憲法改正案

やはり今朝のトップニュースですからこれを取り上げているところは多いと思います。だからやめておこうと思ったのですが、残念ながら他に適当なネタがないのでしかたがないので取り上げます。

個々の条文についての意見はやめておきます。それよりもどんな憲法を作ろうかという基本理念に私は大きな問題を感じます。基本理念の上に個々の条文が形作られるわけですから、まずそこに議論の焦点があってしかるべしです。つまり憲法とは何か、国にとって憲法はどうあらねばならないのか、憲法と国家および国民のあり方です。

現在の憲法改正勢力が良く用いるフレーズに「現在の憲法は占領軍の押し付けである」との主張があります。押し付けだから「自主憲法を制定する必要がある」との論旨です。言っている事は理解できないわけではありませんが、その肝心の自主憲法の見本にしているのが大日本帝国憲法であることは意見の端々に隠しようもなく現われます。ではその見本たる大日本帝国憲法はおおよそどんな経緯で決まったかを知っておく必要があります。

明治維新後の日本のテーマはいかにして後進国日本が世界の列強に追いついていくかでした。日本が欧米列強に対して引けのとらない文化と実力を持つ国にするために、あらん限りの努力を傾ける事になります。猿芝居の極致とも評される鹿鳴館もそんな時代の要請で作られ、欧米諸国からは失笑を買いながらも懸命に近代国家をアピールするために、慣れぬワルツを踊っていたのです。それが国家の近代化の一環であると信じてです。

憲法もまた然りです。近代国家には「憲法」というものがあり、これがないと近代国家と見なされないと知りました。独創では作りようもありませんし、独創で作って欧米諸国から「あんなものは憲法と呼べない」と批判を浴びてはなんにもなりません。欧米先進国を回ってモデルになる国、モデルになる憲法を必死になって探します。

捜し歩いて「これだ」と飛びついたのがプロシャ(ドイツ)の憲法です。プロシャはオーストリア帝国ドイツ統一を目指して激しい覇権争いをしていた国です。「鉄血宰相」ビスマルクの指導の下、上にプロシャ皇帝を戴き、下に軍国主義を首尾一貫させて国論を統一し、その軍事力で列強の一角に割り込んでいた国です。

プロシャもまた欧米では後進国で、先進国である英仏に肩をならべるために、すべての人民の上に国家が重くのしかかる態勢を築いていました。つまり「国家あっての人民である」との理念で国づくりがなされ、その理念に基づいて憲法が制定されていました。明治の指導者がプロシャを選択したのは、当時の日本の国情からしてある程度仕方なかったかもしれませんが、プロシャ憲法を見本に制定された大日本帝国憲法は当然のようにプロシャ憲法の理念に基づき「国家あっての人民」の理念で制定されています。

一方で先進国であった国々の憲法は毛色が違います。近代憲法の見本のひとつであるフランス憲法フランス革命の大流血の結果誕生しています。もちろんフランスもその後、幾多の反動があり、のちにナポレオンが皇帝にまで即位したりしていますが、基本理念はフランス革命の時に出来ています。フランス革命絶対王政を敷いていたブルボン王朝の、民衆による打倒が基本です。

世界中の国が王政による封建制であったのに、フランスのみが世界に先駆けて王政を否定し、民衆による共和制を行なったのです。憲法もまたその理念が中心となっており、人民は再び絶対王政のような強大な権力を為政者がもてないように、憲法と言う枠組みでその権力を縛ると言うのが基本です。つまり「人民あっての国家」の理念です。この理念はアメリ憲法にも受け継がれ、現在の日本国憲法もこれをより理想主義化して作られているのは周知のことです。

敗戦後の日本は新憲法制定に当たり、独自の試案をいくつか提唱しています。しかしこれを見たGHQは「国家あっての人民である」思想から離れる事ができない日本人に失望し、近代憲法とはこんなものであるとの草案を押し付ける結果となっています。当時のGHQ担当部署は良い意味で理想主義に燃える連中が集結しており、フランス革命からアメリカ独立宣言いたる近代憲法の流れを純化した憲法を提唱実現したとも評価されています。

「国家あっての人民」理念の憲法と、「人民あっての国家」理念の憲法は桜と松ぐらい違います。「人民あっての国家」ではそれまでの専制性から勝ち取った自由の権利をまず守ることが第一義であり、そのために国家が人民の自由を再び犯すことの出来ないように制限を架しているものが憲法です。「国家あっての人民」は国家のためがすべてに優先し、国家の必要のためには人民の権利はいつでもどこでも制限できて当たり前であるとの前提で憲法が組み立てられます。

「国家あっての人民」の憲法では人民のあり方も国家が決めるものであり、国家が定めた人民の理想像を作るのも憲法の規定であり、そのために生じる不満も国家のためなら押し潰すのが正統であるとの考え方です。この考え方は皇帝や王はいなくとも時の為政者が同等に振舞える可能性、またはそうなることを容認した憲法です。

「国家あっての人民」憲法も一概に悪いとは言いませんが、この憲法では為政者の能力で国家は大きく左右されます。優れた指導者に恵まれれば理想の国づくりも可能ですが、無能なものが権力を握ると破滅の道をたどります。大日本帝国憲法が模範としたプロシャ憲法ビスマルクが健在のうちはフランスを普仏戦争で負かしましたが、ウィルヘルム2世が政権を切り回すと第1次大戦の破滅を呼び起こしています。大日本帝国憲法もまた然りでしょう。

「人民あっての国家」の憲法も良いところばかりではありません。悪い例では大衆迎合主義が蔓延し、衆愚政治に陥って破滅する事もあります。しかし私はこの二つの考え方を2択とは考えていません。近代憲法の真の理念は「人民あっての国家」であり、「国家あっての人民」式の憲法フランス革命により市民意識が目覚めた民衆との妥協のために、専制国家が作った亜流であるからです。

Blogなので話の筋道があっちに行ったり、こっちに行ったりしてまとまりが悪いですが、今の憲法改正の流れは、敗戦後ようやく手にした「人民あっての国家」の憲法を、時計の針を戻すように「国家あっての人民」の憲法に塗り替えるようにしか思えません。そういう理念が正しいと信じ込む勢力がこんなに増えたことに驚きます。

それにしても総選挙で与党は大勝しました。戦術や詳細な投票分析は別にして大勝しました。勝った与党の公約の中に「憲法改正」の一文はあるかもしれませんが、そこまで白紙委任されたと考えているのなら、それは拡大解釈のし過ぎではないかと考えます。選挙の民意は「改革」を支持したからであって、政争の種になって紛糾しやすい憲法改正などに時間を費やして欲しくないと私は考えます。

憲法は最初の大日本帝国憲法も、戦後の日本国憲法も完成形をそのまま採用しています。これを妥協の産物のような政争の挙句で改正はして欲しくないとは最低限思っています。無理だとわかっていても、高邁な理想に彩られた世界の模範になるようなものでも出現しないと改正して欲しくはないと思うのは贅沢な願いなのでしょうね。