恐怖の説明義務違反

気にはなっていたのですが防衛医大コイル塞栓術訴訟の最高裁判決が「と」様の御協力により入手できました。今日は日曜日なのでこれに腰を入れて取り組みます。その代わりと言っては申し訳ないのですが、業務多忙につきしばらくはエントリーは不定期更新にさせて頂きます。

この事件は平成7年に起こったものであり、未破裂脳動脈瘤に対する治療を巡るものです。いつもながら専門外の分野なので、細かい点の誤解や思い違いがあればコメントにてアドバイス頂ければ幸いです。

判決文を読む限り治療の不手際については最高裁も認めていません。何を争っているかと言えば、患者が治療を選択した時の説明が不足が争点になっています。これは冒頭の主文に明示されています。

  1. 原判決のうち説明義務違反を理由とする損害賠償請求に関する部分を破棄する。
  2. 前項の部分につき,本件を東京高等裁判所に差し戻す。
  3. 上告人らのその余の上告を棄却する。
  4. 前項に関する上告費用は上告人らの負担とする。

できるだけこの判決の争点となった説明義務違反に焦点をあてながら判決文を追っかけてみます。まず事件の発端からです。

大学教授であったAは,平成7年11月10日,講義中に意識障害を起こし,B病院において一過性脳動脈虚血発作の可能性を指摘された。Aは,平成7年11月下旬ころ,B病院において頭部の造影CT検査を受けたところ,左内けい動脈分岐部付近に動脈りゅうが存在することが疑われ,本件病院の脳神経外科を紹介された。

Aは,平成7年12月7日以降,本件病院の脳神経外科を受診し,同月18日,造影3次元CT検査を受けた。同科のC医師は,同月22日,A及びその妻である上告人X (以下「上告人X 」という。)に,上記検査の画像の所見から, 左内けい動脈分岐部に動脈りゅうが存在することがほぼ確実になった。

ここまではありふれた経過です。大学の講義中に倒れ、診察検査したところ頭部造影CTで左内頚動脈分岐部に動脈瘤の可能性が疑われ、防衛医大病院でさらに精査(造影3次元CT)を行いほぼ診断が確定したというお話です。当然ですが、見つかった動脈瘤をどうするか考えなくてはなりません。そのため選択できる治療方針を病院側は説明しています。

  1. 動脈りゅうの治療をするためには脳血管撮影を行う必要があること,
  2. 現時点で治療を全く希望しないのであれば,脳血管撮影を行う必要がないこと,
  3. 脳血管撮影ではカテーテルを動脈内にはわせるので,低い確率ではあるが,脳血栓等の合併症があり得ることなどを説明した。

専門知識の乏しい分野ですが補足しておきます。まず患者である大学教授が意識障害を起こした原因は動脈瘤の影響では無さそうと言う事です。あくまでも一過性脳虚血(TIA)で動脈瘤とは基本的に関係なく、動脈瘤が発見されたのは、一連の検査のうちでたまたま発見されたということです。判決文でもTIA動脈瘤の関連に全く触れていません。動脈瘤は無症状のものであったとはっきり書いています。

これに対する患者である大学教授の返答は、

脳血管撮影を受けることを希望した

無症状であるとは言え動脈瘤が頭の中にあるのは気持ち悪いと思ったのでしょう。私もそうするような気がします。検査の結果、

左内けい動脈分岐部に上向きに動脈りゅう(同年2月28日の測定によると最大径が約7.9㎜であった。)が存在することが確認された。

検査結果を受けて病院側は患者である大学教授に次の治療の選択を説明しています。

  1. 脳動脈りゅうは,放置しておいても6割は破裂しないので,治療をしなくても生活を続けることはできるが,4割は今後20年の間に破裂するおそれがあること
  2. 治療するとすれば,開頭手術とコイルそく栓術の2通りの方法があること
  3. 開頭手術では95%が完治するが,5%は後遺症の残る可能性があること
  4. コイルそく栓術では,後になってコイルが患部から出てきて脳こうそくを起こす可能性があること

さらにこれに加えて

治療を受けずに保存的に経過を見ること,開頭手術による治療を受けること,コイルそく栓術による治療を受けることのいずれを選ぶかは,患者本人次第であり,治療を受けるとしても今すぐでなくて何年か後でもよい旨を告げた

