女神伝説第4部:立花小鳥

    「カランカラン」
 コトリ専務がお気に入りだったバーです。立花小鳥として初めて訪れたのですがマスターは、
    「これは、これは、お久しぶりです。前に来られた時は顔色も悪くて心配しておりましたが、すっかり元気になられて安心しました」
    「やだ、マスター。コトリはこの店は初めてよ」
    「えっ、たしかに前より若返っておられますが、専務にそんな事が起こるのは不思議でもなんでもありませんし」
    「あの夜にチェリー・ブロッサムの飲んでたコトリと、今のコトリは別人。今はね、立花小鳥になったから覚えといてね。それはそうと、シンガポール・スリング作ってくれる。グラスはラッフルズ・ホテルの黄色でヨロシク」
 マスターは頭の中に無数の『???』が渦巻いているはずなんですが、さすがはプロ、動揺も見せずにカクテルを作り上げます。
    「お待たせしました。ところでクレイエールの専務さんなのは同じですよね」
    「そう、ついでに中身もコトリ、でも立花小鳥になってるから間違えないでね」
    「かしこまりました」
 これで『かしこまりました』と言えるマスターはエライと思います。さすがに付き合いが長いだけの事があります。さて、さて、コトリ専務には聞きたいことが山のようにあるのですが、
    「ミサキちゃん、焦らない、焦らない、それよりまず乾杯しましょ」
 シノブ常務を見るとまた涙ぐんでいます。あの大司教歓迎式典の日からシノブ常務とコトリ専務の話がまともに出来なくなっています。とにかく名前が出ただけで胸が詰まり、顔を見ただけで涙ぐむありさまです。こうやって隣に座ってると、いつ大号泣しだすかわからないぐらいです。
    「とりあえず立花小鳥さんを教えて頂けますか」
    「そこからにするか・・・」
 立花小鳥さんは孤児です。それも乳児院の前に捨てられていて、ただ名前だけが記されてあったそうです。ちなみに誕生日は拾われた日になっています。そのまま乳児院が引き取って育て孤児院に移ります。孤児院に移ってから、
    「里親に引き取られたんやど・・・」
 数年してひどい虐待を受けて児童相談所が保護し孤児院に再び舞い戻っています。よほどひどい虐待であったらしく、それからの立花小鳥さんは誰にも心を開かない陰気な子どもとして育ちます。小学校でもその暗くて誰とも打ち解けない性格は、孤児であることも相まってひたすらイジメの対象になったようです。
    「でもな、がんばり屋さんやったんや」
 孤児院は原則十八歳までなのですが、奨学金を受けて大学に進学します。大学に入っても性格はそのまま、生活も苦しくてギリギリの状態でした。
    「ホイ、これが学生時代の写真」
    「この人は本当に立花小鳥さんですか?」
 まるで能面のように無表情で、言ったら悪いですが、みすぼらしい服装です。そのうえ細いを通り越してガリガリ、髪だってボサボサ。言われてよくよく注意して較べれば入社した時の立花さんに似てるといえば似てますが、写真からでも暗いオーラが漂います。コトリ専務がそんな立花小鳥さんを目にしたのは、まだ小島知江としてクレイエールに勤務していた頃です。買い物のために立ち寄ったコンビニでバイトされていたそうです。
    「とにかくこんなんやんか。レジのところにおったけど、おっただけでレジの回りが暗い感じがしたわ」
 そのコンビニはコトリ専務の近所なのでよく利用していたそうです。そんなある日に事件が起こります。コトリ専務がビールを切らして買いにいかれたそうです。その時に立花さんが倒れたのです。かけつけたコトリ専務は救急車を呼び、そのまま病院まで付き添ったそうです。
    「なんとなく気になって、出まかせで叔母やって名乗っといた」
 倒れた原因は栄養失調。おカネがなくて食事も節約しまくった挙句だったみたいです。健康保険にさえ入っておらず、それを知ったコトリ専務は退院の前日に来て黙って全部払ったそうです。退院時に支払いが既に終わっているのを知った立花さんは、そんなことをしてもらう訳にはいかないとコトリ専務の家まで来て頑張ったそうですが、
