が少ないところから点滴にて補液を行い、他の検査所見がそろうまで一旦帰宅の判断を下しています。

ところが帰宅後患児の状態が悪化します。これもおそらくですが外来受診は午前中であったかと考えられます。

点滴後排尿はあったが帰宅後も倦怠感強く腹痛の訴えあり嘔吐した。「ボーと眠っていく。」状態にて両親は心配し午後7時20分新宮市民病院小児科を受診した。(甲第6号証)

11月15日新宮市民病院小児科受診時、肝臓、膵臓の肥大はなく、検尿にて異常所見はない。外来力ルテに「眼瞼の腫れは腎によるものではなさそうである。」との記載がある。意識については「しんどいためボーとしているが年齢幼稚園等言える。」状態であり軽度の意識低下がみられる。「気管支炎、脱水症」の診断にて入院となる。(乙第4号証P4〜5)当日の検査実施はなく明日の血液検査と胸部レントゲン、検尿、検便の指示がなされていた。(乙第5号証P18)入院後はソリタT1号(初期輸液液、ナトリウムを多く含む。)の点滴が1時間に100mlの速度で開始された。

輸液開始の午後9時より、翌16日午前10時までに合計1100mlの輸液がなされた。得られた排尿はわずかに100mlであった。(乙第5号証P17) 入院後の11月15日夜間より16日早朝にかけての看護記録(乙第5号証P12〜13)には体温35.8度の平熱、安静時にもかかわらず脈拍100/分、32/分の呼吸増加の記載がある。また「発汗(+)」「上下肢冷感にて湯たんぽ使用」の記述が示すように急性心不全症状の進行を示す記載が続く。さらに「胃液よう嘔吐」「腹痛」「時々空えづき(+)」の消化器症状が時間を追って現れる。これらの症状は胃腸への血液の停滞、うっ血により生じている。患児の心拍出量が低下し続けている病態を示す。

午前7時以降看護記録に記載はなく、11月16日午前10時に「お腹いたい」の訴えあり「腸蠕動きこえず、口唇色不良、眼瞼ポッテリ」にて担当医に連絡をとる。回診した小児科医による「呼吸困難、チアノーゼ、頻脈、上眼瞼浮腫(2+)」「足背動脈拍動はっきりせず、右上腕にて血圧測定不可能」の記載がある。その後心エコー検査にて「滲出液(+)、左室の拡大(+)、壁運動↓、EF15%心筋炎と診断」される。(乙第5号証P3)一般病棟からICUへ転室するが午前10時20分、痙攣発作をきたし、呼吸停止、心停止と病状は進行し11月16日午後1時10分蘇生処置も叶わず患児は死亡する。(乙第1〜6号証)(甲第7号証)

どうも入院したのはB病院と新宮市民病は別のようです。新宮市民病院受診時刻は午後7時20分、診療は当直時間帯の対応となります。当直医が何科の医師だったのかは、高裁判決文を読んでもはっきりしません。ただ入院後の脱水補正のための輸液指示が、小児科医の感覚としてややユックリと感じられますので、小児科医以外の内科系医師であった可能性は高いと考えます。ただ全責任は当直医の肩にのしかかる事になります。

当直医は経過と診察所見から、脱水症状によるものとまず判断します。点滴による輸液は15日の午後9時から開始され、翌16日の午後10時まで1時間当たり100mlのペースで計1100ml行なわれたなっています。そして症状が急変します。駆けつけた小児科医により、

  1. 呼吸困難、チアノーゼ、頻脈、上眼瞼浮腫(2+)
  2. 足背動脈拍動はっきりせず、右上腕にて血圧測定不可能
  3. 心エコー検査にて「滲出液(+)、左室の拡大(+)、壁運動↓、EF15%心筋炎」と診断
ICUに担ぎ込まれますが16日午後1時10分死亡となっています。

後段の鑑定結果に導くためか心不全徴候ばかりを妙にピックアップした鑑定書の経過ですが、素直に読めば3週間にもわたっての感冒様症状が続いた後の脱水症状で当直時間帯に緊急入院をし、当直医がとりあえず朝まで脱水補正をやっておこうと考えていたら、朝になって急変し、検査してみれば開けてビックリ心筋炎だったと感じます。

