小さな政府

小泉首相のスローガンのひとつです。いろんな取り方はあるでしょうが、良い方に解釈すれば、なるべく中央政府の関与を少なくして地方自治体が地域の実情に応じて統治すると言えばよいでしょう。今の政府の目指す小さな政府路線には相当胡散臭いものを感じますし、首相の真の構想がどんなものか、そもそもそれほど立派なグランドデザインがあるかどうかも不明ですが、自民党民主党も基本スタンスは近いところにあると見ます。

昨日市の広報紙が配られていました。たいした事は書いてないのですが、読みながら「小さな政府」の方が良いのかもしれないと漠然と思ってしまいました。私たちは税金を納めます、大雑把に言うと国税、県民税、市町村民税です。他にも消費税やもろもろの税金は数え切れないぐらいありますが、最終的に収めているところは国、県、市町村です。

税金を納めるのは義務ですが、収めたからにはそれに見合う行政サービスを期待します。それも出来れば目に見える形でわかる方が望ましいと考えます。何年か周期で吹き出す、無駄使いや、無謀な投資、訳のわからないお手盛り手当、観光旅行同然の議員視察、裏金作り、官官接待なども、監視する母体が小さいほど容易ですし、予算の使途自体が本当の意味でのガラス張りにすることが可能です。

神戸は大きな町ですが、それでもこの程度の規模の予算運用なら、かなりのところまで納税者の目が届きます。ところが国レベルになってしまうともう伏魔殿の世界となります。国まで行かなくても県レベルの規模でも、兵庫県ぐらいになると正体不明の怪物に成長します。自分の納めた税金が何に使われ、どういう風に回りまわって還元されているのか実感が全く伴わないものになっています。

税金を納めるときには○○税と言われてもとくに意識して区別しているわけではなく、まとめての納税額だけが関心の対象になります。ただしこれから何十年も続くであろう増税路線の中では、その用途にどうしても関心が深くなります。納税はたしかに国民の義務ですが、国民主権の国是ですから、その使い道も完全に白紙委任したわけではなく、適正な行政サービスを実現する義務を行政府に架していると解釈してよいと考えます。であれば使い道についての不満が見つけやすい小さな政府の方が、納税者にとってより意向を反映しやすい政体であるといえるかもしれません。

もっとも現在の政府のスローガンである「小さな政府」はそれほど高邁な思想でやっているとは思えません。歴代政権の失政の積み重ねによって膨れ上がった財政赤字を地方に拡散する目的が見え見えです。地方といえどもほとんどの所はこれもまた青息吐息の状態で、その上で国の苦しい部分を押し付けられたら倒壊しますので、出口の見えない小田原評定が続いている考えます。

今の日本の状態は見ようによっては江戸時代の中期と似ています。平和であり、経済は発達しています。一方で行政府は財政危機にあり、それに対する政策は何をしても反対勢力が強固に存在し、強行すれば政権の足許をすくわれる基盤の上で事なかれ主義を貫いています。そのまま財政破綻状態で明治維新を迎えた藩もたくさんありますが、一方で見事に財政を建て直したところも少なくありません。

国レベルでは吉宗ぐらいしか成果をあげていませんが、地方レベルでは米沢の上杉鷹山や薩摩の調所笑左衛門は有名ですし、姫路でも河合寸翁がいます。手法はどこも古典的な質素倹約、殖産事業の育成ですが、これは案外現在でも通用する手法ではないかと思ったりしています。国レベルの事はすぐにはどうにもならないとしても、せめて地方レベルで完結できる自治が出来る政治家が神戸に出てこないかといつも思っています。

難しいでしょうね、政治家も人材難ですからね。