仰木彬氏を悼む

球界に名監督と呼ばれる人は幾人かいますが、間違いなく仰木彬氏もその星々に連なる事でしょう。享年70歳、ご冥福をお祈りします。

仰木監督の手腕への異名は皆様ご存知の「仰木マジック」です。仰木監督自らも語っていますが、源流は元西鉄監督である三原脩氏の「三原魔術」であることも有名です。さすがに三原監督の現役時代は知りませんが、現存する野球人の中では最高の魔術師的監督である事だけは言えます。

前に自分のHPのエッセーに監督論的なものを書いた事があります。その時には仰木監督の魔術師的手法は高く評価しなかったのですが、最後の最後に合併球団であるオリックスを率い、なおかつ恥しくない成績を挙げた事で、仰木監督への評価をもう一度考え直してもよいかと思いなおしています。

名監督の手法は大きく分けて2つの流れがあると考えます。ひとつは与えられた巨大戦力を有効に使いこなすタイプ。かつては9連覇を成し遂げた川上監督もそうですし、現在ならソフトバンク王監督なんかがそれに近いとも言えます。西武黄金時代を謳歌した森監督もそれに当たるかもしれません。巨大戦力が与えられたら優勝して当然ではないかと言われそうですが、スター選手はお山の大将であり、お山の大将軍団に求心力を持たせ、優勝と言う目的に邁進させるのは容易なことではありません。スーパースター長嶋茂雄をもってしても、そのカリスマ性で辛うじて統率できた程度で、残した成績は名監督の名に相応しいかは正直なところ疑問符がつきます。12球団が束になっても敵わないとまで言われた堀内巨人の低迷からもその難しさは象徴されます。

一方で必ずしも恵まれない環境で限定された戦力で能力を発揮するタイプがあります。飛びぬけた選手や、スーパースターがいるわけでは無く、さらにそんな選手の獲得にも消極的な球団で立派に成績を残す監督です。ロッテのバレンタイン監督なんかもそれにあたると考えます。仰木監督もそういうタイプの典型であると言えます。

仰木監督が最初に采配を振るった近鉄もそんな球団でした。近鉄は球団創設から果てしも無く長いぐらいの低迷時代があり、闘将西本幸雄が叩き直して一旦はパ・リーグの覇権を握りますが、西本監督が去った後、再び低迷期に落ち込んでいました。当時の球界は無敵西武の黄金時代。秋山、清原の両主砲が主軸にドカンと座り、脇役にも綺羅星の如く名選手がそろっている時代でした。近鉄との戦力差はあまりにも歴然としていましたが、それでも仰木監督は無敵西武の牙城にヒタヒタと迫ることになります。伝説の10.19、さらには翌年のブライアント3連発の神話につながり西武の5連覇を阻止する事になります。仰木監督がいなければ西武も巨人同様の9連覇を成し遂げていたかも知れません。

続いて指揮を取ったのがオリックス。当時のオリックスは完全に阪急時代の遺産の戦力を食い潰した状態で、低迷する成績の立て直しに呼ばれた事はもちろんです。ここで仰木監督イチローを見出し、再び優勝争いにオリックスを躍りださせます。あの阪神大震災の年、またもや西武とのデッドヒートを制して6連覇を阻み、震災の神戸に希望の灯をともす事になります。

最後の奉公はまたもやオリックス。球団再編の大嵐で生まれた合併球団オリックス。気風が全く違うオリックスと旧近鉄の寄せ集め軍団は、文字通りバラバラの集団でした。その両チームの優勝経験監督として唯一の切り札として登場した仰木監督は、高齢、健康状態の不安を抱えながらバラバラの集団を戦う軍団としてまとめ上げ、プレーオフ進出争いに最後まで期待を持たせる健闘を示しました。

これほどの魔術師監督を実際に見れた幸せを私はあらためてかみ締めています。天国の球界でも、王者のおごりにふんぞり返るチームを、あっと驚く手腕で引っ掻き回されん事をお祈りします。