    『病院代踏み倒す気か。そんな文句があるんやったら、ここで耳揃えて返してみな』
 ぐっと詰まる立花さんに、
    『そこまで言うなら貸しとく、催促無しのある時払いでエエ』
 ここまで言っておけば、二度と顔も見せないぐらいに思ってたそうですが、立花さんは律儀に返そうとしたそうです。それも相当無理なバイトを重ねているのを知ったコトリ専務は立花さんに、
    『もう一回倒れたら借金は倍になるで』
 乗りかかった船だから仕方がないと、もっと割の良い家庭教師のバイトを紹介したそうです。服だって家庭教師をするにも、あまりにもみすぼらし過ぎたので、
    『頼みがあるんやけど、この服、商売物やけど売れ残りで捨てなあかんねん。悪いけど始末しといてくれる』
 こう言って無理やり押し付けたそうです。後は嫌がる立花さんを美容院に引っ張っていき、
    『ああいうバイトは見た目が大事やねん。それにこれぐらい、家庭教師一回行ったら払えるよ』
 あの重役会議で倒れられて、入院して無理やり退院した後に退職届を出したコトリ専務は、まずマンションに戻ろうとしたのですが、とにかくフラフラだったコトリ専務は途中の公園のベンチでヘタリこんでしまったのです。そこにたまたま立花さんが通りがかり、
    『私が見る番です』
 肩を支えてもらいコトリ専務はマンションまで送ってもらった時点で、
    『コトリはだいじょうぶだから、帰ってイイよ』
    『帰るわけには参りません』
 コトリ専務にしたら入院費の立て替えとか服代ぐらい、たいした金額ではなかったのですが、立花小鳥さんにとっては命の恩人に受け取っていたみたいです。
    『私の命に代えても治して見せます』
    『大げさな。それにコトリは魔女なの。この体が使えなくなったら、他の体に乗り移るのよ。一緒にいたらあんたの体を使うかもしれないから、帰った方がイイよ』
 そこからが大変だったみたいで、それなら自分の体を使ってくれと懇願され続けたそうです。その時に聞いたのが生い立ちの話です。
    『これまで生きてきて楽しかったこと、嬉しかったことは何もありませんでした。その中でたった一つだけ感動したのは、小島さんに助けてもらったことです。それで私の生涯は十分です。この性格も直りません。それなら、せめてこの体だけでも楽しい思いをさせて下さい』
 コトリ専務は言下に断ったそうですが、とにかく体がフラフラ、説得する気力も尽き果ててしまったそうです。この辺はコトリ専務の計算違いもあったようで、病気の進行が予想していたよりかなり早く、もうちょっと余裕を見て次の宿主を物色する予定だったのが、どうにも体がいう事をきかなくなっていたそうです。
    「あれ、参ったわ。モノ言うのも億劫になっててん。それでもマンションおったら、クレイエールから追跡がくるやんか。そしたら病院に監禁状態にされてまうやん。それを避けなアカンのはわかっとってんけど、ホンマに動かれへんのよ」
 そっか、コトリ専務が病院から逃げ出したのは次の宿主を物色するためだったのか。言われてみれば、もしそんな状態のコトリ専務を発見したら病院に力づくでも押し込むだろうし、社長だったら社員を動員して二度と逃げ出さないように二十四時間監視させかねないものね。
    「しょうがないから、立花さんにホテルまで連れてってくれるように頼んだんよ」
 ところが立花さんはホテルでなく自分の下宿にコトリ専務を運び込みました。そこから涙ぐましいほどコトリ専務の介抱をやってくれたそうです。
    「病気も不思議なもんで、ちょっとラクになる時があるのよね。ちょっと欲出してカズ君に最後の挨拶に行っといた。まあ、ユッキーにも挨拶して教えとく意味もあったけど」