この辺から判決につながる微妙な綾が説明に出てくるのですが、積極的な治療法として挙げられたのは、コイル塞栓術と開頭手術です。現在の基準では動脈瘤の治療として優先度は変わっているそうですが、当時はこの症例のような場合では、とくに優先度は変わらないとなっていたようです。高裁段階では問題なしととなっています。

ところが最高裁になると

コイル塞栓術については、当時まだ新しい治療手段であったとの鑑定人Fの指摘がある。

とされ、後段の判決にもつなげる意味もあってか、コイル塞栓術を珍奇な治療として認識しているニュアンスが窺えます。つまり最高裁の認識として「どうもコイル塞栓術は危険な治療だ」との認識に沿って判決が導かれてるように感じられます。平成7年段階でのこの症例のようなケースで、二つの治療の優先度について専門家の見解を知りたいところです。

実はここから防衛医大脳外科チームの治療の選択のフラツキが出てきます。フラツキと言っては失礼なんですが、二つの治療法の選択を巡る議論が患者への説明として影響してきます。

まず患者である大学教授Aは開頭手術を選択します。

Aが同年2月23日C医師に開頭手術を希望する旨を伝えたことから,同月29日に本件病院でAの動脈りゅうについて開頭手術が実施されることとなった。

ところが術前カンファレンスで議論が起こります。

本件病院に勤務していたD教授は,Aの動脈りゅうについては,開頭手術が相当であると考え,C医師に同手術の実施を指示していたが,平成8年2月27日の手術前のカンファレンスにおいて,脳血管撮影の所見をよく検討した結果,内けい動脈そのものが立ち上がっており,動脈りゅう体部が脳の中に埋没するように存在しているため,恐らく動脈りゅう体部の背部は確認できないので,貫通動脈や前脈絡叢動脈をクリップにより閉そくしてしまう可能性があり,開頭手術はかなり困難であるとして,破裂例であれば開頭手術が第1選択でもよいかもしれないが,未破裂例なのでまずコイルそく栓術を試してみてもよいのではないか,コイルそく栓術がうまくいかないときは再度本人及び家族と話をして,術後の神経学的機能障害について十分納得を得られるのであれば開頭手術を行ってもよいかもしれないと提案した。

これを受けて,本件病院の放射線科のE医師が,Aの動脈りゅうの口径はかなり広いけれども,動脈りゅう体部にある程度丸い形があるので,挿入するコイルが落ち込むことはないと思われる,同月28日に動脈りゅう造影を行い,コイルの挿入が可能であると判断できればコイルそく栓術を実施する旨の発言をしたことから,手術前のカンファレンスの結論として,Aの動脈りゅうについては,まずコイルそく栓術を試し,うまくいかないときは開頭手術を実施するという方針が決まった。

カンファレンスの議論焦点は、開頭手術の難しさの指摘であると解釈できます。動脈瘤の位置を詳細に分析すると「どうもクリッピングは容易ではない」との可能性が高いと結論したようです。むしろコイル塞栓術の方がこの様なケースでは妥当であるとして、治療法の変更が望ましいとの方針に変更されています。

このカンファレンスの結果を受けて患者である大学教授Aおよび家族であろう上告人Xに説明が行なわれます。

A及び上告人X に,Aの動脈りゅうが開頭手術をするのが困難な場所に位置しており開頭手術は危険なので,コイルそく栓術を試してみようとの話がカンファレンスであったことを告げ,開頭しないで済むという大きな利点があるとして,コイルそく栓術を勧めた。E医師は,これまでコイルそく栓術を十数例実施しているが,すべて成功していると説明した。

Aが,「以前,後になってコイルが出てきて脳こうそくを起こすおそれがあると話しておられたが,いかがなのでしょうか。」と質問したところ,E医師は,うまくいかないときは無理をせず,直ちにコイルを回収してまた新たに方法を考える旨を答えた。同日のC医師らの説明は,30〜40分程度であった。

C医師らは,この時までに,Aらに,コイルそく栓術には術中を含め脳こうそく等の合併症の危険があり,合併症により死に至る頻度が2〜3%とされていることについての説明も行った上で,同日夕方には,Aらから,同月28日にコイルそく栓術を実施することの承諾を得た。

どう読んでも普通の説明ですし、合併症の危険性も含めてとくに問題があるとは感じられません。説明時間が30〜40分となっていますが、動脈瘤の治療の概要はカンファレンス前に行なわれた治療選択の説明でも十分に行われていると考えますから、重複する部分を考えれば十分な時間である様に思えます。