死亡原因が急性の劇症型の心筋炎である事は明瞭ですから、この経過の中のどこかで心筋炎の可能性を疑い検査をする機会があったか、またこの様な経過の心筋炎に有効な治療があったかが問題になります。

鑑定書は心筋炎の発症時期について述べています。

ウイルス性心筋炎発症の発症メカニズムに基づき本件患児の発症時期について鑑定する。

C医院での受診歴より患児の前駆症状は10月末より感冒を繰り返していた時期に始まっていたと推測される。ウイルス性心筋炎の主原因となるエンテロウイルス(コクサッキーA群、B群、エコー等の感冒ウイルス)の潜伏期間は通常3−10日間である。

11月10日から連続した熱発がみられておりウイルス感染のピークがここにある。潜伏期間日数の幅を考慮しても潜伏期間の後半は11月5日以後にあたる。この頃よりウイルス血症が存在し、ウイルスの心筋への直接浸潤は開始された。その後5日間経過した11月10日を過ぎる時期より第2相のリンパ球による心筋細胞破壊の病態に移行している。

11月13日までは心拍出量の低下は代償性機構によりカバーされており心症状はみられない。11月14日頃より代償不全に陥り眼瞼浮腫、易疲労感などの心不全症状が顕在化している。心筋障害にて心拍出量が低下し腎への血流供給が不十分となると尿量は低下し、全身性浮腫に先立って血管抵抗の減弱しやすい顔面や、四肢末端に浮腫は出現する。

本件患児に心不全症状が顕在化するのはこの日である。

ウイルス学的にはウイルス血症によって心筋障害が始まる時期、すなわち11月5日頃と発症時期はされるが、臨床医学的に診断される本件患児の急性ウイルス性心筋炎の発症時期は心症状である眼瞼浮腫が出現した11月14日とするのが適当である。

この前段のウイルス性心筋炎のメカニズムについては省略しています。実はこの眼瞼浮腫が診断の根拠として大きな存在となるのですが、発症時期の考察として、そういう考え方も後から出来ない事もない程度のものとだけ言っておきます。続いて訴訟の鍵である「入院時心筋炎、心不全の初期診断が可能であったか」について述べられています。

心筋炎の診断は心不全の存在を病状より疑い、心拍出量の低下を種々の検査で把握することによりなされる。11月15日、新宮市民病院小児科に本件患児が受診した時、前日から続く眼瞼浮腫が存在していた。加えて解熱しているにも拘らず咳は続き全身の倦怠感と嘔吐、腹痛の増強があった。当日B病院小児科にて500mlの点滴を受けた後も症状の軽減はみていない。本件患児の場合「浮腫」の存在が鑑別診断のポイントである。 
浮腫を有する患者を前にしたときそれが腎性浮腫か、心臓性浮腫かの鑑別が緊急性を要するものとなる。(文献5)なぜならそれらの病変は全身の循環器障害を意味し病状の急変の危険性と、予後不良の疾患が存在する可能性が高いためである。腎性浮腫と心臓性浮腫の両者が否定されれば全身疾患とは関係のうすい局所的病変(虫刺され、接触性皮膚炎等)の可能性が高く、検査と治療計画は時間的余裕をもって立てられ、急を要することはない。

つまり急性腎炎の様な腎機能の異常はないか、心臓病による心機能の低下はないかの判断が必要とされる。腎機能の評価として日常診療の場面では通常尿検査が行われ、検尿により蛋白尿、血尿の有無、利尿の確認が行わる。(文献6)11月15日、B病院小児科での担当医師は腎炎を疑い検査している。

新宮市民病院小児科でもこの日2回目の検尿がなされ結果は正常であった。外来カルテに「眼瞼の腫れは腎によるものではなさそうである。」との記載があり「腎機能は正常」との臨床診断がされている。一方心機能の評価については胸部レントゲン検査、心電図検査、心エコー検査が日常的に用いられている。慢性心不全ではレントゲン上の心陰影の拡大(心臓肥大)がよくみられるが、急性心不全の病初期には存在しないケースも多い。

心陰影の拡大には一定の期間が必要である。一方肺うっ血の所見は病初期から存在し診断価値がある。急性心筋炎の心電図変化は特徴ある変化を病初期よりきたす。具体的には「ST−T変化」は86%の症例にみられ、「T波の逆転」が93%の症例にみられ、心電図検査の診断的価値は高い。心エコー検査では急性心筋炎のポンプ不全において全例EF(駆出率)の著明な低下を来たし、左心室壁の肥厚所見も多く見られる。(文献4)心エコー検査は心拍出量を簡単に、安全に測定し評価できる方法であり現在では日常検査として広く普及している。

