新聞特殊指定

よく分からなかったので調べてみたのですが、なかなかズバリの解説に当たらなくて苦労しました。ようやく見つけた解説に簡潔なのがあったので引用します。

    特殊指定とは定価販売しないと独禁法違反になる。
これが一番分かりやすかったです。何でもかんでも規制緩和のご時世に凄い指定があるものだと驚きました。この指定を解除するかどうかで今回の国会でも論議があり、すったもんだの末に特殊指定は堅持されたのとの事です。

相当な保護のように思うのですが、問題は新聞と言うメディアがここまで保護されるのに相応しい代物かどうかでしょう。新聞は全国のニュースを購読者に伝える機関です。ラジオ以前は唯一の機関であったと考えます。ラジオ出現後もその情報量や、記録の保持性において圧倒的に有利で不可欠な存在であったであろうとも考えます。テレビは動画と言う強力な武器がありましたが、ラジオ同様、記録の保持性や再現性に劣り、いつでも手にとって見れる優位さは独自の存在感を誇っていたと考えます。

対抗する報道機関のうちラジオは音声だけでは太刀打ちできず、テレビは音声に加えて映像という強力な武器を有しましたが、メディアとしては二者択一ではなく、両方を所有すると言う選択になりました。ラジオ、テレビはメディアとして新聞のライバルと言うより、共存するような関係で住み分けていると見ます。その証拠に日本では新聞社が軸となってテレビ、ラジオがグループ化している形態が多く、この3者は対立関係になっていない事の証しだと考えます。

ところがメディアの王様として君臨していた新聞に第3の挑戦者が現れました。ネットです。ネット普及の凄まじさは驚くべきものがあります。ほんの14、15年前は細々としたパソコン通信ぐらいの存在で、趣味人が愛好していた程度の存在であったものが、現在では情報ツールとして欠かせない存在に成長しています。新築マンションの販売でもネット整備が当たり前のように謳われる存在となっています。

ネットの力は従来コミュニケーション手段として絶対の存在であった電話さえIP電話により脅かしています。もっと古典的なコミュニケーションツールである手紙も、相当な部分がメイルに取って代わられたのは言うまでもありません。当然のようにメディアの王様の新聞もその地位は絶対と言えなくなってきているのは周知の通りです。

これはネット普及先進国では多かれ、少なかれ見られる現象で、各国の既存の新聞社はネット時代にどう生き残るかサバイバルを懸けていると言えます。あくまでも紙に執着するところ、ネット配信に生き残りを摸索しているところなど様々です。ただし中期的な見通しとして紙の新聞は存在感を低くしていくだろうと予測されていますし、少なくとも紙によるメディアがネットを圧倒して駆逐する事だけはないと考えます。

これまでの新聞への挑戦者であったラジオやテレビは新聞に部分的に勝る長所を持っていましたが、一方で新聞にどうしても及ばない短所もあり、最終的には補完的関係に落ち着きました。ところがネットは新聞に対してほぼ互角の情報提供力を有しており、従来のラジオやテレビが泣き所とした欠点がありません。つまりメディアとしての存在が共存関係になる可能性が少なく、対立関係になり二者択一になってくる可能性が大きいと言う事です。

ある日突然劇的には変化しないでしょうが、新聞の部厚い支持者である高齢者世代が、ネットに親しんだ世代に移行すればするほど新聞はその地位を低下させることは容易に推察されます。若年世代では新聞からネットへシフトする割合は目に見えて増えており、この流れが変わるとは時計の針を逆に回すような行為に見えて仕方ありません。

新聞社もバカではありませんから危機感はあるようです。危機感の表れが特殊指定廃止反対運動であったと見ます。現時点での新聞の影響力はまだまだ巨大です。巨大な新聞の影響力に配慮して特殊指定廃止は見送られたようです。新聞各社は小躍りして喜んでいるようです。紛れも無い勝利であると考えているからです。

勝利に酔っている新聞社ですが、特殊指定護持に血道を上げなければならない状態事態がすでに危機的であるということです。世論的には新聞社がいかに筆を躍らせようが関心はきわめて低かったと言っておきましょう。特殊指定が無くなって新聞社が主張するように宅配制度が維持できなくなればどうなったか。おそらく新聞を取るのをやめるようにした人が増えた事が予想できます。それも不便を耐え忍んでではなく、有用な代替品であるネットで十分と見なした上での行動の人が少なくないと思います。

新聞は自らの自負とは裏腹にそれほど必須の情報源と思わなくなった人が急速に増えている事を自覚すべしです。宅配制度が崩壊すれば、その事により情報格差に苦しむ人々が増えると言うより、新聞と縁を切る踏ん切りぐらいにしか感じていない人も少数派と言えないのです。新聞特殊指定が保持されましたが、私はむしろ保持されなかった方が新聞業界の変革に資した部分が大きかったようにも感じています。

とりあえず特殊指定は残りました。ただしこれに胡坐をかいていたら、新聞には大きなしっぺ返しがくると考えます。むしろ新聞が次の時代に生き残れるように変革する猶予時間を与えられたと見るべきです。今回の特殊指定保持は、未だに強い新聞の影響力の強さによるものであり、また永久指定というわけではありません。遠からぬ将来確実にこの話は蒸し返されます。その時までに特殊指定に頼らない地位を確保してなければ、新聞と言うメディアは致命的な打撃を受けて見る影も無く凋落するでしょう。

これまで政治力による政府の保護だけで生き延びた業界は無かった事実をかみ締めるべしです。