救急の黄昏

昨日のネットで話題になった判決です。既にかなり論議されていますが、私も触れてみます。昨日のコメント欄にも情報が寄せられていますので、そこから適宜引用させて頂きます。まず判決文は

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/5DC0E6DAEC784F5649256DD70029B153.pdf

にあります。慣れてないものにとってはとっても読みづらいのですが、頑張って読んでみます。

判決文なのでAとかBとかありますが、ある程度我慢して読んでください。事件の概要を判決文から追っていきます。

Fは,平成5年10月8日午後4時23分ころ,Jを助手席に乗せた乗用車を運転中,奈良県五條市a町b番地先路上(県道c線)で,民家のブロック塀に衝突する交通事故を起こした。乗用車は,前バンパー,ボンネット,左右前フェンダー凹損等の状態であり,前部が大破し,ハンドル等の作動実験は不能であった。現場にスリップ痕が認められないことから,通常走行する程度の速度で衝突したものと考えられ,また,Fはシートベルトを装着しておらず,乗用車にはエアバッグ装置もなかった。

事件の発生は交通事故、それも自損事故のようです。

まもなく救急隊が交通事故現場に到着したが,救急隊員の判断によると,意識状態は,3−3−9度方式で,JがⅠ−2(覚醒しているが,見当識障害あり),FがⅢ−2(刺激で覚醒せず,少し手足を動かしたり,顔をしかめる状態)であり,Jは,胸痛を訴えながらも,自力で救急車に乗車したが,Fは,救急隊員により救急車に収容され,気道を確保されて,本件病院に搬送された。

運転手であったFはシートベルトをしていなかったためか、ハンドルで胸部を強打したと考えます。同乗者のJがシートベルトをしていたかどうかは分かりませんが、運転手であったFより軽症であった様子を窺わせます。

本件病院は,院長ほか33名(定数)の医師を擁し,2次救急病院に指定されている。奈良県内には,高度救命の3次救急病院として,橿原市所在のKと奈良市所在のLがあり,本件病院から救急車で,前者は30分程度,後者は1時間以上要する距離にある。

本件病院が事故現場に近かったようで、事故時の救急車の判断として遠方の三次救急よりもこの二次救急病院を選択したと考えます。次の記述は当時の病院の能力について語られています。

本件病院は,平成5年10月当時,医師2名(外科系,内科系各1名),看護婦(現・看護師)2名等で当直業務をしていたが,時間外にも,外科医,麻酔科医,看護婦等に連絡し,30分程度の準備時間をかければ手術をすることができる態勢を整えていた。なお,同日の当直は,外科系医師が被控訴人E,内科系が小児科の医師であった。
控訴人Eは,当時,本件病院の脳神経外科部長であり,日本外科学会認定医及び日本脳神経外科学会専門医の認定を受けていた。また,M医師は,本件病院の副院長で,日本外科学会及び日本消化器外科学会の認定医であり,消化器外科を専門としていた。
なお,本件病院には,救急専門医(救急認定医と救急指導医)はいない。

事故発生が午後4時23分ですから、病院到着時は後の記述にあるように午後4時47分。事件発生時の当直は外科系が脳神経外科医、内科系が小児科医となっています。主に治療に当たったのは脳神経外科部長であり、肩書きは部長であり、外科学会認定医であり、脳神経外科専門医である事からベテランと考えられます。

この後、到着後の患者の症状と処置が書かれています。

FとJは,同日午後4時47分ころ,本件病院に搬送された。被控訴人Eが両名の診察に当たり,救急隊員からブロック塀に自動車でぶつかって受傷しているとの報告を受けた。
Jは,意識清明で,Fの正確な名前もJが答えたが,胸部痛をしきりに訴えており,胸郭の動きが異常であり,胸部損傷が窺われた。他方,Fは,不穏状態であり,意味不明の発語があり,両手足を活発に動かしており,呼びかけに対しては辛うじて名字が言えるという状態で,意識状態は3−3−9度方式で30R(痛み刺激を加えつつ呼びかけを繰り返すと辛うじて開眼する不穏状態)と判断された。
Jについては,来院時の血圧が180/90mmHgで,容体は安定しており,被控訴人Eは,まず肋骨骨折,肺挫傷,血胸等の有無の確認のため,胸部X線検査を実施したが,その検査途中に,呼吸困難を訴え,呼吸不全,循環不全,意識障害が出現した。このため,被控訴人Eは,当時手術室で他の患者の手術の麻酔管理をしていた脳神経外科のN医師に応援を依頼し,ともに救命措置を講じたが,血圧維持は困難で,措置中に現像ができた胸部X線写真で肋骨骨折,肺挫傷等の重篤な異常が認められたので,Kに転送することにし,午後6時頃,救急車にN医師と看護婦が同乗し,心肺蘇生を続けながら,Kまで搬送した。Kには午後6時30分頃到着し,直ちに蘇生術が試みられたが,外傷性心破裂のため午後6時40分頃死亡した。