しかし悲劇は治療で起こります。

平成8年2月28日,動脈りゅう造影が行われ,Aにはコイルそく栓術の実施が可能であると判断されたことから,E医師は,午前11時50分ころ,カテーテルによりコイルの動脈りゅう内への挿入を開始した。

しかし,正午ころには,動脈りゅう内に挿入したコイルの一部が,りゅう外に逸脱してりゅうをそく栓することができず,内けい動脈内に移動して中大脳動脈及び前大脳動脈をそく栓する危険が生じたことから,E医師は,コイルそく栓術を中止し,コイルの回収作業をすることとし,リトリーバー(コイルを回収するための器具)を用いるなどして,午後3時10分ころまで,コイルの回収を試みたものの,動脈りゅう内のコイルに結び目が形成されたために,コイルの回収はできなかった。

そこで,脳神経外科のC医師らは,午後4時5分ころから,全身麻酔を行った上で開頭手術を実施し,動脈りゅう内に在ったコイルについては,午後9時25分ころ除去することができたものの,内けい動脈内に移動したコイルの一部については,内けい動脈を切り裂くおそれがあったため,除去することができなかった。

Aは,上記開頭手術終了後も,意識が回復することはなく,動脈りゅう内から逸脱したコイルによって生じた左中大脳動脈の血流障害に起因する脳こうそくにより,平成8年3月1日には脳死状態となり,同月13日死亡した。

簡潔に書けばコイル塞栓術は成功せず患者は死亡したということです。冒頭にも書きましたが、この治療手技自体に過失があったとは認めていません。悲劇ではありますが、不幸な事故であり、現場の医師たちもその場で出来ることを尽くしたと最高裁も認定しています。

問題は説明が悪かったとなっています。判決文中の病院側の患者側への説明は必要にして十分と私は感じましたが、最高裁判決ではこう書かれています。

原審の上記判断のうち説明義務違反を理由とする損害賠償請求に関する部分は是認することができない

どうも判決文に書かれていた病院側の説明は説明義務違反となるほど不足していたと断定しています。なんと言っても最高裁判決ですし、今後に同じ過ちを犯せば確実に違反とされますから、判決文を読んでも不足部分に気がつかなかった愚かな医者は、衿を正してその違反部分を理解し、今後の医療に生かさなければなりません。

まず医療で手術を行なう時の最高裁規定が語られています。

医師は,患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があり,また,医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には,患者がそのいずれを選択するかにつき熟慮の上判断することができるような仕方で,それぞれの療法(術式)の違いや利害得失を分かりやすく説明することが求められると解される。(最高裁平成10年(オ)第576号同13年11月27日第三小法廷判決・民集55巻6号1154頁参照)。

申し訳ありません。この最高裁規定を読ませていただいても防衛医大の説明のどこに不備があったかまだ理解できません。判決では丁寧に上記の最高裁規定のこの事件への適用の仕方が書かれています。

医師が患者に予防的な療法(術式)を実施するに当たって,医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には,その中のある療法(術式)を受けるという選択肢と共に,いずれの療法(術式)も受けずに保存的に経過を見るという選択肢も存在し,そのいずれを選択するかは,患者自身の生き方や生活の質にもかかわるものでもあるし,また,上記選択をするための時間的な余裕もあるこ
とから,患者がいずれの選択肢を選択するかにつき熟慮の上判断することができるように,医師は各療法(術式)の違いや経過観察も含めた各選択肢の利害得失について分かりやすく説明することが求められるものというべきである。

私はこの文章でやっと何を説明義務違反にするつもりかわかりましたが、皆様はいかがでしょうか。答えを言ってしまったらおもしろくないので、判決文を追っていきましょう。

Aの動脈りゅうの治療は,予防的な療法(術式)であったところ,医療水準として確立していた療法(術式)としては,当時,開頭手術とコイルそく栓術という2通りの療法(術式)が存在していたというのであり,コイルそく栓術については,当時まだ新しい治療手段であったとの鑑定人Fの指摘がある。

ここでは無症状の動脈瘤に対する予防的手術として、開頭手術とコイル塞栓術があった事を認めています。最高裁規定の選択できる治療法はきちんと患者に提示した事が書かれています。

