神戸新聞やめようかな

社説とは新聞社の主張のはずです。新聞社の姿勢、見識、良識が問われるところで、ある意味で新聞社がもっとも力を入れているところと言っても良いでしょう。当然書き手もそれなりに選び抜かれた人材であるはずですし、掲載に当たっては十分内容を吟味されているはずです。

うちは奥様の趣味で結婚以来ずっと神戸新聞です。地方紙ですから地元関連のニュースが多く、そういう意味ではべつに悪い選択ではないと考えています。阪神大震災のときに神戸新聞社も被害を受けて、ペラペラの紙面を発行せざるを得なかったときも知っています。

そんな付き合いですが、最近の社説の論調がどうもおかしいような気がします。批判のための批判に堕してしまい、何を言いたいのか論旨不明の時がしばしばあります。昨日の社説もそうです。原文はリンクを見てもらえれば良いのですが、全文引用すると長いのでかいつまんで解説します。

お題は「与党税制大綱/小さな政府が増税頼みか 」です。ほとんどは定率減税の廃止による景気の動向への懸念や、一転して決まったたばこ増税や酒税に対する批評が並んでいます。その辺は一般人なら誰でも感じている事を代弁しただけで、さして新味や面白みがあるものではなく、この時期なら誰でも書ける程度の一般論が列挙してあります。

問題はまとめのところで、ここを読んでひっくり返りそうになりました。

だが、もっと重要なことがある。政治が本気で「小さな政府」をめざすのなら、財源確保に走らずに済むよう歳出削減の実を挙げることだ。増税と「小さな政府」など本来は両立し得ない話である。

社説は「小さな政府」とは一体どんなものかを理解しているのかにまず不安を持ち、もし「小さな政府」の目指すものを理解して、この政府の方針に諸手を上げて賛成しているのなら、こんな新聞は取りたくないと思ってしまったのです。

小さな政府が歳出削減の大鉈を振るうのは社会保障と経済対策です。年金、医療保険などは小さな政府では「自己責任」で行うもので、国としては出来るだけ関与しないのが小さな政府です。経済政策もまた関与を少なくする部門であって、景気がどうなろうと「神の見えざる手」に委ねるのが小さな政府の経済政策です。

たしかに社会保障と経済政策に費やしている予算をバッサリ削って歳出削減を行なえば、社説の言う「増税なき財政再建」は可能かもしれません。そういう考え方も一つの方法論でしょうが、医療費はすべて自費となり、年金が無くなり、すべて自己責任で民間保険や個人年金に移行する社会が望ましいと社説が考え主張しているのなら、とても怖ろしい事です。こういう考えを世間に流布しようと言う新聞を取るのは私はイヤです。

行き過ぎた小さな政府路線による弊害は目に見えています。財政事情でいくぶん政府を小さくするのはやむをえないかもしれませんが、この社説はどこまで小さくするのをモデルとして考えているのでしょうか。小さな政府を社説のまとめに持ち出すのなら、どの程度の小さな政府を社説が考えているのかを明瞭にする必要があります。これこそが今の小泉構造改革路線への提言となるはずです。漠然と小さな政府を持ち出すだけで、非難のための非難を行なうとは新聞社の見識を疑ってしまいました。