FとJが混乱しそうになるのですが、Fが運転手でJが同乗者です。事故発生時から運転手であったFの方が重傷であるようで、同乗者であったJは歩いて救急車に乗ったぐらい見た目の症状は軽そうだったのは判決文には書かれています。ところが比較的軽症そうに思えた同乗者のJは、胸部痛のチェックのための胸部X線撮影中に容体が急変し、胸部X-pから肋骨骨折、肺挫傷などが認められ、午後6時ごろ三次救急病院である橿原市のK病院に搬送されたが、外傷性心破裂のため午後6時40分頃死亡となっています。

受傷時に比較的軽症と思われた同乗者Jが容体急変で死亡した後、残されたのは運転手Fとなります。運転手Fは引き続いてこの病院で検査治療が進められています。

Fについては,被控訴人Eは,まず頭部の視診,触診をして項部硬直の有無,眼位,瞳孔等の確認をし,振り子状の眼振を認めた。次に,胸部の所見をとり,頬からあごにかけて及び左鎖骨部から頸肋部にかけて打撲の跡を認めた。呼吸様式,胸部聴診に問題はなかった。腹部の聴診と視診では,明らかな腹部膨満や筋性防御の所見はなく,腸雑音の消失,亢進はなかった。また,四肢の動態に異常な点は認めなかった。
この頃のFのバイタルサインは,体温は不明,血圧は158/26mmHg周辺で推移していた。なお,Fの勤務先の定期健康診断(平成4年10月6日実施)における血圧は,108/78mmHgであった。
控訴人Eは,その後,Fが頭部を受傷しており意識障害があることから,頭部CT検査を実施することとし,M医師の応援を求めた。FはCT室に搬送され,頭部CT検査が実施されたが,CT室において,採血も行われた。頭部CT検査が終了したのは,午後5時9分であった。
控訴人Eは,頭部CT検査に引き続き,頭部,胸部,腹部の単純X線撮影を実施することにし,Fは,一般X線撮影室に搬送され,午後5時22分から28分にかけて,頭部,胸部,腹部の単純X線撮影がされた。
なお,FのX線撮影が開始される前に,Jの容体が急変したため,被控訴人Eは,Jの蘇生措置に当たっており,FのX線写真等を検討したのは,午後5時30分をかなり過ぎていた。
控訴人Eは,Fの頭部CT及び各X線写真に異常な所見がないことを確認し,また,午後5時12分に算定された抹梢血液検査結果(乙1の37頁)では貧血を認めず,全診療経過を通して血尿の所見もなかった。また,午後6時15分頃から30分頃にかけて,被控訴人Eの下に血液生化学検査の結果報告書(乙1の36頁)が届けられたが,CPKの値は197mU/ml とかなり高かった(正常値は10〜130mU/ml)。
控訴人Eは,特に緊急な措置を要する異常はないものと認め,Fを入院させたうえ,経過観察とすることが相当と判断した。また,M医師も,午後6時頃,病室でFを診察したが,腹部は触診で軟,筋性防御等の所見はなく,貧血を認めず,X線写真と総合すると,経過観察とするのが相当と判断し,被控訴人Eにその旨伝えた。
このため,被控訴人Eは,Fを経過観察にすることにし,看護婦に,病名を頭部外傷Ⅱ型,バイタルサイン4時間(最低4時間ごとに血圧等の測定や観察をするという意味)などと記した脳神経外科入院時指示表(乙1の38頁)を作成し,看護婦に交付した。Fは,午後6時30分頃,一般病室への入院措置がとられ,意識障害は継続していたが,呼吸は安定しており,点滴が開始された。被控訴人Eは,本件病院に駆けつけていた控訴人AにFの病状を説明し,同控訴人は,その説明を聞いた後,帰宅した。

受診時重傷そうに思われた運転手Fですが、CT、X線、採血検査、その他診察所見をあわせてもその時点では致命的で緊急を要する症状が無かった事を窺わせます。そのため入院経過観察の判断を当直の脳外科部長は下しています。これが午後6時30分頃のようです。しかしその30分後に容体は急変します。

