焼野原後を考える 〜その3〜

ちっとも焼野原後を考えていないので看板に偽りありなのですが、書き始めたら思った通りに筆が進まないのでご勘弁を。昨日は「東京」と書いたらえらい反応で、改めて東京を別格聖地と考えている方々が多い事に驚かされました。こんな事なら昨日無理してもう少し先まで書いておけば良かったと反省しています。昨日の話の分だけでは壮大な構想の話のようですが、続きは昨日コメント欄にも書いておいた通り貧相な話です。

医療の問題のうち患者と医師の距離の問題は、すぐにはどうにも手のつけようがありません。これは社会全体の意識変化の問題になり、この問題を追っかけると教育論や道徳論に行き着き、さらにそこでは時計の針を逆に回すような精神論に陥りそうだからです。これはこれでそのうち話題にするかもしれませんが、当分は手のつけたくない話題です。

まだ手のつけられる可能性のある話は、医療制度、医療の枠組みの話になります。ただこれも個人の努力の範疇のものでもありません。医療の枠組みを決めるのは国だからです。国の医療に対する姿勢が変わってくれないと医療も変わらないことになります。国の決定に大きな影響力を持つのは言うまでも無く政治です。戦後の日本の政治は短期間を除いて、自民党が担っています。自民党政治の功罪は政権担当期間が驚くほど長いので簡単には論評しきれませんが、現在の医療に関してのみ言えば、もう長い間、逆風、寒風を送り続け、今もそれが続き、さらに当分は変わりそうにありません。

自民党政治の特徴は派閥政治でした。派閥の短所はもう散々語られていますが、長所として長期政権を続ける中で、擬似野党の役割を担ってきたと考えています。どんなに人気の高い政権でもやがて飽きられます。飽きられれば他の民主国家であるならば野党が政権を握ります。ところが日本では自民党以外に政権を握れる政党が育たず、その代わり与党内の政権担当派閥が変わることにより擬似政権交代を演出していたと思います。擬似野党である反主流派派閥は政権派閥に対し批判的な立場を示し、そこに政権派閥に反対するものの支持を集めていたと考えています。

ところが自民党自体の活力の衰えか、小選挙区制度の影響かは言い切れませんが、自民党内部の派閥の力が衰え、かつてに較べると別の党かと思うほど一枚岩の政党に性格を変えています。とくに前総理政権担当中にこの傾向が著明となっています。こうなる事が良いのか悪いのかの評価は別として、一枚岩的性格が強まれば、現在の政権の政策に不満を持つものの声がかつてより反映されにくくなっています。現政権の政策が完全無欠であるのなら問題はないのですが、そんな事はどんな大政治家でも不可能です。

かつての自民党は現政権への不満の声を巧妙に吸い上げていたと思います。吸い上げすぎて政策の方向性が不透明になる批判もありましたが、ある程度の数の不満を巧みに和らげていたと考えています。ところがそういう緩衝機構が衰えてきていると感じます。緩衝機構が衰えることにより首相の指導力が増したとの見方もありますので、一概に批判は出来ないかもしれませんが、政策の歪に苦しむ人間の声は届きにくくなっていると思っています。

医療に関して言えば取られてきた政策の結果が医療者には良く見え、肌身で感じています。評価される政策もあったかもしれませんが、全体の結果として医療崩壊が切実に語られるほどの結果をもたらしています。この歪の大きさは医師を初めとする医療関係者の努力で吸収できる範囲を越えてきていると考えています。越えてきたからこそ今年になり目に見える形で出てきたと考えています。

だから「なんとかしてくれ」の声は医療関係者からあがっています。あがってはいますが届るところがありません。自民党にはそういう声を拾い上げる柔軟性が相当失われていると考えています。自民党の医療への考えは誰が見ても明らかなように、財政再建の障害になる金食い虫、穀潰しの位置づけです。そのため帳面上の医療費への支出を減らす政策はすべて正義であるとしています。

一枚岩的性格の政権がそういう姿勢で臨まれたら医療は苦しくなります。苦しさも臨界点を越えれば耐える人間の意識は変わります。医師は高邁な使命感を養われていますし、基本的に世間知らずの専門馬鹿です。そんな医師でも意識が変わるほどの苦しさと表現すれば良いのでしょうか。この意識変化は医師の間で静かに広がっています。

どんな変化かと言えば、医師と言えども労働者であり、小市民に過ぎないと言うものです。医師だから特別の負担を課せられるのは仕方が無い、それがむしろ誇りであるとの意識の低下です。医師であるからの誇りは今まで異常に高すぎたと意見もあり、もう少し人間的な待遇に変わるのはむしろ歓迎すべき事なんですが、落ち方がまだ一部とは言え異常に激しすぎると考えています。

こういう意識変化はまだそんなに著明になっていません。医師のコミュニケーションは案外狭い範囲であり、ネットと言うツールが普及しても、中堅層以上、ベテランの域に達している医師の多くはまだまだ影響は多くないと思っています。問題は若手から中堅に差し掛かる次代を担う層です。そんなに知っているわけではありませんが、ここへの情報浸透は私の想像以上のような気がします。

これからの医療を考える時、次代を担う医師の意識変化に応じた対策が必要と考えています。現在の医療政策を堅持されたのではどうなるかを考えるだけでゾッとします。何か変化が必要です。政治に変化が必要です。一枚岩になった自民党に期待できないとなれば、別の勢力が台頭し、取って代わる、もしくは強い牽制能力を持ってもらう必要があります。

そうなれば話は一遍に俗になるのですが、来夏の参議院選挙に期待せざるを得ません。参議院選挙ですから、政権交代には直結しませんが、ここで与党勢力が小さくなれば変化が期待できます。民主党にどれだけの期待が出来るかどうかはなんとも言えませんが、少なくともこのまま自民党政権が安泰であるより変化が期待出来ると考えています。

ここで医療への変化を期待するなら、来夏の参議院選挙に医療問題が争点の一つになって欲しいと願います。まだまだ医療への世間の関心度は高いとは言えません。医療者にとっても患者にとっても良い意味での改革が争点になって欲しいと思っています。来夏までの時間は長いようで短いです。短い時間で世間の注目を集めるには、注目を集める地点で、タイミング良く象徴的な出来事が起こってくれる事です。

昨日の東京崩壊の表現は非常に不評でしたので謹んで訂正させて頂きます。日本で一番注目を集める首都東京で、選挙の争点になりうる医療上の問題が、世間が医者に対して同情的に、少なくとも敵に回すような事にならずに起こせないかと言う事です。「そんなものはあるかい」と言われそうですが、可能性だけを考えたいと思います。

という事で続きはまた明日。