藤田元司氏を悼む

阪神ファンである私でもここからの哀悼を送りたいと思います。

少し長くなりますが藤田氏が監督をした前後の巨人の成績を掲載したいと思います。その頃の巨人は9連覇で頂点を極めた川上体制の後で、再び9連覇の夢を追いながら、一方で地盤沈下を余儀なくされていった時代とも言えます。

年度試合数勝利敗戦引分勝率順位監督
197513047767.3826長嶋茂雄
197613076459.6281長嶋茂雄
197713080464.6351長嶋茂雄
1978130654916.5702長嶋茂雄
1979130586210.4835長嶋茂雄
198013061609.5043長嶋茂雄
198113073489.6031藤田元司
1982130665014.5662藤田元司
198313072508.5901藤田元司
198413067549.5543王貞治
198513061609.5043王貞治
198613075487.6102王貞治
1987130764311.6391王貞治
198813068593.5352王貞治
198913084422.6561藤田元司
199013088420.6671藤田元司
199113066640.5084藤田元司
199213067630.5152藤田元司
199313164661.4923長嶋茂雄
199413070600.5381長嶋茂雄
199513172581.5543長嶋茂雄
199613077530.5921長嶋茂雄
199713563720.4674長嶋茂雄
199813573620.5413長嶋茂雄
199913575600.5562長嶋茂雄
200013578570.5781長嶋茂雄
200114075632.5432長嶋茂雄
長い引用ですが、川上V9時代以後の巨人の動きは、川上イズムと長嶋イズムの二大潮流のせめぎ合いの部分があります。川上の後を継いだ長嶋は、アンチ川上の長嶋イズムを打ち出します。これは憶測でしかないのですが、長嶋自体はあの本人の性格からして「川上インチ野球」は肌に合わなかったようです。長嶋野球は3点取られたら5点取り返す攻撃野球です。3点を日掛貯金のように積み上げて、相手を2点に抑えてしのぎきる野球との決別です。

川上巨人が強かったのは豪快な攻撃野球が出来る攻撃力を持ちながら、あえて守備重視の野球をしたから長期の連覇を果たせたのですが、おそらく長嶋はあれだけの攻撃力を持ちながらこんな陰気な「インチ野球」を強制する川上野球を生理的に嫌っていたと考えます。攻撃力を前面に押し出した長嶋野球でしたが、いわゆる「長嶋のいない巨人」を率い、さらに王も年齢による衰えを隠し切れなくなると成績低下をやむなくされ、3年連続優勝を逃した責任を取って解任されています。

長嶋政権の後には引退直後の王が引き継ぐ見方もありましたが、長嶋の失敗を前例としたのか藤田氏です。そのためか藤田氏には「中継ぎ」的な目がついて回る事になります。私が受け取った印象も「藤田?」であり、巨人のオーナーさえ、藤田氏が就任1年目に優勝したときに「長嶋君の遺産だ」と公言して、藤田氏の激怒を買っています。王貞治への中継ぎといわれ続け、長嶋遺産とも冷評を買いながら3年間で2回の優勝を飾り、たぶん「予定通り」王貞治に監督のバトンを渡しています。

ポスト川上であった長嶋も藤田氏もですが、二人が担当した9年間は落差が大きすぎる新旧交代に苦しんだ時代と言えます。私は阪神ファンだから言いますが、長嶋が攻撃優先路線を持ち込もうとしてチーム強化路線を混乱させ、それを何とか修正しようとする川上イズムとの路線闘争であったともいえます。長嶋は中途半端な混乱を巨人に残しましたが、藤田氏は3年間で巨人を立派に立て直しました。

藤田氏の後を継いだ王が名監督であれば再び巨人黄金時代が来たかもしれません。しかし新人監督であった王の采配は名門巨人を意識する余り、手堅さの度が超え、シンプルを越えてワンパターン采配になり、相手監督はもちろん相手ファンでさえ、もっと言えば子供でさえわかる単純至極の芸のないものとなり、成績は伸び悩みます。毎年優勝候補の筆頭と言われながら5年間で優勝1回では読売も我慢しきれず、再び藤田氏に監督を戻す事にします。

前回とは違い「嫌なやつが監督になったな」と思っていたら、予想通り1989、1990とあっさり連続優勝。これはあの巨人にして現在のところ最後の連続優勝となっています。前任者との手腕の違いを見せ付けます。ただし再び新旧交代期が巨人に訪れます。3年目4位、4年目2位とやや成績に伸び悩みを見せ始めた時に、再び読売首脳部に長嶋待望論が巻き起こります。その流れの中で藤田氏は辞任。

正直なところ阪神ファンとしては「ホッ」としました。あと5年も監督をされていたら、またもや無敵巨人が出来上がったしまうだろうからです。藤田巨人の強さを十分承知している阪神ファンにとっては、読売首脳部の先見性の無さ、人気先行に踊る人事に小躍りしたものです。

世間的には長嶋、王に挟まれた中継ぎ監督のイメージが強い藤田氏ですが、相手にした我々にとってはこれほど手強い相手は居なかったと言えるでしょう。享年74歳、阪神ファンが贈るのですからお世辞ではありません。

「あなたは間違いなく名監督です」

ご冥福をお祈りします。