米国産牛肉

食品安全委員会なるものがBSE騒ぎで中止されていた米国産牛肉の輸入再開の方針を認める報告を出したそうです。これが是か非かの見解は大きく分かれているようです。日本でBSE騒ぎが起こったときのパニックは相当なもので、大騒ぎの末、全頭検査で一件落着した経緯があります。私もあの時、漠然とBSEは怖いなと感じていましたが、全頭検査をするなら「なんとなく」大丈夫かなと思った気がします。

ところがアメリカでBSE騒ぎが起こって吉野家の牛丼が消え、仙台の牛タンが滅びかけ、安い焼肉チェーンの経営が傾くと、輸入再開のための規制緩和の声が急に高くなりました。月齢20ヶ月未満の牛にBSEが見つかる頻度は非常に低いので全頭検査は無意味であるとか、危険部位さえ取り除けば安心であるとか、日本の検査体制は国際的に非常識であるとかです。

日本のBSE騒ぎが鎮静化したのは全頭検査の安心感だったと記憶しています。専門的な安心感と一般レベルの安心感はかなりずれます。一般レベルの安心感の方が、恐怖心が先にたって、こういう時には厳密化するのが常です。別に構わないと思います。そこから正しい知識を徐々に普及させて、専門的な安心感レベルに誘導していくと言うのもまた常套手段です。

全頭検査という厳密な検査で表面上は沈静化した日本のBSE騒ぎですが、心の中ではまだ不安感が強いと思います。そんな矢先にいきなり規制緩和の話が出てくると話はもめます。専門的な話は門外漢なのでわかりませんが、月齢20ヶ月未満の牛なら危険性はきわめて低いそうです。その危険性の低い牛の危険部位を除去すれば安全だと言うのがアメリカからの圧力だそうです。

ただしアメリカの牛の月齢管理はかなり大雑把で、また食肉処理場の能力はまちまちで、専門的な理論上では安全性が非常に高いそうですが、実際は危険な肉の混入の可能性が否定しきれないのが実情だそうです。だから食品安全委員会ではかなりもめたそうです。政府や関連業界の壮絶な圧力があったことは容易に想像がつきます。そこで激論の末出た結論が、「そんな危険性を含めても、実際の危険性は低いため輸入再開は是とする」というものだそうです。またそれに伴って日本の規制も大幅に緩和しようと言う方針だそうです。

ところで今朝の読売新聞の社説には驚かされました。読売新聞はこの答申が出てくるのが遅すぎたと非難の声を高らかにあげています。読売新聞の主張では「政治的圧力」をかけてでももっと早く答申を出せなかったのは失政であると断定しています。国民のBSEに対する漠然とした不安、伝えられるアメリカの牛肉管理の大雑把さへの不安、日本人が全頭検査で納得している安心感などは取るに足らないものだと吠えています。それよりアメリカとの友好関係だとか、関連業界の損失の方を大きく重視し、少々の危険性など「政治的」に早期に押し潰してしまわなかったのが怠慢だとひたすら主張しています。

私が考えるに読売新聞が社説で麗々しく主張していることは、関連業界の業界紙レベルなら理解できます。自民党の広報紙程度でも理解できます。それが大新聞社であるところに危惧を感じてしまいます。食品の安全と言うような国民の健康の根本に関わる事、またBSEの様に専門的な知識を要する事を、専門家の判断ではなく「政治判断」で決着するのが正しいとの主張は「おかしい」と感じる方がまともな感覚だと私は思います。

私は今回の決定を受けての消費者団体のコメントの方が今回は筋が通っていると感じてしまいます。

    日本に牛肉を売りたいのなら、日本の基準にあわせた牛肉を作るのが商売の王道ではないか。それを売り手の都合に合わせて安全性を下げるのは矛盾している。
この主張は読売新聞の社説と較べて論理がスッキリしています。商売では売り手がここまで来いの商売では通用しません。買い手の好みに合わせ、サービスし、誠意を尽くすのが基本です。商売では「こんなに良い商品を買わない消費者はバカである」との道理は通じません。この調子なら読売新聞の社説にはそのうちこんな主張が出てきそうです。
    こんなに正しいことを書いている読売新聞を読まない日本人は非国民である。政治が立法化して、読売新聞が主張していることを国民が無条件に信用しないように放置しているのは怠慢である。
まあそれでも、そのうち日本で米国産牛肉でBSE患者が発生したら、手のひらを返したように「あの時の食品安全委員会の決定は拙速であった」と、過去の主張を瞬間に忘却するのも新聞社の社説ではありますが。