続々無過失補償制度を厚生労働省が検討

情報が少ないので憶測に憶測を重ねる始末になっていますが、こういうものは出来る前に懸念を表明しておくのが正道かと思い続けます。なんと言っても一旦出来上がるとどんなに不都合があってもそう簡単には変わらないのが世の常ですからね。とは言え骨格さえも厚生労働省がジャブを出している段階なので書ける範囲が少ないのですが、今日は頂いたコメントに関連して考えてみます。コメントを再掲しますと、

# 774 『問題は、補償を受けられた場合に、更なる訴訟権が放棄されるか否かですが、今のところ情報不足です。』

# Yosyan 『情報不足というよりまだそこまで制度設計が進んでいないという感じがしています。それと司法の原則からして訴訟を起す権利は厚く保障されていますから、補償を受け取ったら訴訟権が放棄されるというより、訴訟を起したら補償が受けられないという方向性のほうが有力なような気がします。』

# 774 『商法では、保険金を受け取ると、賠償請求権は保険者に移ると聞いたことがあるのですが。』

# Nijinsy 『
商法662条の代位権です。
保険者が払った保険金について、加害者(というのもこの場合なんですがほかに思いつきませんでした)に対して請求できます。当然、限度は支払った保険金分が限度になるんじゃなかったかと思います。
なので被保険者は保険金を受け取った場合でも、受け取り額の範囲で権利を失うだけで、より大きな損害には請求権が残るんじゃなかったかと。

実際は約款次第というのもあるのでしょうが、訴訟の相場と補償額の乖離が大きいようだと、この辺でも面倒の種はありそうに見えますね。』

この制度で間違い無く行う事は脳性麻痺児の補償を行う事です。これだけはまず確かです。どの範囲で、どの程度の額を、どういう財源で賄うかの問題は構想段階に留まります。補償額に関しては厚生労働省脳性麻痺児発生人数の予想と、構想財源から一人平均4000万から5000万程度である事は推測されますが、10/1のエントリーで考察したように、構想財源で構想通りの補償が可能かどうかも疑問符がつきます。

手続き上の問題とか、対象人数とそれに対する財源構想の危うさの話は今日は追究しないものとして、この制度では脳性麻痺児に一人平均5000万の補償がなされるものとして考えます。また補償するに当たり過失無過失の判定が行なわれるかどうかの問題も当然ありますが、今日の前提は脳性麻痺児であれば過失の有無に関わらずまず補償が受けられるものとして考えます。

今日の課題は脳性麻痺児が補償を受け取った後の事です。その後どうなるかと言う事です。理想的には774さまが御主張の通り更なる訴訟権がこれで放棄される事です。医療側の本音はそこに尽きます。もちろん納得される家族もおられるでしょうが、医師の過失の有無をさらに追及したい家族もまたおられるかと思います。法律には素人ですが、法曹関係者の意見を聞く限りでは、誰でも自由に訴訟を起せる権利は重要な権利であり、そう簡単に侵害できるものでは無いと言う事です。となれば補償を貰っても訴訟を起せる権利は保障されるという事になります。

ここで今日話題にしている訴訟は民事訴訟とします。刑事訴訟となればまた話が別格になりますので、そこまでは触れないことにします。補償を貰った上での訴訟となれば、既にもらった補償はどう扱われるかです。この辺は法律問題になるのでそれこそ法の専門家に聞いてみないと分からないのですが、個人的には三通りの事が考えられます。

  1. 無過失が前提の補償制度の色が濃ければ、訴訟により過失が認定されれば権利が消失し、原告は賠償として被告より補償を受け取る。また過失が認定されない時は無過失が司法でも認定された事になり改めて無過失補償を受ける。
  2. 分娩保険として性格が濃ければ、訴訟による過失認定の有無に関わらずまず補償分を受け取り、訴訟により過失認定がされた時には補償分を上回る分について被告が賠償する。
  3. 和解金の色合いが濃く出れば、補償を受ける事で和解となりさらなる訴追権は消失となる。また和解に納得せずに訴訟を起せば補償は消失し、訴訟での賠償金を受け取る事になる。この場合もし原告敗訴となれば無過失補償の給付も無くなる。
この3つの道筋が機関の性格付けとして法的にどれも矛盾無く成り立つかどうかに自信はありませんし、こういう事こそ法の専門家の意見が是非欲しいところですが、どれも理屈では可能そうなものと私は考えます。ここで患者側にとって一番望ましい制度は1.ないし2.でしょうし、医療側にとっては3.でしょう。ついでに言っておけば国は1.ないし3.ですね。

立場により制度の望ましい性格は当然変わるのですが、今回の制度で何度も強調されている趣旨は「産婦人科医不足の解消」です。産婦人科医が激減している理由は幾つかありますが、この制度では訴訟負担の軽減を狙ってのものである事は何度も繰り返し主張されています。訴訟負担の軽減とは訴訟数を抑制し減らす事です。訴訟を起す自由は誰にでも手厚く保障されているため、原告が訴訟を起す気を減らす制度と理解してよいかと思います。

原告が訴訟を起す理由はさまざまですが、脳性麻痺訴訟では障害を負った子供に「十分な補償が欲しい」と言う理由があります。親としては当然かと思います。この制度はそれに応える制度であると理解しています。もう一つの理由としては「あの医者は許せない」です。「十分な補償が欲しい」人は補償額がそれなりに充実すれば訴訟抑制の効果を期待できます。ところが「あの医者は許せない」人は少々の額では納得しません。もっと言えば何十億の補償があろうと医者が断罪されない限り納得しない人もおられます。

「十分な補償が欲しい」と「あの医者は許せない」は二分されるものではなく、混じりあった感情と思います。「あの医者は許せない」に強く傾いた人は、どんな制度設計をしても訴訟しますからこれは抑制しようがありません。せめて五分五分ぐらいの人が抑制でたら制度として成功ではないかと考えます。そう考えると1.と2.は最低限補償分は手にする事が可能で、訴訟の資金に転じると言う見方も可能ですから抑制効果はあまり期待できません。3.であればもし敗訴したら補償も賠償も無くなる可能性が生じますから、幾分でも抑制効果が期待できる気がします。

まあ出来てもいないものをこれ以上論じてもしかたがありませんが、この制度は今後、他の診療科の無過失補償制度のモデルになる事は充分に考えられる事であり、中途半端な設計で運用すれば重大な影響を医師全体に及ぼします。今後も注目したい制度です。