また心エコーでは同時に心臓の動きを直接画面上観察でき、心拍出量の源である左室壁の運動状態をみることで心拍出量低下の評価は容易である。(乙第2号証)

前述したように患児が受診した11月15日は心拍出量低下にたいする代償不全に陥った時期であり心不全症状の進行過程にある。11月15日午後新宮市民病院小児科受診時点で、担当医によって胸部レントゲン検査、心電図検査、心エコー検査が実施されたならその検査により心拍出量低下の結果が得られ、本件患児にあった眼瞼浮腫は心臓性浮腫であり全身の倦怠感と嘔吐、腹痛の症状は急性心筋炎による心不全によるものとの診断は可能であったと思われる。

鑑定書の主張のポイントをまとめます。

  1. 浮腫を認めたときは腎性浮腫か心臓性浮腫の鑑別診断を必ず行なわなければならない。
  2. このケースでは尿所見で腎性浮腫の可能性が否定的であるから心臓性浮腫を疑うべきである。
  3. 心臓性浮腫の検査では心エコー検査が有用であり、現在では日常検査となっている。
もう少し短くすると
    「浮腫があり尿所見が正常であるならば、すべて心エコー検査をするのが当然である」
だから外来受診時に心筋炎の診断が下せたはずだの鑑定と解釈します。

続いて入院時以降の心筋炎の診断治療チャンスについて鑑定は続きます。項目は『「脱水」という初期診断を修正すべき機会はいつか』と題されています。

以下初期診断の修正可能時期について述べる。

本件患児は「気管支炎、脱水症」の初期診断にて入院し11月15日午後9時から点滴が開始された。使用された薬品はソリタT1号500mlでその点 滴速度は100ml/時で5時間、80ml/時で6時間、60ml/時で2時間実施された。この輸液は維持輸液治療とは異なり脱水症治療の中でも急速に循環不全を解消する目的で行う初期輸液療法である。

通常輸液開始2時間後に排尿の有無を確認し、排尿があればソリタT3号(カリウムを含む維持輸液液)に変更し速度を維持量に下げる。本件患児に輸液開始後利尿が見られたのは11月16日午前6時に100mlであった。(乙第5号証P17)輸液を受けていた患児の症状は1項①に述べたように四肢冷感、腹痛嘔吐、冷汗の心不全兆候がみられていた。

輸液を開始して2時間以上が経過し、期待される排尿がなく腹痛が増強し多呼吸(呼吸数36/分)が出現した午後11時から12時の頃が初期診断の「脱水症」を修正すべき時期であった。

5歳の女児に強い脱水症状があった時、輸液から2時間で排尿が見られないことは珍しくもありません。ましてやこの時の輸液速度は1時間にたったの100mlであり、2時間かけてもわずか200mlです。200mlで排尿が見られないからと言って脱水で無いと判断するのは時期尚早と考えます。腹痛とやや多呼吸があったとしても、いきなり心筋炎に結びつける事は通常ありえないかと考えます。私なら「もう少し経過を見よう」と判断します。

その辺は結果が見えた水掛け論なので次に進みます。午後11時に鑑定書の主張どおりに脱水の診断から心筋炎の可能性を考え、心エコーを行い心筋炎の診断が行なわれた時にどのようなことをすれば救命できたかに鑑定書は進みます。

心筋炎の特別な治療法はなく、急性心不全に対する対処的療法となる。心筋の保護と、心拍出量を確保することにより心筋の回復に必要な時間を確保する事が治療の中心になる。

  1. 酸素投与により心筋保護をはかる。
  2. 利尿剤、血管拡張剤投与による心臓負担の軽減をはかる。
  3. 強心剤(ドブタミン、ドパミン等)使用による心拍出量増加と腎血管拡張作用による利尿効果にて心臓負担の軽減をはかる。
  4. 機械的補助法 大動脈内バルーンポンプ(IABP)、経皮的心肺補助(PCPS)


      自己の心機能が回復するまでの一時的な循環機能維持のため補助循環が必要とされる。特にPCPSによる補助効果は強力で心停止状態下にあっても全身の臓器に必要な血液を送ることができる。ポンプ不全型の急性心筋炎の場合特に有効である。