ところが,同日午後7時頃,Fの容体は急変し,看護婦から血圧測定ができないとの連絡があり,被控訴人Eらにおいて,血液ガス分析のための採血を行ったが,その途中で,突然呼吸停止となり,胸骨圧迫式(体外式)心マッサージ,気管内挿管等の蘇生術を施行したが,効果がなかった。また,ポータブルX線検査を実施したが,明らかな異常を認めず,さらに,外傷性急性心タンポナーデであれば,心嚢穿刺によって劇的に状態を改善できると考え,超音波ガイドを使用せずに,左胸骨弓の剣状突起の起始部から6㎝まで穿刺する方法を試みたが,うまくいかず,心嚢で液体を得ることはできなかった。なお,被控訴人Eは,研修医の時の救急救命センターでの研修を除けば,これまで心嚢穿刺をしたことがなかった。
Fは,同日午後8時7分死亡した。被控訴人Eの死亡診断は,胸部打撲を原因とする心破裂の疑いであった。
上記認定事実を前提として,まず,Fの死因につき検討するに,G鑑定が述べるとおり,Fの死因は外傷性急性心タンポナーデによるものと認めることができる。

この経過から考えられる事は、搬送時の検査では顕在化していなかった外傷性心タンポナーゼが入院30分後に現れたと解釈するのが妥当かと考えます。また容体急変時の症状悪化はどう読んでも急転直下の症状悪化で、その悪化ぶりは蘇生術が「効果がなかった」と記載されています。ここで脳神経外科医は外傷性の心タンポナーゼの可能性を考え、「いちかばちか」のブラインドの心嚢穿刺を行なっています。しかし不幸な事にうまくいかず、午後8時7分に死亡しています。

でもってこの経過の中で当直の脳神経外科部長の何が悪かったかを判決文は指摘しています。長くて煩雑なので、主要と思われるところを抜粋してみます。その他についてはどうか原文をご参照ください。

そして,証拠(G鑑定)によると,Jにみられたように心破裂による外傷性急性心タンポナーデは,出血速度が早いため,現場即死あるいは受傷後短時間で発症するが,Fのように,受傷後2時間半頃に症状が出るのは,心破裂は極めて稀で,ほとんどの原因は心挫傷であること,心挫傷の場合は,心嚢穿刺又は心嚢を切開して貯留した血液の一部を出すことで症状を改善することができ,心臓の手術は必要ではないこと,血液を吸引除去あるいは手術的に心嚢を開放(心嚢切開又は開窓術)していれば,救命できた可能性が極めて高いこと,Fは受傷から容体が急変するまでの約2時間半は循環動態も安定していたので,この間に重度外傷患者の診療に精通する施設に搬送していれば,ほぼ確実に救命できたことが認められる。
以上からすると,被控訴人Eとしては,遅くとも経過観察措置を講じた時点で,速やかに胸部超音波検査を実施する必要があり,それをしていれば,心嚢内の出血に気づき,直ちに心嚢穿刺により血液を吸引除去し,あるいは手術的に心嚢を開放(心嚢切開又は開窓術)し,仮に本件病院で心嚢切開又は開窓術を実施できないのであれば,3次救急病院に搬送することによって,救命することができたということができ,被控訴人Eの過失・注意義務違反を認めることができる。

なにが責任かと言えば、胸部超音波検査を怠ったために心タンポナーゼを見逃した責任という事のようです。この判決文でも指摘しているように外傷後2時間30分も経過してからの心タンポナーゼは極めて稀です。極めて稀ですが、これを想定して胸部超音波検査を頻回に行っていないのは犯罪的行為と断定しています。

しかし二次救急病院でそこまでの検査が確実に行ない得るかの問題があります。心エコーは誰でも彼でも手軽に出来、簡単に心挫傷からの心タンポナーゼの徴候を見つけられるのでしょうか。超音波検査は侵襲が少ない検査ですが、一面で熟練性を要する検査であり、超音波検査が出来ると言っても、腹部エコーができる者が必ずしも心エコーも得意なわけではなく、心エコーができる者が腹部エコーもOKと言うわけではありません。

さらにある程度規模以上の病院となると、通常業務で超音波検査を扱うのは検査技師となっている事が多く、医者と言うだけで誰もが習熟している検査ではありません。また小児科医であるため断言は出来ませんが、外傷性の心挫傷の徴候なんかを熟知している者がそんなに多いと思いにくいものがあります。