 その間も立花さんは体を使ってくれと懇願し続けたそうです。新しい宿主を探す余裕も時間もなくなったコトリ専務は、
    『コトリが宿っちゃうと、立花さんは立花さんでなくなっちゃうの。ホントにわかってる。あなたをそういう目に遭わせたくないの』
 コトリ専務ももう少し元気であれば一蹴できたのでしょうが、体の死期のタイムリミットが迫っているのがわかったそうです。最後の最後に、
    『これから、最後の一杯を飲みに行ってくる。今夜がコトリの最後の夜になるわ。飲み終わったら花時計の前に行くけど、それまでもう一度よく考えて。コトリは来て欲しくないよ』
 あのバーでチェリー・ブロッサムを飲み干したコトリ専務は最後の気力を振り絞って花時計の前まで行きました。
    「来てへんと思とったんよ。来なけりゃ、そのまま死んでもエエけど、たぶんそれは出来へんから、適当に通りすがりに乗り移ったろってぐらいかな。そしたらね、おるんよね」
    「だから立花さんに・・・」
    「結果としてそうなってもた。コトリも初めてやった。自分から体を捧げられたんわ」
    「気に入ってますか」
    「気に入るように変えさせてもらった」
 少し言いにくそうでしたが、コトリ専務が立花さんを宿主に選ばなかったのは情もありますが、好みのタイプでなかったのもあったそうです。
    「でも大事に使わせてもらうで、体だけでもイイ思いをさせるのは約束やから」
 コトリ専務の力は単に綺麗になるだけでなく、体ごと作り変える事さえ可能みたいです。
    「学生生活はどうでしたか」
    「まさかイタ文やらされて、ミサキちゃんの後輩になるとはおもわへんかった」
 その点も立花さんを選びたくなかった理由の一つのようで、
    「ホンマは港都大狙とってんよ。もう一遍エレギオンに行きたかったんや」
    「じゃあ、天城教授のところ」
    「歴女やし」
 記憶を取り戻したコトリ専務は歴女と言うより、そのまま歴史みたいなものですが、エレギオンに行くために港都大を目指したのなんとなくわかります。もし入ってたら、それはそれは優秀な研究者になって教授だってなれたはずです・・・うん、うん、うん、
    「じゃあ、予定通り港都大に入っていたらクレイエールに戻って来なかったとか」
    「アハハハ、バレたか」
 これは立花さんに感謝しないといけません。立花さんがいなければ、コトリ専務はクレイエールに戻らなかったかもしれなかったのです。
    「まあ、今回はアカンかったけど、次もあるこっちゃし」
    「勘弁してくださいよ」
 それはそうと、
    「立花さんと入れ替わって大学に行かれて困りませんでしたか」
    「最初はな。これも港都大は下見しとってんけど、初めてやったからどこに大学があるかを探すところから始まったぐらいやねん」
 そうなるもんね、
    「それとイジメられとったんも良くわかった。大学でもイジメあるんやな。ありゃ辛いやろ。たぶんやられ放題やったんちゃうんかな。コトリも行ったら、いきなりコーヒーかけれたもん。あんなことばっかりされたら、生きててもイヤになった気持ちもわかった気がする」
    「コトリ専務はどうされたのですか」
    「あははは、女神をイジメたらそりゃ、大変よ」
 コトリ専務が大人しくイジメられるはずがありませんし、イジメた学生がどんな目にあったか想像するのも怖いところです。それはともかく、立花さんは置かれ続けていた環境に胸が詰まります。
    「でもこの体も気に入ってとこあるねん」
    「どこですか?」
    「名前がコトリなのが最高」
 ここまで話を聞いてわかったのは、コトリ専務はウソを吐いておられます。神は神の言葉を信用しないとコトリ専務は仰いましたが、ミサキもその意味がようやくわかってきました。まずコトリ専務は体調の悪化が予想以上に早かった仰いますが、ここからウソです。シノブ常務も指摘したように随分前から死期を知っていたとしか考えらません。