  5. 不整脈療法


上記の治療が厳重なモニター監視下で実行される必要があった。

このうちどこの病院であっても出来るのは1.と2.と3.です。ここまでは出来なければ嘘です。もし当直医が内科医であれば小児の投与量計算が厄介かもしれませんが、この程度までは必要とされてもしかたが無いと考えます。ただし心筋炎発症時には心筋感受性が亢進しているとされ、その点は微妙なコントロールが必要かもしれませんが、血圧をモニタリングしながであれば可能な範囲と考えます。

ただこのケースでは軽症の心筋炎ではなく劇症の心筋炎であるのは明らかです。劇症となれば治療段階は4.と5.に進む必要があります。IABPもPCPSも半端な治療、手技ではありません。IABPなら大腿動脈から、PCPSなら大腿動脈及び大腿静脈からカテーテルを通しての心臓へのアプローチが必要かと考えます。

心カテに近い手技ですから、成人の急性心筋梗塞の治療と似たようなところはありますが、相手は5歳の女児です。この新宮市民病院が小児の循環器を得意分野に持っていればともかく、成人の循環器医では少々難しい手技かと考えます。また年齢体重にあわせたIABP器機、PCPS器機が日本中の病院に常備しているとはとても思えません。

5.も同様です。ペースメーカーと言っても手術をして埋め込むものを想定していない事は明らかです。カテにて行なうものですから、IABP、PCPSと同様に、小児から成人まで24時間循環器の患者を扱うような体制を持った病院で無い限り、救命は不可能であったという事になります。そんな病院が日本にどれほどあるかと言われれば、関西なら国立循環器ぐらいしか思い浮かびません。

そして鑑定書はまとめに入ります。

小児科領域における急性心筋炎はまれな病気ではあるが、1981年には7年間の全国アンケート調査集計がなされ総患者数102名、全体死亡率17%の報告がある。診断前に急死する症例を含む疾患群であり発症メカニズムに不明な点も多かった。(文献1.)

心筋障害のウイルス学的考察が進むとともに発症メカニズムに対する理解も向上し、同時に心エコー検査機器の普及にて心ポンプ機能の定量的検査が簡便に安全に実施されるに至り疾患の解明が進んだ。病型分類と心電図的特徴は診断のレベルを高めた。治療面からは体外循環装置、補助循環装置の簡便化と普及と、始動開始までの時間短縮の技術的進歩は治療域を広げた。成人における急性心筋梗塞、慢性心不全治療の社会的必要性が循環器治療の普及とコスト低下をもたらした。

日本で初めて小児急性心筋炎の「診断手引き」が提起された1981年当時に比べ疾患への理解と診断技術、心不全の治療方法は格段に進歩した。透過フィルターを利用した血液浄化療法による血漿成分からの除水治療と補助循環療法は心不全治療の水準を一気にひきあげた。心不全診断と治療を巡る診療環境は90年代に入り臨床医にとって80年当時とは大きく変わっている。

小児科の一般臨床医が外来で診察する患者はその大多数が感冒とその合併症である。

入院設備を有する病院小児科の急性期疾患に対する役割は大多数の感冒患者の中に発生する合併症の有無を診断し治療することである。この範疇に急性ウイルス性心筋炎は位置づけられる。しかし心筋炎は病初期には診断のための特異的症状に乏しく他の項目で述べたように「何となく元気がない」といった、漠然とした症状を呈し、通常より長引く経過の中で子供が弱り、睡眠、食事、遊び等の日常生活に支障を来すケースとして小児科医は遭遇する。 

本件患児の新宮市民病院への受診は3軒目の医療機関である。通常の経過より明らかに遷延化した「感冒」の経過であった。担当医は浮腫の鑑別診断として腎臓病は想起しえても心臓病は思い付かなかった。11月15日当日の入院指示には輸液計画として排尿あれば点滴液をソリタT3号に変更する旨の指示がある。この指示は「脱水症」治療の指示として通常よく用いられる。しかし「もし排尿が得られなければどうするか?」それを判断するのは「いつの時期か?」の指示はない。