その点についても判決文は言及しています。

我が国では年間約2千万人の救急患者が全国の病院を受診するのに対し,日本救急医学会によって認定された救急認定医は2千人程度(平成5年当時)にすぎず,救急認定医が全ての救急患者を診療することは現実には不可能であること,救急専門医(救急認定医と救急指導医)は,首都圏や阪神圏の大都市部,それも救命救急センターを中心とする3次救急医療施設に偏在しているのが実情であること,したがって,大都市圏以外の地方の救急医療は,救急専門医ではない外科や脳外科などの各診療科医師の手によって支えられているのが,我が国の救急医療の現実であること,本件病院が2次救急医療機関として,救急専門医ではない各診療科医師による救急医療体制をとっていたのは,全国的に共通の事情によるものであること,一般的に,脳神経外科医は,研修医の時を除けば,心嚢穿刺に熟達できる機会はほとんどなく,胸腹部の超音波検査を日常的にすることもないこと,被控訴人Eは,胸腹部の超音波検査が必要と判断した時には,放射線科あるいは内科に検査を依頼しており,自ら超音波検査の結果を読影することはなかったこと,当日,被控訴人Eとともに当直に当たっていた小児科の医師も,日常的に超音波検査をすることはなく,単独で超音波検査をすることは困難であったことが認められる。
 そうだとすると,被控訴人Eとしては,自らの知識と経験に基づき,Eにつき最善の措置を講じたということができるのであって,注意義務を脳神経外科医に一般に求められる医療水準であると考えると,被控訴人Eに過失や注意義務違反を認めることはできないことになる。G鑑定やH鑑定も,被控訴人Eの医療内容につき,2次救急医療機関として期待される当時の医療水準を満たしていた,あるいは脳神経外科の専門医にこれ以上望んでも無理であったとする。

「わかってるやん」と感心したのですが、つづく文章でひっくり返りました。

しかしながら,救急医療機関は,「救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること」などが要件とされ,その要件を満たす医療機関を救急病院等として,都道府県知事が認定することになっており(救急病院等を定める省令1条1項),また,その医師は,「救急蘇生法,呼吸循環管理,意識障害の鑑別,救急手術要否の判断,緊急検査データの評価,救急医療品の使用等についての相当の知識及び経験を有すること」が求められている(昭和62年1月14日厚生省通知)のであるから,担当医の具体的な専門科目によって注意義務の内容,程度が異なると解するのは相当ではなく,本件においては2次救急医療機関の医師として,救急医療に求められる医療水準の注意義務を負うと解すべきである。
 そうすると,2次救急医療機関における医師としては,本件においては,上記のとおり,Fに対し胸部超音波検査を実施し,心嚢内出血との診断をした上で,必要な措置を講じるべきであったということができ(自ら必要な検査や措置を講じることができない場合には,直ちにそれが可能な医師に連絡を取って援助を求める,あるいは3次救急病院に転送することが必要であった。),被控訴人Eの過失や注意義務違反を認めることができる。

これによると救急医療機関の医師には、

  • 救急医療について相当の知識及び経験を有する医師が常時診療に従事していること(救急病院等を定める省令1条1項)
  • 救急蘇生法,呼吸循環管理,意識障害の鑑別,救急手術要否の判断,緊急検査データの評価,救急医療品の使用等についての相当の知識及び経験を有すること(昭和62年1月14日厚生省通知)
これが満たされる事が必要であり、
    担当医の具体的な専門科目によって注意義務の内容,程度が異なると解するのは相当ではなく,本件においては2次救急医療機関の医師として,救急医療に求められる医療水準の注意義務を負うと解すべきである。
え〜と、え〜と、そうなれば医師は救急医療機関の当番医になった途端、通常の専門領域の医者ではなく、救急医療の専門医としての能力が求められると解釈できます。解釈できるというより、そうでなければならないと規定されています。この事件であっても、救急病院以外の病院で脳神経外科部長が担当したのであれば「これ以上望んでも無理」と判決文では語られています。救急病院であるから心タンポナーゼの見逃しは注意義務違反と明言しています。

これの意味するところは大きいと思います。上記した判決文の中に、救急認定医は平成5年当時で全国で2000人程度しかおらず、なおかつ首都圏、阪神圏の三次救急病院に偏在しているとされています。救急医が足らない現状であるから、この病院の担当医が救急専門医でない事は「全国的な事情」とある程度理解しています。それでも担当したからには救急専門医と同等の能力、責任を負うのが当然であるとしています。そうなると救急病院の担当医は救急専門医であろうが無かろうが、救急専門医と同等の能力が必須条件とされ、救急専門医が救える可能性のあるものを今回の事件のように救えなかったならば、これは犯罪的行為であるとなります。

全国の中小の救急病院がどれほどあるか手許に資料がありませんが、この事例を踏まえて救急専門医をそろえたくとも、まずそれは物理的に不可能です。また救急専門医以外の医師も、救急専門医と同等の能力が無いと断罪されるのであれば、今後どれ程の医師が従来のように救急病院に従事してくれるかは言うまでも無いと考えます。

そういう中小の救急病院がこの判決を受けて救急から撤退すればどうなるか。救急専門医をそろえている数少ない病院にすべて殺到する事になります。地方では救急を受ける病院は消滅し、都市部では殺到する患者に救急病院は機能不全になる可能性が生じます。

考えすぎでしょうか。