 コトリ専務の体調の悪化はあの夏頃にはハッキリしていました。それでもフラフラで倒れられた重役会議まで勤務を続けています。あれは、自らの死期を知りながらわざとそうしたはずです。本当に次の宿主を物色するつもりなら、遅くとも夏頃に始めたはずだからです。

 ではなぜそうしたかになりますが、コトリ専務は神としての自殺を図ったとしか考えようがありません。そう、次の宿主を探す時間と体力を自ら潰されたのです。病院を三日で逃げ出した理由も同じで、入院していると看護師や女医がおり、宿主とする誘惑を断ち切れないと判断したからで間違いないはずです。

 立花さんとの出会いは大筋ではウソをついていないと思います。ただ、最後の方ではかなりのウソが混じっているはずです。退職届を出した日に一度はマンションに帰られているのはスマホが玄関にあったので間違いないでしょう。ではあの日のどの時点で立花さんに会ったかは不明です。

 不明と言えば立花さんの下宿に行ったのも怪しいところです。立花さんの下宿が広かったとは到底思えませんから、ミサキはホテルに行った可能性の方が高いと思っています。立花さんにとってコトリ専務は恩人ですから一生懸命介抱したのはホントだと思います。ただ、体を捧げる話は怪しいと思っています。せいぜい生きている楽しみがないぐらいの話を広げただけの気がしています。

 コトリ専務の最後の時の話もウソがたくさん混じっています。これはコトリ専務の油断と思いますが、あのバーでチェリー・ブロッサムを飲まれた夜に亡くなっていないのです。亡くなったのはその次の夜です。つまりバーでチェリー・ブロッサム飲んだ夜はホテルに帰っているはずです。

 コトリ専務が花時計前を選んだ理由も思い出しました。コトリ専務が山本先生と過ごされた楽しい思い出の中でも、一番じゃないかと思われる婚前旅行の時の待ち合わせ場所が花時計前なのです。旅行に出かけるにはエライ不便な場所と思ったのですがコトリ専務は、

    『カズ君もそう言うたんやけど、あそこで記念写真をどうしても撮りたかってん』
 前にシノブ常務とマンションの中で遺言を探した時に、引き出しの奥深くにその写真がフォトフレームに入れられてしまってあるのを見つけたのを思い出しました。コトリ専務の家に遊びに行った時には見たことがありませんでしたから、普段は部屋に飾られていたか、時々取り出して思い出に浸られていたのだと思います。

 あの夜にコトリ専務が死期を悟ったのは間違いありません。悟ったからこそ花時計前を死に場所に選んだのです。コトリ専務は適当に通りがかりの女性を宿主に選ぶと言っていたのもウソです。夜も遅くなれば花時計前を通る人は殆どいません。ましてや若い女性なんて滅多にいません。本気で通りがかりで選ぶのなら三ノ宮駅なり、北野坂、東門のあたりを目指すはずです。

 あそこで山本先生との楽しい思い出に耽りながら人としても、神としても死のうとした最大の証拠は、山本先生から贈られた婚約指輪をしっかりと握りしめていたからです。でもコトリ専務は人はともかく神として死ねなかったのです。

 立花さんはコトリ専務がホテルから抜け出したのを知り追いかけて来たんだと思います。立花さんの姿を見た時にコトリ専務は誘惑に負けたのだと思います。これも前にチラッとだけ聞かされた事があります。

    『どうもやねんけど、神として自殺しようとしても、どう頑張っても出来へんねん』
 コトリ専務が長すぎる記憶の生に倦みつかれているのはミサキにはよくわかります。だからそれを断ち切ろうとされたがってるのも知っています。今回もそれを試みられたんだと思います。しかし、立花さんが最後の最後に救ってしまったのだと思います。これは、知恵の女神を以てしても逆らえない運命、いや神に背負うわされた十字架の気がします。

 人を宿主とするというのは、宿主とした人の人格を奪う行為です。ユッキーさんのように移り変われるのならともかく、コトリ専務は宿れば終生です。そんな行為にコトリ専務はいつしか耐えがたい苦痛を感じている気がしています。だから今回も生き延びてしまったことを恥じて後悔し、せめてもの照れ隠しに『捧げられた』話を創作しただけでなく、それを無理やりにでも信じ込もうとしているとミサキは思っています。


 でも、でも、ミサキは女神です。それもエレギオンの女神であり、次座の女神から分身した女神です。ミサキには今回のコトリ専務の再生ではっきりわかったのです。次座の女神と三座・四座の女神の関係は仲間でも友達でもなく、姉妹ですらなく、紛れもなく親子なのです。そう母である次座の女神は何者に代えがたい存在なのです。

 コトリ専務の話にあれだけのウソが混じり込んでいるのは、親として、いや母として神の汚い面を出来るだけ知らせまいとしたと思っています。ミサキもシノブ常務も記憶を受け継ぐ能力を封じられていますから、死ねば女神の記憶はリセットされます。そこまでの間だけ、ウソを信じてもらえば効果は十分と考えられたと思います。

 ミサキもいつまで生きているかはわかりませんが、長生きしても今から五十年も人として生きていられるとは思えません。ミサキの人としての寿命が尽きた時にコトリ専務は新たな別れをまた経験されることになります。今回、結局クレイエールに戻ってきた理由もそんな二人の娘を最後まで見守ってやりたい親心です。その誘惑に今回の再生でも勝てなかったのが本当の真相だと思います。