続無過失補償制度を厚生労働省が検討

ソース元は9/28付Asahi.comです。記事から明らかに分かる厚生労働省のこの制度への姿勢を拾ってみます。

  1. 制度の性格として、「医療行為はあくまで医師と患者との民間契約」(同省幹部)との立場で、医療機関中心の負担を検討している。
  2. 対象患者数は、厚労省研究班の調査によると、出生数2000人あたり1人以上に脳性まひが発生している。
  3. 財源として、同省研究班の04年度の試算によると、救済対象を軽症の脳性まひまで広げ、民事訴訟の補償額を参考に算定すると、必要な財源は年間約360億円。産科医が出産1件につき2万円の掛け金を負担し約220億円を工面、残り約140億円を公的補助などでまかなえば運営できるとした。
これにそった制度が出来れば産婦人科医不足解消の切り札になると事です。

今日取り上げたいのは財源問題です。財源問題を考える時にはまず補償対象の人数を見積もる必要があります。厚生労働省は意向として軽症者も含めるとしています。そうなれば脳性麻痺の定義から復習する必要があります。脳性麻痺の定義自体は実は国によって変わり、日本では旧厚生省脳性麻痺研究班の定義(1968)が用いられるようです。これの原文が見つからないのですが、引用文を見ると下記のようになっているようです。

    脳性麻痺は、受胎から生後4週までに生じた脳の非進行性病変に基づく、永続的なしかし変化しうる運動・姿勢の異常と定義され、進行性疾患や将来正常化するであろうと思われる運動発達遅延は除外する」
これは少し寄り道をしますが、脳性麻痺は痙直型、アテトーゼ型、強剛型、緊張低下・失調型、混合型・痙直強剛型に分類され、このうち痙直型とアテトーゼ型の頻度が高くなっています。この頻度の高い二つの型の概要は次の通りです。

*痙直型脳性麻痺アテトーゼ型脳性麻痺
自発運動緩慢、動こうとしない
動く事を好まない
絶えず動いている
手足の動きがバラバラ
姿勢異常全体に固い絶えず変動する
筋の緊張亢進している変動し睡眠中はリラックス
変形・拘縮起こりやすい通常は起こらない
性質内向的で受け身外向的なことが多い
知能の障害障害の程度はさまざま高度には障害されない
つまり脳性麻痺とはあくまでも運動姿勢の異常であり、知能障害の有無は関係無いと言う事です。そのためこれから引用させていただく、(財)日本障害者リハビリテーション協会発行「リハビリテーション研究」1989年3月(第60号)43頁〜48頁でも脳性麻痺児の定義を次のように記しています。
    脳性麻痺の診断基準は、ハーグベルクらの基準や厚生省脳性麻痺研究班の定義に基づいて、受胎から新生児期までに生じた破壊性・非進行性・永続性の脳障害で、3歳までに生じた運動あるいは姿勢での障害を示す児と定義した。知能障害やてんかんの合併は当然あってよいこととしたが、重度の知能障害による運動発達遅滞は除外した。したがって、当然のことながら重症心身障害児の中にはこの分析資料に含めた児と含められなかった児がいることになった。また、この報告の目的から後期新生児期以降にあらたに発症した化膿性髄膜炎や頭蓋内出血などによる後遺症児は除外した。
医療関係者はともかく一般の方々は脳性麻痺=知能障害と誤解されている方がおられるかと思い、寄り道させて頂きました。

話は脳性麻痺児発生率に戻るのですが、(財)日本障害者リハビリテーション協会発行「リハビリテーション研究」1989年3月(第60号)43頁〜48頁によると、1000人当たりの発生率は1950年代に2.5あったものが、1970年代には0.6まで下がっています。ところが1980年代から再び上昇を始め、再び1.0を越える状態になっているしています。

医学の進歩と矛盾しているようですが、この逆転現象はその進歩のためと解説されています。1950年代から1970年代までは純粋に医療施設、医療機器、新生児管理の整備充実に比例して改善した成果と考えられています。ところが医療がさらに進歩すると、呼吸管理技術がさらに進歩し、従来は救命不能であった早産児、低出生体重児まで救命できるようなったため逆に発生率が上がったとしています。出生時体重と脳性麻痺発生率は密接な関係があり、新生児医療が低出生体重児を救命できる割合が増えれば増えるほど、脳性麻痺児の増加は避けられない関係にあると言う事です。

そして現在の発生率は探した範囲では全国調査の報告はありませんでしたが、滋賀県国分寺市等の調査では確実に2.0を超えているという報告が散見されます。また新生児医療の進歩により、よりハイリスクの児の救命が進んだ事により発生率は依然増加傾向であり、各書では2.0から4.0人ぐらいを推計しているものが多く見られます。つまり厚生労働省が財源の基礎においた計算である、2000人に1人以上と言う計算は甘すぎると言う事です。

年間出生数110万として2000人に1人であるなら550人、1人以上を1.5人として825人。この辺が厚生労働省の予想ですが、実勢は1000人当たり2人として2400人、最大の推測である1000人当たり4人であるなら4800人となります。妥当な推測として3000人から4000人ぐらいが順当ではないかと思います。

一方で想定財源は360億円。厚生省の予想であれば1人平均4000万から5000万ぐらいになりますが、これが現在の調査報告の最低予想である1000人に2人となれば一人当たり1500万、最大予想の1000人当たり4人となれば750万になります。おおよそ一人平均1000万が妥当なところになります。これは現在の脳性麻痺訴訟の相場と較べると著しく安いと言わざるを得ませんし、この程度の額で「産婦人科医不足の切り札」とはかなり無理があるような気がします。

ではどれほどの財源が必要かですが、仮に一人平均5000万とすれば、1000人に2人の発生率として補償対象者は2400人、掛け算すると1200億円は必要となります。現在の厚生省案の360億円の負担内訳は、医療者側が220億円、公的扶助が140億円ですから、負担比率は医療側6割です。そうすると720億円となり、分娩件数110万で割ると約6万5千円から7万円程度になります。もちろん公的扶助が割合通り4割の380億円拠出されてです。

分娩当たり2万でも少々重い負担かなという意見も聞かれますが、7万となればかなり重い負担です。財政難の上、どう見てもシブチンの今度の厚生労働大臣が原案の公的負担4割をさらに渋れば、2chあたりで飛び交っている「1分娩10万にすぐなる」も根拠のない予想とは言い切れません。

この制度の趣旨の重点をどこに置いて設計するかで変わりますが、「産婦人科医不足の切り札」と唱えているからには、補償額が涙金では意味がありません。なぜなら訴訟相場がある程度もう出来上がっているからです。医療訴訟は「金のためだけではない」とされますが、この制度の本音の部分として、「金が欲しい」人が補償額で訴訟を思いとどまらせる側面が多分にあるからです。

この制度の設計のある意味基礎中の基礎である、脳性麻痺の発生率、発生人数、補償対象範囲、そして具体的な補償額の計算をしっかりやって欲しいところです。この計算をしっかりやった上で、具体的な額が出てこないと、誰がどう負担するかの議論に進みません。個人的には現在の厚生労働省原案は机上の空案としか見えません。