訴訟再検証の意味は

今日は検証作業はお休みです。あれは相当パワーと時間を必要とするもので、モチベーションが低いと到底出来るものではありません。それにしても最近の「医療過誤」がらみの報道はほとんど医療内容を書かなくなったように感じます。桑名の事件も岡山の事件も医療内容としては書いていないに等しく、あんなわずかな手がかりから全体を推測するのはまったく骨が折れます。それと分析するのが小児科医であるのもネックなのは白状しておきます。

あれだけ個人的には苦労してやっている検証作業が少しは役に立っているかどうかは気になっています。マスターベーションだという批判は常について回ります。ネットのブログでゴチャゴチャ言っていないで直接行動せよの意見も散見します。正論でしょうが、直接行動とは具体的にどうする事でしょうか。医療を変えるのに最も直接的な影響力を持つのは政治です。だとすれば個々の政治家に面談して要求を伝える事でしょうか。

政治家に直接要求を伝えるのも一法です。ただし政治家も基本的に打算で動きます。医療問題を取り上げる事によって政治家としての名前が上がるか、選挙のときに有利になるか、直接的な利権になるかのどれかがないと動きは鈍そうな気がします。少なくとも利権は無く、選挙にも役に立たず、労多くして功少ない事柄に積極的に肩入れしてくれるかどうかは疑問です。

医療はとくに前首相時代から著明になりましたが、医療費は削減するものであるとの国民的合意が出来上がっています。別に医療問題に直接関係無い財政の話でも、枕詞のように「医療費を削減し・・・」が常識のように跋扈する世界です。医療費を抑制し削減した結果がどうなるかは、医療危機のことを真剣に考えた医者ならほぼ同じ答えを導き出しています。私も同じです。

現場の医療関係者は同じ結論を出すのですが、患者サイドの理解はどんなに医療費を削っても「最低限今までと同様の医療、当然のようにもっと高度な医療を受けれる」と無邪気に信じています。だからこそ「医療費削減の大義」を盲信する一方で、医者のどんな小さな瑕疵も許してはならないの意見合意もできているように感じます。

ここでいう瑕疵とは医学的に瑕疵である必要は必ずしも無く、自分が受けた印象で瑕疵であれば十分なのです。そんな瑕疵ならたとえ司法の場に引っ張り出されてもno problemのはずなんですが、医療訴訟の現実は印象で受けた瑕疵が公式に認定される現象が頻発します。もちろん常に患者側が勝訴するわけではありませんし、比率からすれば医療側が勝訴するケースのほうが大部分だそうですが、それを知っているのは医療訴訟に詳しいごく一部の者だけです。

医師も含めて大部分のものは、華々しく報道される患者勝訴の報道しか知りません。またいかにも医師に責任があって当然の印象の、起訴ニュースしか知りません。起訴ニュースなので審理も判決もこれからのはずなんですが、医療側勝訴のニュースなんて間違っても報道されませんから、「きっと医療側が負けるだろう」と信じ込む事になります。だって目にするのは医療側敗訴の報道しかありませんから。

マスコミの医療側敗訴のニュースしか報道しない姿勢は、起訴ニュースでさえ医療側敗訴の印象を強く与える事になります。巧妙な情報操作だと思います。敗訴ニュースも起訴ニュースもすべて医者が悪いと言う印象が出来上がると、次は訴訟に出てくるのは氷山の一角であると考えます。ニュースになるのが氷山の一角であるならきっとたくさんの医者が不正をしていると考えるようになります。

疑心暗鬼を持ち始めると、医者への信頼度は下がります。医療なんて不確実性の溢れた科学ですし、どんな名医であっても最終的にはやってみないと分からない世界です。大きなリスクを背負って医師は診療に従事するのですが、その一挙手一投足にすべて疑心暗鬼の姿勢で臨まれては医療は成立しません。信用と信頼の低下した人間関係ではまともな医療は提供できないからです。

それでも医者性悪説は勢いを増し留まるところを知りません。最近のトンデモ訴訟のニュースを見ていると、病院で死ぬ事がもう注意義務違反の宝庫のような印象があります。死んだからにはどこかに過誤があるはずだの論理であり、どう考えても屁理屈というか言いがかりに近いものでも、医療側敗訴になる事が加速度的に増えていると感じます。医学の難しさ、判断の微妙さなんて、法廷に行けば一刀両断なんでも予知可能で、治療可能な物に変わります。現場の医師が能力を振り絞っての判断が、素人の裁判官でも分かる能力不足と断ぜられます。

そんな状況を簡単には一変出来ません。流れを変える方法さえ思い浮かびません。しがない町医者に出来るのは、トンデモ裁判が本当にトンデモなのか、医学的背景はどうだろうかを論じる事が精一杯です。でもそれも重要な作業だと考えています。非医療者だけではなく、医療関係者でさえトンデモ判決を鵜呑みするものは少なくありません。「ちょっと待てよ」の考えを心に抱かない限り、「医療過誤報道」は心の中にすんなり入り込む巧妙さがあります。

報道のあんな乏しい情報の中から事件全容を推測するのは医師でなければ出来ません。報道があっても医師側が検証反論しなければ、ますますそれは事実だと信じ込まされます。だから出来るだけ頑張って「これはおかしい」の声を上げる必要があります。恐ろしく地味な作業ですが、安易な妥協的な判決を下すたびにネットであっても医者が「おかしい」と反応する事は無意味だと思いません。

まず医師に知ってもらう事、一般の方々にも「この判決チョット変やない」と感じてもらう事、司法の決定者である裁判官にも判決内容が嘲笑の種になっている事を知ってもらう事です。そんな事がこんな片隅のブログで出来るかといわれれば、影響力は極めて乏しいですが、一個人で出来る精一杯の事ではないかと考えています。