神戸市長選

総選挙、神戸市長選、大阪府知事選と続きますが、いずれの選挙もテーマは財政再建です。総選挙は首相が「郵政民営化だ!」と言っていましたが、これもまた財政再建の一環です。今朝は悲観論でできるか出来ないかをちょっと考えてみたいと思います。

国、神戸、大阪とも巨額の負債を抱えています。どこも首が回らないぐらいの借金で、一般企業ならとうに倒産している状態です。もちろん国や自治体でも事実上の倒産はありえるのですが、企業に較べて臨界点は遥かに高いので倒産していないだけです。臨界点が高いといっても限界があり、そろそろ近づいているのでジタバタしはじめていると言うのが真相です。もう少しだけマシなときには知らんぷりでしたからね。

財政再建の手法はふたつ、一つは増税をじゃんじゃんする事、もう一つは支出を減らすことです。増税の方は安易にすると選挙で政権を失うので非常に慎重ですが、それでも小泉首相が退陣するとほぼ間違いなく消費税がドカンと上がる事だけは間違いないでしょう。予想としては10%論を財務省が主張して、政治的妥協で8%ぐらいになると予想します。10%もそんなに先の話ではないでしょう。

増税の方はこの辺では置いておくとして、支出削減なんか本当にできるでしょうか。支出は人件費と広い意味の事業費です。「減らす、減らす」と言っても無闇に減らせるものではなく、部門によっては増員が必要なところもあるでしょうし、予算を増やさなければならないところもあるでしょう。だからスローガンは「予算を精査し、必要な部門は手厚く配置し、不必要な個所は大胆に削減する」と言う事になります。もちろん手法論としては文句のつけようがありません。

ただこのスローガンは組織が巨大化するほど困難となります。歴代政権は同じような事を何回も唱えていたとは思うのですが、有効に実行できたためしがありません。スローガンの第一歩は予算を精査する事なんですが、誰がするかになります。ある部門の端々に至るまで、どこで人手が余っているか、どこが不足しているか、どこに無駄な予算が注ぎ込まれ、どこが不足しているかなんての公平無私に精査し、誰の文句もつけられないような報告ができるかです。

小さな組織体なら有能なトップが全部門をまわり、実際にその目で確かめ、一線労働者と膝つめで話し合って削減や増員を決定する事が出来ます。ところが巨大化するとそんな事は不可能となります。だから部門の責任者に精査を命じることになります。部門毎と言っても国ぐらいの巨大さになると、部門のトップでも全体を見渡す事はできず、さらにそれをある程度の規模に分割した、中部門の長でも自らの責任範囲をすべて掌握する事は難しく、その下の小部門以下の部署の責任者に「精査」の仕事が回ってくる事になります。そうした限定された範囲の「精査」が段階的に集約されての報告しか出てこないのです。

限られた範囲の責任者は目の届くところが狭く、大局的な目を持つことは不可能です。少なくとも「他所に較べて」的な目では見ません。むしろ「うちは他所と違って」の特殊性を主張する事になります。さらにその責任者にとって自分の管轄する部署の予算が減ったり、定員が減ることはデメリットしか生じず、メリットは何もないのです。

そもそも予算も定員もその部署が与えられた事業を遂行するのに必要最低限の予算であると言う建前があります。国のシステムで言うと、まず部署ごとに積み上がった予算の総計を財務省に最低限必要な予算であると要求します。要求を受けた財務省はそれを机上で再検討して削減します。その後、それじゃ事業はできないと大臣クラスが乗り出してもう一度交渉します。いわゆる政治折衝というやつです。

見た目のシステムではこれで予算はギリギリと言う事になります。予算に伴う人員もギリギリと言う事になります。ギリギリと言うだけではなく、もともとギリギリから削減された分があるわけですから、不足分を歯を食いしばって耐えているという事になります。現行の予算態勢の建前はどこもギリギリ以下でなんとかしのいでいると言う建前が出来上がります。すべての部門部署がギリギリであるのですから、それ以上減らせるわけが無いという論理がここに成立する事になります。

もう何十年もギリギリ以下で仕事を続けていたのですから、トップである首相が「無駄を減らせ」と大号令を下しても、各部署には東大をはじめとするエリートが、歴代知恵を絞って蓄積させた「ギリギリ足りない」理論が頑張る事になります。なんと言っても現状でも「足りない」のですから、減らせる余地なんて出てくる訳はありません。もし安易に削減に応じればこれまで「不足」していた事が嘘となりますから、必死なって防戦するのは当然のことです。つまり「減らす」と言う事は、部署の担当者にとって官僚の大嫌いな「責任問題」につながるからです。

さらに悪い事にそれでもトップダウンで強制的に予算や人員を削減したら、その部署はその不足分を補うように努力すると言うより、予算不足でどれだけ業務に支障が生じたかの証明に奔走する事になります。ここで予算の不足分を補って仕事をしたりすると「本当に余っていた」の証明となり、これまた「責任問題」に発展するからです。こういう状態を予算の硬直化と呼ぶらしいですが、硬直化は組織が巨大化するほど強くなるのは理の当然です。小さな自治体が有能なトップの実行力で改革を成し遂げた事が時々話題になりますが、大きくなればなるほどそれは困難となります。

かなり話題がそれてしまいましたが、神戸はどうでしょうかね。かなり大きいですが、規模的にはなんとかまだ救いようのある規模ではないかと信じたいのですが、どの候補もたいした主張をしているわけでは無さそうですし、十中八九現職が圧勝しそうですから、あんまり変わり映えしないことになりそうだとは感じているのですが。