「点滴すれば次の朝には元気になるであろう、排尿がなくてもチェックは明日でよい。」との前提で初めから治療計画が立てられている。治療開始後のチェックポイントとして「初期輸液の2時間後、排尿無きときは導尿して尿産生を確認し、もし膀胱内にも尿がないか極めて少なければ循環障害を来たす別の疾患を疑う。」これが治療計画の中に含まれなければならない。脱水症に対する急速輸液療法は心腎機能が正常であることが前提とされている。

前提に問題がある事態に直面したとき、治療法を見直す鑑別診断の視点がなく、画一的な輸液治療を本件患児の病状と無関係に実行した点に心不全診断と、治療のタイミングを逸した原因があると考える。

鑑定書の途中に浮腫がきたす疾患として早急に鑑別すべき疾患として、腎性浮腫と心臓性浮腫があると指摘しています。腎炎も含めた腎疾患はたしかにありふれたものでありますが、並んであげた心臓性浮腫の原因の一つである心筋炎は7年間で102名です。これは「まれ」と言うより「きわめてまれ」としたほうが良い頻度だと考えます。7年間で102人とは年間にすれば15名弱。この調査は81年のデータのようですから、70年代の調査と考えられ、当時の小児人口はおおよそですが3000万程度はいたと考えられ、200万人に1人程度の本当に稀な疾患です。

この鑑定書は1998年9月28日に提出されたようですが、当時は愚か、現在でも、鑑定書に書かれている「治療面からは体外循環装置、補助循環装置の簡便化と普及と、始動開始までの時間短縮の技術的進歩は治療域を広げた。」が出来る病院の数は非常に限定されている事は医療関係者なら誰でも知っています。

さらに鑑定書の中に医者なら誰でもできて当然と述べられている小児の心エコーですが、小児科医でもこれに完全に習熟しているものの数は決して多くありません。私も正直なところ自信をもって検査できるとは言えません。検査自体は簡便で侵襲が少ないとは言え、これに習熟するには相当なトレーニングが必要です。医者なら誰でも胸にあてさえすれば立ちどころに心筋炎の診断がつくわけではありません。

やや悪意に傾いた解釈ですが、この鑑定書では、医者であるならば眼瞼浮腫を見つければ小児であっても直ちに尿検査を行い、それに異常が無ければ直ちに心エコーを行い心筋症の精査をするのが常識であると書かれているような気がします。そして発見すればIABPやPCPSまで、いつでも実行できるように常にスタンバイするのが当然であるとも読めます。それが出来ない病院は賠償を支払って当然だとも。

読み直してこの鑑定書がどれほど凄まじいものかよく分かりました。そしてそれを鵜呑みにする司法もです。

最後にこの訴訟で出された他の意見書の一部を抜粋しておきます。

Q4.心筋炎の診断が可能になったのはいつか?

結果論になるのでしょうが、疾患の診断は疑わなければ、いつまでも付きません。全部出揃うまで待っていれば医師、小児科医でなくても(素人でもおかしいと判るはず)診断は可能になるでしょうから、医療機関の存在そのものの価値が変わってしまいます。

「このような考えから、15日の夜初診時に、心筋炎を直接疑わなくても、何か変ということで、精査をしておけば、この時点で心筋炎も疑われるとの診断に辿りついていたと思われます。」以上から、原判決文で〔15日0時頃までに心筋炎の発症を認めることが出来ない以上、上記検査を行っていたとしても心筋炎であるとの診断が可能であったと認めることは出来ない〕となっていますが、この判決文はおかしく、「入院(15日20時45分)から翌16日の状態悪化の10時までに医師のカルテ記載がないことは患者の容態診察を行っていないことに他ならず、入院後の経過を十二分に観察して、心筋炎の発症を認めないこととは意味合いが異なると思われます。」

つまり、ベストの管理状態でも発見できなかったのなら、そのような特殊な病態と言えるでしょうが、もっと綿密な観察がなされていればもっと早期に心筋炎が疑えたのではないでしょうか?当事者にとっては辛いことでしょうが、「外来診療し、入院の判断をし、
入院させた医師はその後の変化をきちんと観察すべきであったでしょうし、その観察を任された看護師もその責任の下に正確に観察評価し、状態報告を医師にすべきであったと思います。このようなことがなされて、心筋炎の発症を認めないとなれば原判定文は正しいといえるのかもしれません。」

医療訴訟となれば、どれだけ被告である医師が四面楚歌の状態に追い込まれるか痛感させられる事例と感じます。