村上ファンドへの雑感

あっちこっちで取り上げられているだろうネタなので気が向かないのですが、今朝はどうにもネタが無いので渋々取り上げます。村上ファンドないしは村上氏と言い換えても良いと思うのですが、評価は毀誉褒貶半ばしていると思います。私も登場した頃は新時代の旗手の様にも感じましたし、あざといまでの売り抜けを重ねるの何度も見せられれば、ハゲタカが歩いている風にしか思えなくもありません。今回逮捕という節目で考え直すぐらいの価値はあると思います。

村上氏が主張したものに「株主利益の確保」があります。株式会社の本来の仕組みは投資家である株主のものであり、株主に委託された経営陣は、オーナーである株主の利益を最優先して考えるべきだという考えです。この主張は新鮮な物に聞こえました。たしか東京スタイル株主総会で、東京スタイルの収益や内部留保からして40倍の配当が可能として激しく争ったのを記憶しています。

私もこの事件を聞いて、改めて企業と株主の関係について考え直しました。村上氏の主張の通り、株式会社の本当の持ち主は株主であるのは正しそうですし、株式投資の本来の目的は、投資した企業の運用益の利益分配を得る事ではないかと言う事です。その配分が日本では異常に低いと言う主張に力があったのは事実です。

この辺は推測に過ぎないのですが、東京スタイルの40倍配当の要求が村上氏の初志であったような気がしています。株式投資で利益を上げるもっとも基本である、投資をして利益配分を受け取って資金運用が出来る路線をある程度本気で考えていたかもしれないような気がします。本気は言い過ぎとしても、それが本線であると言うぐらいは基本思想のうちにぐらいはあったような気がします。

ただし村上氏は東京スタイルで委任状ファイトまでやって敗れています。村上氏にすれば運用益の適正配分の主張がこんなに受け入れられないとは予想外だったような気がします。話題は振りまきましたし、考え方を支持するものも少なくありませんでしたが、結局配当はさしての増配とはならなかったのです。配当増加での収益向上路線は挫折した事になります。

村上ファンドには経営目標があります。伝え聞くところによるとファンドの投資配当は2割だそうです。末期には5000億円の運用資金があったと言われてますから、年間で1000億円以上の利益が最低必要となります。一方で上場企業の平均配当利回りは1.2%ぐらいだそうです。村上ファンドが配当収益でファンドの運用益を賄おうとすれば、これを20倍ぐらいにする必要があります。東京スタイル事件の時はもっと低かったと思うので、40倍と言う数字が出てきたのではないかとも思います。

配当の増加が容易に出来ないとなれば、売買差益で収益を上げる必要があります。かなり村上氏に好意的な推測を入れているのをご容赦頂きたいのですが、株主になる事で十分な配当を要求獲得して利益を稼ぐのをある程度大きな部分としたかったのが、現実のファンドの経営のために株の取引利ざやで収益を上げていかなくなければならなくなったのが、その後の村上氏の言動と行動の不明瞭さとして現れたのではないかと思います。

株価はミニバブル的に上昇基調です。運用資金が数千万円程度であれば、これで大きな収益を上げるのはやればできるそうです。ところが数百億円規模の取引となると、買いに出ただけで株価にすぐに影響が出現し、そういう環境で高い収益を確保するのはかなりの手腕が必要です。自分で買うだけで株価が上がるので、上がったところで売れば儲かりそうなものですが、売り出したら売り出したで巨額なだけに株価も下がるので話は簡単ではありません。株取引ではどうやって売るかが一番難しいと言われています。

一番美味しいのは、ニッポン放送事件やTBS事件のように、誰かが猛烈に買い捲っている時に尻馬にのって買い、株価が上がったところで買収者に叩きうるのが確実な手法です。実に巧妙に村上氏は立ち回り、どちらの事件でももっとも美味しいところを占めたのが村上氏であろう事は衆目の一致するところです。ただしそこには登場当時のような企業風土の改革者、株主の権利の擁護者のイメージは無くなり、金の動くところにたかるハイエナかハゲタカの様にしか見えなくなっていとと思います。

村上氏のもう一つの主張であった「企業価値の向上」も、当初は言葉どおりのものと受け取る向きが多かったですが、何度も売り抜けを繰り返すうちに、自分が買い占めた株を高値で売り抜けるためだけのものであると思われはじめたと言えます。真剣に企業価値を高めて育てる意思など無く、ただ自分が大きな利ざやを稼ぐためだけの方便ではないかと見なされたのです。

村上氏の真の意図がどこにあったかは現在では不明です。心底からのハゲタカ・ファンドに過ぎなかったのか、それとも時代の改革者であったのか。非常に粗い知見でしかりませんが、村上氏の活動は初期と中期以降では変わりがあると感じています。初期は改革者として理想を具現しようと思っていたようにも見えます。ところがニッポン放送事件頃からハゲタカ・ファンド的な色彩が非常に強くなっています。どちらが真の村上氏なのか、そうではなくてどちらも村上氏であり、金の亡者が初期に仮面をかぶっていたか、改革者がひとつの側面として巧妙な資金運用を行なっただけなのかはわかりません。

関西では村上氏の遺産が一つだけ残りました。阪神と阪急の合併です。これがこれからの結果として是なのか非なのかは歴史が証明するでしょう。ただし関西人としてこの合併騒動に対して非常に複雑な思いがあることだけは確かです。私も相当複雑な思いを抱いている事だけは言っておきたいと思います。