本件病院の担当医師らは,開頭手術では,治療中に神経等を損傷する可能性があるが,治療中に動脈りゅうが破裂した場合にはコイルそく栓術の場合よりも対処がしやすいのに対して,コイルそく栓術では,身体に加わる侵襲が少なく,開頭手術のように治療中に神経等を損傷する可能性も少ないが,動脈のそく栓が生じて脳こうそくを発生させる場合があるほか,動脈りゅうが破裂した場合には救命が困難であるという問題もあり,このような場合にはいずれにせよ開頭手術が必要になるという知見を有していたことがうかがわれ,また,そのような知見は,開頭手術やコイルそく栓術を実施していた本件病院の担当医師らが当然に有すべき知見であったというべきであるから,同医師らは,Aに対して,少なくとも上記各知見について分かりやすく説明する義務があったというべきである。

Aが平成8年2月23日に開頭手術を選択した後の同月27日の手術前のカンファレンスにおいて,内けい動脈そのものが立ち上がっており,動脈りゅう体部が脳の中に埋没するように存在しているため,恐らく動脈りゅう体部の背部は確認できないので,貫通動脈や前脈絡叢動脈をクリップにより閉そくしてしまう可能性があり,開頭手術はかなり困難であることが新たに判明したというのであるから,本件病院の担当医師らは,Aがこの点をも踏まえて開頭手術の危険性とコイルそく栓術の危険性を比較検討できるように,Aに対して,上記のとおりカンファレンスで判明した開頭手術に伴う問題点について具体的に説明する義務があったというべきである。

煩雑で読みにくいのですが、まずコイル塞栓術でもトラブルがあれば開頭手術が必要である事を述べています。そういう事もあるので、コイル塞栓術が開頭手術より必ずしも侵襲が少ないとの説明は適切でないと述べていると考えます。だからもっとコイル塞栓術の危険性を強調した説明をするべきであったと判決に書かれていると解釈します。

また術前カンファレンスで、動脈瘤の位置が開頭手術ではリスクの高いところにあると推定されています。だからコイル塞栓術に治療を変更しているのですが、コイル塞栓術でトラブルが起こったときの対処法である開頭手術もまた同時にリスクが高まった事の説明が不足していると指摘しています。

でどうするのが最高裁の判断として適切であったかが次に書かれています。

本件病院の担当医師らは,Aに対し,上記の説明をした上で,開頭手術とコイルそく栓術のいずれを選択するのか,いずれの手術も受けずに保存的に経過を見ることとするのかを熟慮する機会を改めて与える必要があったというべきである。

しかるに,原審は,上記の各点について確定することなく,前記2(4)及び(6)の説明内容のような説明をしただけで,開頭手術が予定されていた日の前々日のカンファレンスの結果に基づき,カンファレンスの翌日にコイルそく栓術を実施した本件病院の担当医師らに説明義務違反がないと判断したものであり,この判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。

患者の治療の選択は動脈瘤が発見された段階からまとめると、

  1. 積極的予防治療を行なうための脳血管造影を行なうか行なわないか。
  2. 積極的予防治療として開頭手術かコイル塞栓術のどちらを選ぶか。
この2つの段階で積極的予防治療を患者は選択し、一貫して積極的予防治療を行なう意志を明確にしています。脳血管造影、開頭手術、コイル塞栓術の個々の治療のやり方や合併症などの危険性の説明は行なわれています。

ところが術前カンファレンスで開頭手術は治療として適切でないと判断されました。患者が積極的な予防治療を望んでいるのはこれまでの経過で明らかですから、医師は残された治療法であるコイル塞栓術を患者に勧めています。もちろん開頭手術がどういう理由で難しくなったのかを含めて説明した上でです。その結果、患者はコイル塞栓術による治療を選択したわけです。

ところが最高裁判決では説明が足りない部分として、

  1. 開頭手術が難しくなった事により、コイル塞栓術でトラブルが発生したときの危険性も高くなっている事の説明が足りていない。
  2. 患者が選択していた開頭手術が難しくなった時点で、当初の治療選択である無治療にて経過観察を行うと言う選択を提示していない。
どうやらこの2点が説明義務違反であるようです。

あくまでもこれは私の感想ですが、最高裁は「コイル塞栓術を中止する説明をする努力を怠った」と読めてしかたがありません。結果として動脈瘤に対するコイル塞栓術が成功しなかった事が患者の死因ですから、どこかでコイル塞栓術を中止する段階が無かったかを探し出して説明義務違反を構成しているように見えてしまいます。

皆様のご感想をお待ちしています。